朝の続き
死ぬかと、思いました。
三人分の体重を乗せた自転車は下り坂を物凄いスピードで下り、ノーブレーキで学校に着きました。お陰様で遅刻はしませんでしたが、寿命は縮まりました。玲のはしゃぎっぷりがハンパなかったです。「またやろうね」と言っていましたが、もう二度とやりたくありません。「れいちゃんにはついて行けない」と言ってやりました。
ほんと、死ぬかと思った。
私のクラスは一組なので、二人とは昇降口で別れた。
ゲーム画面そのままの空間が目の前に広がる。ああ、この下駄箱知っている。この廊下も、この教室も。ガラガラという引き戸の音までゲームと同じで感動してしまう。
すごいなぁ、なんだか知らないけど本当に乙女ゲームの世界にいるんだ。
このゲームのファンだった私は、じわりじわりとテンションが上がっていく。だってここは間違いなくあの世界で、あの玲と璋がいて、会話して頭撫でられて手握られて、もう、もうっ、すごすぎる!!と一人無言で興奮していたが、新入生は興奮するものなのかあまり目立たずに済んだ。
「はい、皆さん。おはようございます」
きたー、隠れキャラクラッシャー!!!
背が低めのふわふわ天然パーマの先生は、天使がそのまま成長したような可愛らしい顔をしていた。これで31歳独身男性という設定なのだから怖い世界だ。
「僕の名前は天宮倖使です。これから一年間皆さんの担任を受けもちます。よろしくお願いしますね」
にっこりと微笑むあまみー。天使だ。天使がおる。こんな可愛いあまみーが何故隠れキャラクラッシャーかというと、隠れキャラを出すために主人公を成績優秀文武両道で成長させていくとあまみーの好感度も自動的に上がってしまい全然イベントこなしてないのに突然のあまみーエンドになってしまうのだ。隠れキャラよりも表キャラが優先されるからこそ起る現象。私も何度か経験しました。
そうこのゲームは三年間学校に通って勉強して部活してバイトして、卒業式の後告白したりされたり何もなかったりという育成タイプの乙女ゲームなのだ。
あまみーなんてほいほい恋人できそうなのに、なんで教え子にいっちゃうのかな?出会いの場がないのかしら?
そんな失礼な事を思っていたら、ふとあまみーと目が合った。
「どうしました?なにか質問でもありますか?」
「え?いえ……」
首を傾げていたからか、目立ってしまったようだ。
「はーい、しつもーん。せんせー、恋人はいますかぁ?」
この質問は、ゲームでもあった!!
後ろの方の女子が元気良く質問した。
「恋人、ですか?……残念ながら仕事が恋人です」
「じゃあじゃあ、好きな人はいますか?」
仲良しなのかその隣の女子もきゃっきゃ言いながら質問を重ねた。
「好きな人……今はいませんねぇ」
女子達が華やぐ。あまみー大人気だ。こんな可愛い容姿だけど、意外と男らしいんだよね。うんうん、かっこかわいいあまみー、いいよねぇ。わかるわかる。
にやにやとことの顛末を見ていたら、また、あまみーと目が合った。とりあえず笑ってみると、あまみーは苦笑した。
「はい、皆さん。時間です。移動しますよ」
大きくないのによく通る声で皆を誘導する。皆ぞろぞろと教室を出た。
「なにか困ったことがあったら、僕に言ってくださいね」
私が教室を出るときにあまみーがそっと耳打ちしてきた。
皆にばれないように頷くのが精一杯だった。
うおーーー、あまみーの耳打ち、破壊力パナい!!ぞくぞくするー!!!
にやけそうになるのを抑えながら体育館へ向かった。
「えー、というわけで、新入生のみなさんには……」
ゲームにはスキップ機能が付いているけれど、現実にはそんなのあるわけない。校長先生の長くありがたいお話を聞く。新入生の中でこの話を真面目に聞いている人は何人いるんだろう?あー、会長は聞いてそうだな。そういえば会長はどこにいるんだろう?
視線を巡らせるが会長らしき人物は見当たらない。現実に薄紫色の髪の生徒なんている訳がなかった。校則違反だもんね。残念だ。
「次に新入生挨拶。新入生代表、雪村明」
「はい」
凛とした声が体育館に響いた。おお会長、そんな前にいらっしゃったか。
「本日は、私達新入生の為にこのような盛大な式を挙げてくださり、誠にありがとうございます。この春の麗らかな日差しの中、伝統ある鳶立学園の門を……」
会長の麗しいご尊顔を拝見する。おお、やっぱり似てる。三次元なのに、会長にそっくりだ。すごいな。
雪村明会長はいずれ生徒会長になるお方だ。温和怜悧、智勇兼備。穏やかで優しく、勇気があり、賢い。いつも学年上位をキープしている秀才。なぜ製作陣は会長に眼鏡を付けなかったのか、悔やんでも悔やみきれない。眼鏡キャラが二人いたっていいじゃない。人間だもの。
完璧超人に思える会長は無自覚ドSという武器を持っている。そして多分璋よりも巧妙にむっつりを隠している。そんな失礼な事を思っている内に会長の素晴らしい挨拶は終わったらしく、会場を温かい拍手が包んでいた。
「はい、皆さん。では出席番号順に自己紹介をしましょうか。今頑張ろうと思ってる事を簡単に教えてくれると嬉しいです。ちなみに僕は、自炊を頑張ろうと思ってます。昨日うっかり買ったキャベツ一玉をなんとかしたいです」
教室に戻ってくると自己紹介タイムに突入した。おおお、知ってるこれ。自己紹介に何を一言加えるかでこの後会話するキャラが決まるんだ。色々選択肢が出てきて選べば主人公がうまいこと喋ってくれてたけど……。現実に選択肢なんて無い。え、どうしよう。
ぐるぐる悩んでいるとついに私の番が回ってきた。おずおずと立ち上がる。
「えっと、私が頑張ろうと思っている事は、……ええと」
勉強って言ったらガリ勉だし、部活動は決めてないし、恋愛なんて恥ずかしいから言えないし、バイトなんて堂々と言うもんじゃないし。
「……えっと……」
うう、どうしよう。何も出てこない。沈黙が辛く長い。
「ああ、ごめんなさい。まだ、決まってなかったかな?ではその内、決まったら僕にこっそり教えて下さい」
「……はい」
うわーん、私のばかばか。
選択肢を失敗した時の主人公の台詞が浮かぶ。こんな時だけ同じなんてひどい。
恥ずかしくて俯いたまま席につく。クラスメイト達の自己紹介は当たり障りのないものや、ひたすら遊びたいという無邪気なものもあり、その一つ一つにあまみーは優しいコメントをしていく。
「実は、僕も何をするか決めていません。充実した一年にしたいとは思っていますが漠然としていて……」
その中に会長がいたのには驚いた。しかもその内容にも驚いた。あんなに立派な新入生挨拶ができる会長がふわっと展望のない事を言っている。なんでだろう。
「充実した一年、いいですね。あ、そういえば、クラス委員というものがありまして、今日中に決めなきゃいけないんです。突然ですが、皆さんの中で立候補したい方はいますか?」
「……」
しんと静まり返る教室にただ一人、会長だけが席を立っている。
「雪村君、クラス委員はどうでしょう?」
「え!?いや、僕は今、自己紹介で立っていただけで……」
「充実した一年になること請け合いですよ」
「え、それはそうでしょうけど、でもそこは皆に聞いてみないと……」
「さて、皆さん。雪村君で異議が無ければ拍手をお願いします」
満場一致の拍手が教室を包み込んだ。
「どうでしょうか、雪村君?」
「……僕でよければ、させていただきます」
会長はこの一年、委員長と呼ばれる事に確定した。
「はい、それではまた明日」
あまみーの柔かな挨拶で今日一日の行程が終わった。
ゲームだとこの後に誰かと会話するんだけど、さっきの選択肢、誰に該当するんだろう?選択しないなんて選択肢はなかった。このまま誰にも会わずに終わるのかな。
「あ、ちょっと待って」
会長改め委員長が私を呼び止めた。
まさかの委員長?!確かゲームでの登場選択肢は勉強だった気がするけど。
「副委員長を決めてって天宮先生に言われたんだ。君、何も決めてないんだよね?僕と一緒にクラス委員やってみない?」
初対面の私を誘うなんて、さすが乙女ゲーム。主人公の求心力は変わらないらしい。でも副委員長なんて無理無理無理無理。
「えっと、私、みんなの前に立つの向いてないと思うんだけど」
さっき頭真っ白になっちゃってたし。
「そうかな?素直な感じで良かったけど」
あの恥ずかしい失敗が素直な感じ?何故そうなるの?委員長のドS心でも刺激したんだろうか?
「私には荷が重すぎるよ……。ごめんね、せっかく誘ってくれたのに」
「ううん。その、さっきのはあまり気にしなくいいと思うって伝えたかっただけなんだ」
なんてこった。変に疑ってごめんなさい、委員長は優しい良い人でした!
「ありがとう、雪村君」
心から感謝すると、委員長もふわりと微笑んだ。
「……じゃ、また明日教室で」
ああ、委員長かっこいいなぁ。
ひらひらと手を振りながらしんみりとそう思った。
こんな素敵な彼等と、上手くすれば仲良しになれる。私は彼等と釣り合う為に努力しなければならない。
パラ上げをしよう!!
月から土までの平日と日曜祝日、主人公は行動を決めて地道に努力してパラメータを上げていく。お休みの日は彼を誘ってデート出来るけど、今の取り柄のない私に誘われたって嬉しくないだろう。今はひたすらパラ上げします。パラメータなんて見えないけれど。
まずは勉強!!
入学式当日に早速図書室に行く生徒なんて居らず、しんと静かな空間は勉強にはもってこいの場所だった。
お昼ご飯持ってないから、ここでちょっと勉強したら帰って家で勉強しよう。
昨日教科書とノートを鞄に入れておいて良かった。なんか知らないけど持って行こうって思ったんだよね。
「……」
昨日までの私はここがゲームの世界だと知らなかった。という事は、主人公そのままだったという事になるのだろうか?では今の私はなんだろう?このゲームのファンだった記憶がある「私」は誰なんだろう。そもそも私はゲームの主人公のように可愛らしい中身ではない。私は天然小悪魔にはなれないし、あの主人公はうおおお、マジか!とか言わない。
あの子は私じゃないけれど、私はあの子になっている。
そうして、私は彼等と恋がしたい。
二次元ではない彼等と。
ゲームを好きだった「私」の記憶はゲームに纏わるものしかないけれど、私は私だ。でき得る努力をして、この世界を生きよう。
真新しい教科書を開く。
何も書かれていないノートに、解らない単語を書き写していく。世の中わからないことだらけだ。
集中して周りの音が遠くなっていた。
ぐぅ〜っとお腹が鳴って我に返ると、くすくすと忍び笑いが聞こえた。
「随分熱心じゃない」
そこに居たのは、ゲーム唯一の眼鏡キャラ国好一色だった。
……ヤバい食われる。処女的な意味で。
三次元の女好きキャラは、そう思わせる程の目力とフェロモンを醸し出していた。
ここは乙女ゲームの世界。18禁じゃなかったから、きっと大丈夫……だよね?