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 馬車で大聖堂に近い通りに戻るとジュリアンが「昨日のカフェに行こう」と提案しそこでお茶をすることになった。

 

 また同じ店に行くのか? という私の意見は全く無視。


 確かに味は悪くなかったけれど、他の店も入ってみたいと言っていたセリム様の意見もなぜかライス様に軽く無視された。


 ハイト様は国内では顔が知られているので、馬車から降りたら人目に付くだろうということで店のすぐ近くで馬車を止め、念のためハイト様だけ変装用の眼鏡をかけて店に入った。

 ランチとティータイムの狭間の時間に店に入ると、店内は殆ど客がいなかった。

 ライス様が目ざとくカウンターの内側で食器を洗っていた昨日のウェイトレスを見つけて手を振った。そして今日もその魅力全開。


「いらっしゃいませ。ランチはもう終了しております……あら、昨日のお客さんたち」


「こんにちは。今日はお茶を飲みに来たよ。

 君の顔も見たかったし、昨日いただいたデザートがおいしかったからね。

 今日は一人この国の友人もいっしょに連れてきたんだ」


「あら、ありがとうございます。

 そう言ってもらえるとデザートを作ってるオーナーが喜びますよ。 

 しかし、お客さんのお友達はハンサムばかりですね」


 彼女はまんざらでもない様子で、青のエプロンで洗った手を拭きながら嬉しそうにカウンターの外に出てきた。


「あら、こちらのお客さん……、あのヴィンセンテ王子と似ていらっしゃいますね。カッコいい」


「ありがとうございます。よく言われるんですよ」


 どうやらハイト様は王子であることを隠す方向に決めたらしい。


「デザートがおいしいと聞いたのですが、今日は何がおすすめですか?

 私は初めてなので」


 にっこりとほほ笑み、質問したハイト様に、ウェイトレスの頬が染まる。


「あー、お客さん、よかったら今日はブラックチェリーを使ったショコラトルテを作ってみたんだが食べるかい?」


 そんな中、空気を読まないような大きな声が厨房から響いた。


「あら、本日のケーキ出来上がったんですね」


「ああ、三ホールできたぞ。

 あ、昨日の兄ちゃんじゃないか? あれから現場見に行ったかい?

 昨日もあの近くで出たらしいぜ」


 声の主はカウンターの奥の厨房からコックコートを着たかっぷくのいい男性で、一見頑固そうな表情だがジュリアンを見ると気さくな笑顔でこちらにやってきた。


「オーナー、昨日はランチごちそうさまでした。昨日の蠅の話面白かったですよ。

 じゃあ、人数分ケーキはショコラトルテで、飲み物はコーヒー?

 それとも紅茶がいいかな?」


 皆がケーキには異議をこたえず飲み物はコーヒーと答えると「それをお願いします」とジュリアンが注文した。


「おう、じゃあ、ここでケーキ切るから、好きな席に座ってくれればいいよ。

 今、客がいない時間帯だからな」


 どうやらジュリアンは昨日このから現場の話を聞いたらしい。

 ランチの時とは違ってカウンター上からはデリの皿が退かれていたので、皆カウンターのスツールに腰かけた。

 人数分のお勧めのケーキを注文すると、奥の厨房からホール上のショコラトルテをとケーキナイフを持ったオーナーが器用にケーキをカットしながらジュリアンに話しかけた。


「で、行ったのかい?」


「行きましたよー。そしたら偶然にも蝿が人を襲うところを見ちゃったんですよ」

 カウンターの奥ではオーナーの横でウェイトレスが人数分のコーヒーを準備しながら、ジュリアンの答えに驚いて顔をしかめた。


「あなた達、あの蝿見ちゃったの? 襲われなくてよかったわ。

 そのうち新聞に載るみたいよ。

 このあたりの昔話で蝿の悪魔の話は信者じゃなくても知ってる人が多いから、なんか大聖堂の取材に行った新聞記者の人がうちや近所の店に聞き込みに来たし。

 今日のあのうさん臭い記者の話じゃ、襲われている人が皆大聖堂の神様のえせ信者だとか言ってたわよ。

 改修工事をして大聖堂を綺麗にして、電車で来た観光客の金を目当てのやつばかりだから神様の罰じゃないかって。

 ひどい言い草よね」


 話しながらコーヒーを配るウェイトレスさんの表情は暗い。きっとその取材が気分のいいものじゃなかったのだろう。


「そうなんですか。どこの新聞記者なんだろう。

 でも、改修ってあれだけ古い建物なら、今回が初めて直すわけじゃないでしょう?」


「そうね。確か十数年前、あたしが子供の時よ。

 床を直した工事をしていた覚えはあるかなあ、あの工事は床だけだからいつの間にか終わっていたし。

 ねえ、店長? その時ってこんな事件なかったですよね」


「ないない。こんな気味の悪い事件は起きてない。

 でも、事件じゃないけどあの時、床下から妙な本が出てきたとか出てこないとかって話があったぞ。

 結局その本は今はこっちじゃ使われていない言葉だし、大した価値がないものだったらしいから今は祭壇の横の保管室にあるって話だな」


 オーナーは切ったケーキを皿に載せながら、そういえば……と話し出すと、皆身を乗り出すように耳を傾ける。


「あの時は俺もまだ調理学校の学生だったし、俺の家もその大聖堂の神様の信者だからさ、ボランティアで空いた時間に大聖堂の修理作業を手伝いに行ったんだ。

 そこにな、この街の金持ちのドミニク・ボーモンが床改修は自分の依頼した会社の人間でやるってしゃしゃり出てきた上に、寄付もすごかったんだぜ。

 あ、そのボーモンってのはな、あの奥にある缶詰見えるか?

 あの缶詰とか作ってる会社の社長なんだ。この街に本社がある大きい会社の一つだな」


「あ、知ってますよ。最近は肥料の開発もなさっているとか」


 ハイト様が先ほどおじいさんからことをそのまま口にすると、オーナーが驚きの表情を浮かべた後、明らかに嫌な顔をしたので、彼も「ボーモン嫌い」の一人だと伝わってきた。


「ヴィンセンテ王子そっくりの兄さん、詳しいな」


 ケーキを切り終えたオーナーは「サービスだ」とケーキの横にマロングラッセを添えて皆の前に配った。


「いや、彼らは旅行で来たんですけど、本当はボーモンさんの会社と商談をしたいって理由でこの国に来たんですよ」


 その言葉にオーナーは露骨に嫌な顔をした。


「ああ、そうなのか?

 兄さん達、それは俺個人の意見じゃお勧めしないなあ。

 あの会社は今はいいかもしれないがいずれあいつの人間性で失敗するぜ。

 あいつを知ってる大抵の人間、俺もだが、最近のあの男のろくでなしぶりに嫌気がさしてる」


 身も蓋もない痛烈な批判。元の顔が怖いので言葉がきついとその威力は数倍で、思わずフォークを握っていた手が止まり、フォークの先からケーキのチェリーがポトリと落ちた。


「オーナー、お客さんがびっくりしてるわ」


 チェリーが落ちた瞬間を見たウェイトレスがオーナーの服の裾を引っ張ってたしなめた。


「ああ、すみません。気にしないでください。私達はオーナーの意見も参考になります。

 そういった話は知らないより知っておきたいんですから」


 気を使ってくれたウェイトレスには申し訳ないがオーナーの話に何かヒントがあるかもしれないと思って、彼女の言葉をやんわりと遮り会話を促すと、「そうか?」と気を良くしたオーナーは再び喋りはじめた。


「俺の親戚が缶詰の会社で働いていたんだが、去年の暮あたりからずっと休みなしで働かされてたせいで体壊して退職したんだ。

 しかも俺の親戚だけじゃなくてそういう人が何人もいるんだよ。

 本当だぜ。うちに来るお客さんが何人か病気になって大変だったって言ってたくらいでさ。

 そのボーモンのいとこも病気でどっか入っちまったらしいし。

 うちの常連の何人かは、入院寸前までなったって言ってたからな。

 で、その社員の皆さんが体壊した原因ってのがな、労働時間だけじゃなくて、肥料の開発の時に出した体に悪いゴミっていうのか、粉塵のようなものも理由だったんだとさ。

 開発するのはいいが社員への衛生対策とか何もしなくてそれが原因で病人が何人も出ても、見舞いどころか、病気の原因は本人の健康管理意識が低いからだとか言い張ってたらしいが、たぶん、ほんとかどうかは知らねえけど、病院かどっかから保健所に連絡が行ったんだろうな。で、保健所と言えばお役所だろ?

 保健所から何日に伺いますって連絡が途端に現場を綺麗にしたとかっていうんだぜ。

 まあ缶詰が売れてる割には、社員への待遇は悪いわ、残業代は法令の最低分しか出さないわ、忙しくても、問題が起こっても自分は仕事場に出てこず何やら別のことばかりやっているとか、とにかくここ一年くらいあいつの評判は……、もともとよくなかったが今はそれ以上だ。

 そんな奴だから、あの男の奥さんが春先あたりから見なくなったときには皆、釣った魚には餌をやらない男だから、やっぱりなと陰で皆同じことを言ってたな。

 その居なくなった奥さんてのが、今までの結婚相手の中で一番宝石が欲しいだの、どっかに行きたいだの金にうるさい女だって評判だったから」


「今までの結婚相手? 何回再婚されたんです?」

 つい言葉尻を取って話を中断させてしまったが、私の突込みにも気を悪くすることもなくオーナーは答えてくれた。


「前の奥さんが四人目かな」


「四人目?」


 全然蝿とは関係ない話の方向だが、そのボーモン氏の再婚回数に思わず皆が身を乗り出す。


「で、四人目が一番最短記録のはずだぞ。

 去年の秋に結婚して春には居なくなっちまったんだよ。

 この街じゃ嫌われ者だが、とにかくあいつは女好き、どっか行っては気に入った女に湯水のように金を使うんだ。この通りからちょっと離れた酒場の多い通りがあるんだが、そこで気に入った女を見つけると、女が欲しがるものをすぐに持ってくんだ。

 で、金に目がくらんだ女は結婚したとたんに奴の正体を知って我慢できなくて、あいつに愛想尽かして出て行くってことよ」


「家庭でも、会社の中も……色々ある方なんですね」


「ああ、缶詰は売れているから金には困ってないみたいだが、それもいつまで続くかね。

 店も会社も、組織ってのは人で成り立つものだろ?

 あんな人間が上に立ってちゃおしまいよ。

 あ、すまないな、愚痴ばっかり聞かせて。さあ、食べて行ってくれ。

 なんか皆すごく聞き上手だから、べらべら喋って申し訳なかったな。

 良かったら奥に試作の林檎と杏子のミルフィーユもあるんだが食ってくか?」


 一人で喋りすぎちまったよ、と頭をかくオーナーの提案に一見強面のセリム様が満面の笑みを浮かべて「ぜひ」と真っ先に答えたので、その場は一気に笑いの渦に変わった。



読んでくださってありがとうございます。

次は11/1に投稿予定です。

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