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話半分で人の話に口を出してはいけない。
結局、ジュリアンが悩んでいたことは蝿が人を襲った現場がここから近いが、行っていいかどうか悩んでいるという内容だった。
話の内容を聞いていないにもかかわらず「行けばいいんじゃないの?」と言った私に対してライス様は「レナ嬢はジュリアン君より男前だよね」と若干頬をひきつらせたような笑顔を浮かべ、ジュリアンはドン引きの表情を浮かべていた。
自分で口に出してしまった以上、引き下がるわけにはいかない。
正直に言えば、虫はあまり得意ではない。でも、昼間の明るいうちなら人通りもあるし大丈夫だろうと昨夜蝿が出たという場所に向かうことにした。
今まで聞いた蝿の出現時間は夜と早朝の暗い時間だし、この時間ならまだ人通りがあるので助けが呼べると見越してだ。
大通りの流しの馬車乗り場から馬車に乗って十分ほどで着く場所だった。
「昨夜の場所はあの大聖堂の神を各村でも祈ることができるように建てられた小さな聖堂の付近らしい」
降りた場所はちょうどその聖堂の前でこの街の目印でもあるようだ。
石壁にひびが入り、蔦が張っているが、見える場所の壁の細工は大変見事で、ある程手入れすれば、中はわからないがこの建物は観光名所となる可能性もある。
「この街自体を王国建国前の遺跡の残る街として観光化すればいいんじゃないかな」
「確かにレナの言う通りこの街の観光誘致にこれから力を入れるなら、それも一つの手だな」
ただしその聖堂は若干庭が荒れていたが。
「ここだけ見れば夜になったら蝿でも妙なものでも出そうな雰囲気だが あちらの通りは民家が多いし、果物屋や八百屋とかの店もあるんだな。
さっきのカフェの店員に聞いたみたいに話は聞けるし、馬車は三十分後に頼んだからそれまで散策はできるぞ」
「セリム、何気に急いでる?」
「ああ。ジュリアン殿達は図書館に行く予定だろう?
俺達も戻ったら大聖堂に行きたいから時間配分を考えないと。
それにここに来たことはおそらくヴィンセンテ王子には伝わらないんじゃないのかと思ってね。
ホテルで伝言を残してきたコースから外れたなと思い出して」
「あ、そうだ。忘れてた!」
思わず四人とも顔色が変わる。
ハイト様からは外出は構わないが行き先を必ずホテルに残る人間に伝えておいてほしいと言われていたから。
「とりあえず、現場見て、話聞いて戻ろう。
ハイトが戻ってて、俺たちの後を追って図書館とか大聖堂に向かってたらやばいからな」
「そうだろう?
あ、ライス、あの花屋のお嬢さんならお前の好みじゃないか?
……ん?」
向かいの通りに見える目立つ花屋の軒先で花の鉢を動かしている女性を見つけたセリム様がライス様に話を振った矢先、その時通りの一本向こうで大声と何人かの悲鳴が聞こえ、叫び声とともに逃げてくる人が現れ、「蝿」という単語が聞こえた。
「セリム、今「蝿」って聞こえたな?」
「ああ」
「行こう」
「はあっ? ジュリアン、ちょっと」
止めてもすでにジュリアンは走っていた。となったら、いくら虫が苦手だろうと皆が走り出した以上ついて行くしかない。
「石畳の道は走りにくいな」
通常全力疾走することがない。
花屋の前を走り抜け、逃げてきた人たちが北方向の細い道へ曲がった途端、皆の足が止まった。
「これだけの蝿、見たことない」
想像以上の光景だった。皆に遅れないように走る間に、今日ホテルを出る前にいくつか殺虫剤やミントの消臭スプレーなどを袋の中に入れてバッグに入れておいたので、その中から一番香りが強そうなミントのアロマオイルの小瓶を一本取り出して栓をひねっておいたが、そんなもの役に立たない数の群れだ。
上空には数百、いや数千もの蝿の大群が、黒い塊、蝿の群れがブンブンと羽音を大合唱させて空を埋め尽くしていた。
「そこのお前たち、こっちに来るな!
逃げるか建物の中に入れっ!
外にいたら危ないぞ」
蝿が群がる空の近くに家がある住民が窓を開けて網戸越しに私達に叫んだ。
それもそのはず、数メートル先には襲われている男性がいたのだ。その光景はまさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
襲われている男性は蝿だけでなく冬場に水を浴びせかけられ、その水からも逃げたくて助けを求めている。
散水している人は、水で蝿を払い落として助けたいのだろう。家の窓の隙間からホースの先を押しつぶして水圧をかけて男性めがけて放水している。
また二階の網戸越しに空に向けて殺虫剤をまき散らす人もいれば、蝿なら生ごみによって来るだろうと、一瞬家のドアを開けて「蝿の野郎、こっちにこい」と叫んで家の生ごみを道に放り出す人。
だが、蝿は生ゴミに寄ることもなく、殺虫剤で死ぬこともなく、水で撃ち落とされても意思があるかのようにただその男性に寄っていこうと飛んでいる。
「警察が助けに来るぞッ」
どこかの家の窓からそんな声が聞こえて、すぐに頭から顔全体を覆った防護服の警察や消防隊が現れ、消防隊が地下の上下水管にホースを繋ぎ、勢いよく水をまき散らして、防護服を着た警官が襲われている男性を布でくるむようにして、あたりにスプレーをまき散らし蝿を手あたり次第叩き潰している。
もちろん空には覆い尽くすほどの蝿の大群はまだそこにいる。
「……地獄の悪魔だ」
思わず漏れる本音。その光景を見ながらあることに気が付いた。
「ねえ、どうしてあの人しか襲わないの?」
空に浮かぶ大群はあの救助され用としている男性以外全く傍に近寄ろうとしないからだ。
まるで誰かの命令に従っているのか、それとも自らの意思があるのか。
「それはまだわからないぞ、レナ。
あの人が助けられたら俺達しか外に出ている見物人はいない」
「ジュリアン君の言うとおりだ。あいつらがこっちに来たらまずい。
さっき通りにあった花屋の中にでも逃げるぞ」
ライスが指したのは先ほどの花屋だ。
もちろん花屋も騒動を聞いて、先ほどまで軒先まで開放してあったはずなのに店のドアを閉め、鉢を外に出したまま今まさにシャッターを閉めようとしている。
「とりあえず、馬車が来るまでの間避難させてもらおう」
セリム様が勢いよく走りだし、私達もそのあとに続いて走った。
お店の女性が「早く早く」と手招きする中、勢いよく転がるように店に入るとガラスのドアが閉まった。
息を整えながら外を見ていると大聖堂から聞こえてきた時間を告げる鐘の音が響いてきた。
その音が恐怖心を倍増させにどこか背筋が寒くなった。
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