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 学園のサロンに二人の男女が座っている。一方はベール伯爵令息のカマン、もう一方は、シンヴォル侯爵令嬢のスノー。二人は婚約者同士であるが、これはベール伯爵家がシンヴォル侯爵家へ援助を求めたことによる、政略的な理由を多分に含むものであった。


 当時ベール伯爵家は、カマンの祖父にあたる先代がしでかした不祥事により、多額の借金を抱えていた。返済の当てはあったが、先立つものが必要だった。


 シンヴォル家の援助もあったが、僅か五年で財政の立て直しに成功した功績が、カマンにあることを知るものは多い。成人すらしていなかった子供でありながら、現場を訪れ、データをまとめ、効果的な提言を行う、まさに神童と呼ぶに相応しい活躍であった。


 その活躍により、学園では伯爵家でありながらブライト王子に声をかけられ、国政についても議論を交わす仲である。当然嫉妬はあったが、すべてを実力で跳ね除けてきた。


 さて、もう一方のシンヴォル家令嬢のスノーであるが、彼女の評価はぱっとしない。勉強は中の中、社交はそこそこ、ダンスも踊れなくも無い。何か劣るものはないが、尖るものもない。


 そんなスノーが優秀なカマンの婚約者になっていることがおもしろくない令嬢は多い。直接的な嫌がらせはないが、親切さもない。周囲を壁で囲まれているような息苦しさがあった。


 スノーはそれを仕様がないと受け入れていた。別に何かをされた訳ではない、何もされなかっただけ。彼女たちの気持ちも少しはわかる、と。



 スノーの侍女が入れた紅茶を飲みながらカマンが切り出しだ。


「最近会えなくてすまなかった。少しブライト王子の手伝いをしていてね」

「そうでございますか。では、お疲れなのではないですか?」

「いや、たいしたことはないよ」


 二人が会うのは三ヶ月ぶりになる。ブライト王子の視察を手伝うこともあって、しばらく会えないことも度々あった。だが、今回はそうではないとスノーは知っていた。


「実は今日は君に話があってね」

「私もカマン様に話がございましたの」

「そうなのかい? それじゃあ僕のは後でいいから、君の話を聞きたいな」

「わかりました……」


 少し逡巡した後、スノーは絞り出すように発した。


「どうかこの婚約をなかったことにしてくださいませ」


 カマンの方は見られなかった。嬉しそうにされたらどうしようだとか、馬鹿にされたらどうしようだとか色々考えてしまって、そして何より、涙が溢れてしまう気がしたから。


「……何かの冗談、だよね?」

「冗談でこのようなことは申しません」


 消え入りそうな声でカマンが尋ねるが、スノーがこのような冗談を言わないことはわかっていた。


「どうして、なんで?」

「援助金の返済もして頂きました。いくつかの事業では共同事業にして頂いたとも聞いております。ですからこの婚約を続ける必要はないのです。カマン様は自由になって良いのです」


 始めはただの噂だとスノーは思っていた。二人の関係を妬んだ誰かがついに嫌がらせのような噂を流したのだと。

 噂によると、王子の覚えめでたい伯爵令息が、婚約者に隠れて学園外で逢瀬を重ねている、というものだった。個人名は出されていないが、どうみてもカマンのことだった。


 噂が真実であるとスノーが確信したのは、現場をはっきりと目撃したからだ。元気のないスノーを慮って外出を提案した侍女を攻めることはできないだろう。


 仲睦まじく歩く二人にスノーの胸が痛んだ。思えば婚約してからカマンと二人で出歩いたことさえない。伯爵家の立て直しで忙しいからと会う回数も多くなかった。


 女性がカマンに抱き付いた。振り払うこともせず、スノーには見せない気安い笑顔で受け入れていた。腕を組んで歩いていく二人に悲しくなった。スノーはカマンが好きだった。


「婚約を続ける必要がないって……スノーもそう思ってるの?」

「私は……、私はこの婚約に疲れてしまいました。それに先日カマン様が恋人と歩いているのを見てしまいましたの。好きな女性と一緒になるには、この婚約は邪魔になるでしょう」

「恋人だって!? そんな人いない!?」

「学園でも噂になっておりますわ」

「誤解だ! キャシーとはそんな関係じゃない!」


 もう名前で呼ぶ関係ですのね、スノーは心の中でつぶやいた。


「すでに父には婚約を解消して下さるよう手紙を出しております。ベール伯爵家へもじき連絡があるでしょう」

「話を聞いてくれ!」

「話は終わりです。キャシー様とどうぞお幸せに」


 スノーは言い切って席を立った。カマンは止めようとしたが、間にスノーの侍女が立ちはだかった。侍女の顔には怒りがありありと浮かんでいる。


 ここで別れればもう二度とスノーに会えない気がした。スノーが自分でドアを開けようと、ドアノブに手を伸ばした――



「話は聞かせてもらいましたわ!!」



 ドアは外から開けられ、ひとりの女性が飛び込んできた。

 公爵令嬢であり、ブライト王子の婚約者であり、そして、ハッピーエンド至上主義者であるリアン・ブルーガーその人である。


「あらあらスノー様、そのように泣くものではないわ。大丈夫よ私に任せてちょうだい」


 飛び込んできたときの様子とは打って変わって、慈愛に満ちた声でスノーを慰めた。


「カマン様はそこで正座です」

「……は?」

「正座です」


 カマンに対しては絶対零度の超ブリザード対応だった。有無を言わせぬ言葉にカマンは正座した。


 スノーを連れてひとまず席に付いたリアンは、カマンとスノーに向けて言い放った。


「あなたがたには言葉が足りません! だからすれ違ってしまうのです! なので私が足してあげましょう!!」


 カマンとスノーはどう反応していいのかわからず、沈黙を保った。


「まずはカマン様!!」


 スビシーっと指をさされたカマン。思わず一センチほど飛び上がった。


「あなたはスノー様のことが好きですね!」

「ええっ!?」


 あまりに歯に衣着せぬ物言いに、カマンは驚いてしまった。


「好意を示すのは初歩の初歩です! もう一度聞きますよ! スノー様のことが好きですね!」

「えと、は、はい」

「声が小さい! 思いを伝えるときははっきりと! スノー様が大好きですね!」

「は、はい! 大好きです!」


 しれっと大好きに変わっていたが、場の空気がそれを指摘するのをためらわせた。


「よろしい! さっ、次はスノー様の番ですよ。ゆっくりでいいのです、お気持ちを教えて下さい」


 差別である。カマンへのあたりの強さはなんだったのかというほどスノーへは優しい。寄り添うように背に手を当てて、落ち着けるようにさすっている。背中の手から伝わる温もりがスノーに勇気を与えてくれる。


「私は、私は……」


 先程カマンはスノーが好きだと言っていた。とてもうれしくて涙が出てきた。


「私もカマン様が好きです! でも……っ」

「いいの。それだけでいいのよ。でも、なんてないの」

「ううぅっ、私……」


 リアンがスノーを抱きしめる。子をあやす母のように包み込む。スノーは涙を止められなかった。


「カマン様、少し席を外してくださるかしら」


 カマンの方を見ずに一方的に告げられた。カマンは大人しく従ったが、とても悔しかった。スノーが泣くときは自分の胸で泣いて欲しかった。自分の手で守ってやりたかった。


 そこで思い知った。自分はそれをスノーに伝えていなかった。気恥ずかしさや援助を受けていた負い目などで誤魔化して、伝えること言葉に出すことをしていなかった。


 ああこれではスノーが愛想を尽かして婚約を解消しても不思議ではない。けれど諦めたくはなかった。スノーは自分のことを好きだと言ってくれた。だから、諦めたくなかった。


 しばらくしてスノーの侍女が呼びに来てサロンへと戻った。

 スノーは泣き止んではいたが、少し目が赤くなっている。


「カマン様、どうぞお座りになって」

「は、はい」


 また正座した方が良いかと迷ったが椅子に座っても良いようだ。


「さて、お二人は好き合っていると確認できました。それについてはいいですね?」

「はい」

「はい……」


 スノーの表情は優れない。


「それでは次に参りましょう。おそらく一番の問題点である、カマン様の浮気疑惑ですわ」

「浮気なんてしてない!」

「疑惑になった時点であなたの落ち度です! 静かにしなさい!」


 カマンは一瞬そうかもと納得しかけたが、結局そうかもと思って黙った。


「目的を秘密にするからそうなるのです! 何をしようとしていたのかはっきり言いなさい!」

「えっとそれは……」

「この期に及んでまだ渋りますか! スノー様を我が公爵家に迎え入れてもいいのですよ!」


 それは困るとカマンは焦った。リアンならばやりかねないと思った。


「言いますから! えっと、スノーにはいつも助けてもらっているから、プレゼントがしたかったんだ。でも今までまともな贈り物なんてしたことがなかったし。変なものを送って嫌われたくなかったからキャシーに選ぶのを手伝ってもらったんだ……」

「キャシー様のことを説明なさい!」

「キャシー、キャサリン様はブライト王子の妹君で、不敬かもしれないけど僕にとっても妹みたいなものだ。恋愛感情なんて微塵もない!」

「よろしい。最初から隠したりせずに素直にプレゼントを送りたいと言っておけばいいのです。良いですか、サプライズで喜ぶのはサプライズした側だけです! 殆どの場合迷惑にしかなりません!」

「はい……身にしみてわかりました」


 迷惑だと切り捨てられてカマンの気力はゼロだ。


「さて、ではスノー様。スノー様には先程言いかけた“でも“の続きをお聞かせ願えますか」

「私……」

「スノー様。結婚する、夫婦になるとは楽しいことや嬉しいことだけではありません。悲しいことや苦しいこともあります」

「……はい」

「そんな時に、溜め込んで抱え込んでしまえばいつか限界が来ます。何が悲しいのか、どう苦しいのか、言っていただければ力になれます、寄り添ってあげられます。だからどうか、言葉にして、伝えて欲しいのです。あなたが好きな皆はそれを待っているのです」


 顔を上げたスノーはカマンと見つめ合った。カマンは何も言わす、じっと待った。


「私は……私はひどい女なのです。キャサリン様と並んで歩いているのを見て、嫉妬してしまったのです! どうして私じゃないの! 私の方がずっとずっとカマン様のことが好きなのに!」

「スノー……」

「カマン様が御家のことで苦しんでいたときも、勉強をがんばっていたときも、側にいたのは私なのに! でも私とは一緒に出掛けてもくれない!」

「スノー」

「カマン様の側にいたい! でもこんな私はきっと嫌われてしまう!」

「スノー!! 君を嫌いになんてならない!!」


 カマンが後ろからスノーを抱きしめた。


「君はどんなときも側にいてくれた。僕を癒やしてくれた。そんな君が僕は好きだ」

「カマン様……」

「僕のせいで君を傷付けてしまったね。本当にごめん。でも、君を離してあげられない。」

「私は……」

「聞いて、スノー。僕はひと目見たときから君が気になっていたんだ。でも僕たちの婚約は援助のためのもので君が望んだんじゃない。だから君のためを思って距離をおいたんだ。いつか君に好きな人ができたときを思って……」

「カマン様……。私も、私の話も聞いてください」

「もちろん」

「この婚約は、私のわがままから始まったのです」

「え!?」

「私が父にお願いしたのです。婚約者が欲しいと、まるでオモチャを強請るように……。知っていましたかカマン様、私、カマン様に会うまではわがままな子供だったのですよ」

「それは、知らなかったな」

「初めてカマン様に会ったとき、間違いに気付きました。大変な思いをされてきたカマン様を軽々しく婚約者にするべきではなかったと」

「僕は嬉しかったけどね。きっと……、僕らはお互いに向き合ってこなかったんだ。色々な理由があったと思う。でも、大切なことは言葉にしなければ伝わらない」

「そうですね。私も、そう思います」

「だから何度でも言うよ。スノー、君が好きだ。」

「カマン様、あなたが好きです」

「ずっと側にいて欲しい」

「離れたくありません」

「スノー……」

「カマン様……」


「ゴホン! ゴホン!!!」


 侍女のわざとらしい咳払いがすべてをぶち壊した。


「あっ、いいところでしたのに!」

「「!?」」

「お二人とも、私たちのことはお気になさらず、どうぞ続けてくださいな」

「ゴホン!!」

「あら、スノー様の侍女はケチね〜」

「ゴホン!!!」

「まあいいわ。これでカマン様とスノー様は一件落着ハッピーエンドですわね!」


 リアンがドヤ顔ダブルピースを決めた。


「ありがとうございましたリアン様。今回のことで自分がいかに未熟か思い知りました。スノーと二人で言葉を尽くして頑張っていきます」

「言葉で伝える、簡単なようで難しいですわ。スノー様を泣かせたら許しませんわよ」

「ええ、肝に銘じておきます」

「あっ!? 私……!!」


 急にスノーが声を上げた。顔は青ざめてただ事ではない雰囲気だ。


「私、父に婚約解消の手紙を出してしまってますわ……。どうしましょう!? カマン様との婚約がなくなってしまいます!?」

「ああ、それでしたら大丈夫ですわよ」


 リアンが胸元から便箋を取り出した。どうしてそこから?と三人は疑問に思った。


「スノー様が出した手紙は私が回収させていただきました」


 冷静に考えると、私書、それも貴族の私書を途中で止めるというのはかなりやばい。だがこの場には冷静なものがいなかったので問題にならなかった。


「お返しいたしますわね、スノー様」

「リアン様、ありがとうございます!」

「私が勝手にやったことですから、お礼なんていらないわ。それより、お父様にカマン様とのことをご報告してはどうかしら。きっとお二人の様子に心配していると思うわ」

「そうですね。少し恥ずかしいですが、そうしたいと思います」


 スノーのほころぶような笑顔が咲いた。女性のリアンですらくらっとくる威力に、カマンは撃沈していた。


 そう、実はスノーの美貌はかなりのものだ。カマンとの関係がうまくいっておらず暗い表情でいることが多かったため気付かれていなかった。本来の彼女はこんなにも暖かな笑みを浮かべる素敵な女性なのだ。


 なんとか立ち直ったカマンが、きれいにラッピングされた包みを取り出した。


「いまさらだけど、これ、スノーにプレゼント」

「まあ、開けてもいいかしら」

「もちろんさ」


 中身は翠と蒼が入り混じった色のバレッタであった。カマンの目は翠色でスノーは蒼色なので、そういう意味だ。


「素敵……。サーシャつけてもらえる」

「はい、お嬢様」


 侍女さんの名前が判明した。


「似合うかしら?」

「似合うと思ってこれにしたんだ。でも想像より現実の君のほうがずっと似合っていてきれいだよ」

「うれしい……」

「ゴホン!!」


 今にも抱き合いそうな雰囲気だったので、サーシャストップがかかった。結局のところ、一番の強敵はサーシャかもしれない。


「それじゃあ私は失礼するわ」


 リアンが告げた。


「リアン様、本当にありがとうございました。僕にできることがあれば何でも言ってください」

「リアン様、またお会いできますか?」

「まずは二人の時間を大切にしなさい。それでお茶がしたくなったら声をかけて。あなたたちなら歓迎よ。じゃぁね」


 背中を向けて、ピッとピースをかますリアン。その顔は、誰にも見えなかったが、渾身のドヤ顔であった。


「「「リアン様……」」」



 また一組、リアンによってハッピーエンドになった。

 次は誰をハッピーエンドにするのか。リアンの活躍は続く!!


■名前の由来

カマンベール⇛カマン・ベール伯爵令息

雪印⇛スノー・シンヴォル侯爵令嬢

明治⇛ブライト・カーヴァー王子

ブルガリアヨーグルト⇛リアン・ブルーガー公爵令嬢

ソフトキャンディ⇛キャサリン・カーヴァー王女

サーシャ⇛好き

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