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侍女であろうが従者であろうがこんな時くらい同じテーブルで好きなものを食べればいいというハイト様の計らいで貴族であるヴィヴィ様は別として、マギーも私の隣で夕食をとった。
食事を終え、食後のデザートにリンゴのコンポートが出てくるころには皆がくつろいで冗談を言い合える雰囲気になっていた。
そこで私は今日の電車の中で気になっていたハイト様の憂い顔というか、話を途中で遮ってしまったことを思い出し、後でハイト様に聞こうと隣のハイト様に声をかけようとする前にライス様に先を越されてしまった。
「そういえば王子、妙なニュースが耳に入ったんだが」
テーブルの下に置いていたアタッシュケースから封筒を取り出したライス様の表情は、先ほどの食事中の穏やかな雰囲気から一変して少し硬い。
しかも、その書類の内容が内容だけにケガなどで血を見ると気分が悪くなる人間は部屋に戻ったほうがいいと提案され、マギーがしぶしぶ部屋に戻った。
彼女は侍女として有能なのだが、血を見ると気分が悪くなるという弱点がある。私だけがここに残ることを心配されたがジュリアンが二時間以内に部屋に送り届けると彼女に約束した。
マギーが去り、ハイト様、ヴィヴィ様、ライス様、セリム様、ジュリアン、私となったテーブルでライス様が封筒から資料を出した。
「このラオンでは蝿が人を襲うのか?
おそらくウィンバーの二人は何のことかわからないと思うが」
「ライス殿。ここで、ですか?」
「このような席で気分がいいものじゃないが、君を捕まえて質問できる時間は限られるし、この二人も君と友人なら問題ないどころか見てもらったほうがいいと思う」
ライス様は更に封筒から写真まで取り出した。ハイト様の横に座っていた私は資料を盗み見するように横から文字を読んだ。
内容は以下の通り。
ラオン郊外に滞在する大聖堂修繕推進派の代表である陶芸家のヴァルモン氏が、酒場からの帰りの夜道で突然蝿の大群に襲われた。
ただし、その蝿は普通の蝿でなく、肉食で、被害者の顔、頭皮、手など露出していた部分は細かく食いちぎられたかのように擦過傷になっており、目撃した近くの人間が追い払わなければ、恐ろしい事態になっていた可能性がある。
目撃者の証言によると、その蝿はまるで意志があるかのように、他の人間には近寄ることもなく、また、彼に助けに入って数秒もたたないうちに逃げ去った。
そしてその翌日早朝、その近所で大聖堂の修理賛成派の設計士が朝の散歩中に蝿に襲われた。たまたま散歩コースにある家の人間が花の水やり中それに気が付き水を勢いよく蝿たちにかけて追い払うことができて助けられたが、一両日以内に続けて同じことが起きたために警察と衛生班が動くことになるが、蝿が人を襲うことが今までなかったため、原因調査は難航することが予測される。
そしてこの事件に地元住民は、悪魔の来訪の前触れかと言う者までいる――
資料には被害者の蝿に襲われた傷の血まみれの顔や手の写真があった。
血塗れで、普通の傷ならまだしも、蝿に襲われて食われたと思うと、先ほど食べた物を胃から戻しそうなほど気色悪い。
虫を全く受け付けないという訳ではないが、どちらかと言えば必要に迫られない限り気持ち悪い物には接触したくない。
蝿といえば害虫だ。
普通に一匹いるだけでも不衛生だと思うのに、それが大群、しかも人を襲うなどは常軌を逸している。
人の血を吸うという蝿がいると聞いたことがあるが、齧った(かじった)ような跡があることから、別種と考えられると書いてある。
暫く言葉を失う。
「これらの写真がカレンデュラにまで出回っているのですか?」
「いえ、これを知っているのはカレンデュラの人間ではおそらくまだ我々だけです。
王子はご存じでしたか?」
ライス様の横に座っていたセリム様が意外そうな顔で苦笑いを浮かべているハイト様を見た。
「これはいつあなた方のもとに?
私のところに来たのは一昨日の夜です。
この報告に式典を中止するかという話も出ましたが、正直信じられなかったし、中止するには不確定要素が多すぎたので、式典の後に数日滞在して調査しようと思っていました。
ですが、まさか他国のあなた方のところにこのように情報が届いているとは思わなかったな」
「申し訳ないが、イングウェイの一族は帝国の軍を束ねる以上、各国の情報収集も早くてね。
しかも、我が国はラオンの街の貿易港に関してこの数か月手間取っていたから、情報収集を密にしていたらこのニュースが入ってきた。
もちろんエリスフレールもそれなりに各国の情報収集はしていらっしゃるだろう?
とりあえず心配なのは、この生き物がエリスフレール王国以外の国にまで広がっては困るということだ」
「セリム殿のおっしゃる通りだと思っています。
最悪の場合によってはこのラオンの街を封鎖することになってしまう。そうなっては困るので早急に解決したいと思っていました。
私が報告を聞いてわかっているのは、被害を受けた二人の共通点は男性ということと大聖堂の修繕推進派の人物ということです。
虫が故意に人を襲うようなことはあり得ないと思いますが、襲われた二人の周囲数キロ以内には他の人間はいたはずなのに、彼らだけを襲ったと聞いています。
……まさかセリム殿がいらっしゃったということは」
「これってまさか、昆虫兵器を開発しているとかじゃないわよね?
どっかおかしな科学者が何か妙な気起こしたとか?」
「ハートリー公爵?」
ふと思ったことが口から零れ落ち、会話を遮ったことはわかっているが言葉が止まらなかった。
「人間が研究して新種とか何か生まれてしまったとかという可能性はありそうじゃない?」
読んだ悪魔に連れ去られた少女の民話が頭をかすめたがそのことまで触れると更におかしな子だと思われそうなのでそこまでで黙っておいた。
「ハートリー公爵の想像力は素晴らしいですね。
さすがベストセラ-作家アリソン・リーだ。
着眼点は悪くない」
「え?」
先ほどまでハイト様と話していた時のセリム様の鋭い目つきが若干やわらぎ、微笑みを浮かべてこちらを向けてくれたが、その微笑みより、ウィンバー王国ではほとんどの人間が知らない自分の正体がまさか他国の今日まで会ったことがない人間にばれていることに驚いた。
「気分を悪くされたら申し訳ない。今回、この式典の出席者に関しては調べてあります」
「カレンデュラ帝国なのかイングウェイ一族なのか、その情報収集力は恐るべしですね。
私は国王陛下の恩情で亡き父の地位の職務の権利を多少なりとも引き継いでいるので軍を動かせる権限を持っていても、私はそこまでの情報収集力はありません」
「それはあなたが軍を動かせる立場でも、亡くなったあなたのお父上のように実際の軍の地位についているわけではないのですから仕方がないでしょう。
今はウィンバー国王が将軍職を預かっていらっしゃるようですが、もしあなたがその職を自分の手元に戻したいと思って、その地位にふさわしい力を手に入れたら、俺、……失礼しました私以上の情報があなたのもとに入ってくるようになるでしょう。
話を戻しますが、ハートリー公爵の着眼点は「あり」だと思います。
事実は小説よりも奇なりですから。
仮定の話としますが、この生き物が科学者の研究の何らかの結果で生まれたとして、生み出した人間は何とも思ってなかったとしても、この生物を兵器としても利用できると思う人間は出てもおかしくない。
ハートリー公爵のおっしゃったこと以上の「おかしなこと」が万が一起きていたら、それはエリスフレール王国だけでなくこの大陸全土の問題だ。
この件に関しては、エリスフレール王国だけでなく大陸全土の皆の安全と治安維持時のためにも我々も詳細が知りたい。
そのために微力ですが私も、いざとなればカレンデュラ帝国の軍も力を貸すつもりだ」
戦乱の世ではない今、軍という存在は治安維持のための存在になりつつある。ウィンバー王国も今は国防より政治に対する不安要素、テロリストや凶悪犯罪者の取り締まりや、自然災害の対策に移行しつつある。
だが、そんな平和な世の中でもその世の中を壊そうとする存在はどこかにいるもので、常に最悪を考え、万が一を考えて対策を練るのが上に立つ者の務めだ。
目の前のセリム様の言葉はどこまで本音かわからないが、王子の立場のハイト様に切実に人民の命の安全を訴えかけているように思えた。
「セリム殿……」
「もちろん善意のみでこんなことを言っているわけではありませんがね。
今回の目的は、電気で動く列車の知識が手に入るなら軍を貸すぐらい問題ないのです。
蒸気で動く長距離列車の開発が国民の不評で大失敗に終わったカレンデュラにとっては今回のエリスフレールの希望の星なのです。蒸気機関車はあまりにも煙害が多すぎた。
かといって蒸気機関車の開発で敷設してしまった路線をそのまま放置するわけにもいかない。
なのでエリスフレール王国の電気で動く列車に関しての技術提供交渉がうまくいくなら、カレンデュラの皇帝は軍ぐらい動かしても問題ないという考えです。
それに皇帝自身は、自分の国にそんなえげつない生き物は広がる前に殺してしまえとおっしゃっていましたからね」
気味の悪い写真を嫌そうに眺めながらジュリアンがハイト様の読み終えた資料を手にした。
「確かにそんな蝿が各地に広がったらうかつに外も歩けなくなるなあ。
ハイト、今回の件はどこまでわかってるんだ?」
場を明るくしようとジュリアンがおどけたように言ったつもりみたいが、ヴィヴィ様が悲壮な顔つきで頭を下げた。
「その件に関しましては王子でなく僕から報告いたします。
恥ずかしながらまだ調査途中の段階です。事後報告になって本当に申し訳ありません。
人の命を脅かす毒がある蜘蛛や蜂の生態に関しては資料が多いですが蝿は予想外ですし、まして人を故意に襲うという今回の件は、この報告があった後早急に人員を割いて調べましたが、現在の時点では過去に前例がないそうです。
調査は続けていますが式典後の段階では部下からは進展なしとの報告を受けています。
今夜はラオンの街で一泊していただきますが、来賓の方々には安全を考慮したうえで明日の市庁舎での式典後、そのまま王都に向かう電車で王都に戻っていただいて、王都滞在に切り替えていただいて、王子と僕はラオンで調査をしようと思っています」
「ヴィヴィ、そんなしょげるなよ。
とりあえず、まだよくわからないんだろ?
明日の式典終わらせて、まだ知らない来賓達を無事に送り返してから調べりゃいいじゃないか。
とりあえず俺達はお前たちの調査につきあうぜ?
ウィンバーだってそんな蝿が発生したら大問題だし、使える人間は多いほうがいいだろうし、カレンデュラ帝国の大金持ちアルマリク様のお金と情報収集力の素晴らしいイングウェイ様にも力借りれてラッキーじゃねえ?」
「ジュリアン、なんであんたが勝手に私の予定まで決めんのよ。
しかもカレンデュラのお二人まで巻き込む前提でヴィヴィ様を励ましてるのよ。
ここではあんたと私が一番役に立たないんだからね」
「いや、今回の蠅のネタもお前の小説のネタになるかもしれないだろ?
それにお前は十分その奇天烈な発想力が役に立つかと……」
「奇天烈とは何よ!」
「まあまあ二人とも、夫婦漫才はそこまでで。セリムも私も調査するつもりだったから……」
とりあえず今回の気色の悪い虫の件が、我々に事後報告になってしまった状態なことに責任を感じてしまって暗くなってしまったハイト様やヴィヴィ様の雰囲気を明るくしてから話を終えようとジュリアンにいつものノリになっていたら、ライス様まで乗っかってきて笑顔が戻ってきた。
「夫婦じゃありませんッ」
「そうです。まだ式は挙げてないので」
「誰がジュリアンと式を挙げるのッ?」
「わかった、私の言葉が悪かったから二人とも仲よくしよ……、ん?」
何とかこの気分の悪い雰囲気を多少もとに戻せるかと思ったが、どうやらこの地の旧き神はそれを許してくれないらしい。
駅で別れた市長と、制服を着た警官がレストランに入ってきてハイト様の顔を見た途端、人目もはばからず駆け寄ってきて、新たに蝿の被害者が出たと報告しに現れたのだから。
読んでくださってありがとうございます。