第96話 神聖十字軍⑯
2月12日。深夜。
トラキウムであてがわれた士官用の寝室で、夜の読書をしていたアレクの元に、緊急の報告が入る。
「アレク様、『奴』が現れました!!」
「分かった、すぐに行く」
アレクはそう言うと、身支度を整えて外へ出た。
数分後。トラキウムの東の城壁にて。
「おぉ! アレク殿、来たか!」
ドグラ将軍が厚手のコートを羽織り、鼻水をすすりながら、アレクを出迎える。
城壁の上は騒然としており、兵士たちも士官たちも、皆、一点の空を見つめている。
彼らが見つめる先には、蒼く巨大な飛竜が悠然と飛翔していた。
そして、その背には一人の仮面をつけた男が騎乗している。
「奴さん、今日も見物だけのつもりかね? こう毎晩だと、たたき起こされるこちらの身にもなって欲しいもんだ」
「分かりません。しかし、奴はフロル守備隊をたった2騎で潰走させたそうです。油断は禁物ですよ」
アレクはドグラ将軍にそう告げる。
「全く、こんな夜中に、何で毎晩『魔王』を拝まされにゃならんのだ。まぁ、『女房の顔』を拝まされるよりかはましだが……」
ドグラ将軍が、本気とも冗談ともとれるきわどい発言をする。
ドグラ将軍の発言の意図はともかく、要するにこれは、アレクの「自作自演」だ。
今、ドグラ将軍とアレクが目撃している人物は、無論、魔王ではない。
「ある人物」に協力してもらい、魔王のふりをしてもらっているのだ。
だが、そんなことは神聖十字軍の将官たちはもちろん誰も知らない。
彼らは、「蒼い飛竜に乗った仮面の男」が魔王であるとのフロル敗残兵の証言により、今、上空に、魔王を目撃していると思い込んでいるだけだ。
無論、この場に「本物の魔王」であるアレクも居合わせている。
これにより、後々、「アレクも他の将官たちと一緒に、魔王を目撃していた」というアリバイができる訳だ。
しかし、とアレクは思う。
こんな策ははっきり言って「子供だまし」だ。
正直、今回、かなり危ない橋を渡っているのは間違いない。
実際、ヴァンデッタを開放するために軍を動かしてしまっているし、フロル奪還の晩には俺もルナもトラキウムにはいなかった。
細かく調べられれば、不審な点が見つかってしまう可能性は十分にある。
だが、そのリスクを冒してでも、今は何としても、神聖十字軍を無事に国へと帰らせなければいけない。
やがて、1時間ほどすると、魔王もどきは東の空の彼方へ消えていった。
「ホゥ! やっぱり今日も帰っていったか。明日にはサラザールもトラキウムに到着するそうだ。『魔王探し』はあの坊やにやってもらうとするさ」
一つあくびをかみ殺し、ドグラ将軍は暗にサラザール卿のことを「坊や」と馬鹿にするのであった。
約3時間後。早朝。フロルの街。
今、この街には、27万の神聖十字軍が駐留している。サラザール卿が魔王探索部隊として、メアリ教国軍精鋭10万を引き連れて出ていってしまったので、フロルに残っているのは、主にアルドニア、ユードラントの軍がほとんどである。
「ひぃ~、寒いなぁ。吹雪いてるじゃねぇか」
交代で城壁の上にやってきた衛兵が、白い息を吐きながら愚痴る。
日付が変わったぐらいの時間帯は、良く冷えてはいたが、雲一つなく、月明かりの美しい静かな夜だった。
ところが、明け方になり、急激に天候が崩れ、いまでは猛烈に吹雪いて、1メートル先も見えない。
「こんだけ吹雪いてりゃ、見張る意味もねぇな」
「ちげぇねぇ、敵さんも今日は家にこもって酒でも飲んでらぁ」
彼らは笑いながら、そんな与太話をしていたのである。
ところが、
「ふふっ、こんなものかしら」
フロルから10キロ以上離れたとある場所。
念入りに組まれた魔法陣の真ん中に立つ絶世の美女が妖艶な笑みを浮かべる。
彼女の名は、イザベラ=ローレライ。
全人魚の女王であり、「群青の妖妃」と呼ばれる魔王軍四天王の一角である。
彼女は、自らの無尽蔵にあふれ出す膨大な魔力によって、フロル周辺に「作為的に」吹雪を発生させていたのである。
無論、いくら気まぐれな彼女とて、「余興」でこんなことをしでかすはずがない。
彼女がフロル周辺に吹雪を発生させ、神聖十字軍の「視界」を奪ったのは……。
「うぉおおおおおおおおお!!!!!」
「!?」
やにわに吹雪が収まり、視界が開けてきた神聖十字軍の眼下に、信じられない光景が広がっていた。
なんと、フロルの周辺に、何十万もの魔王軍がひしめいているではないか!
「そ、そんなバカな……」
絶句する衛兵たち。
「オイオイ、いくら吹雪で視界を奪われてたって、こんだけの大軍の接近に『ここまで』気付かない阿保がいるもんかよ?」
「なっ!?」
衛兵たちは、いつの間にか目の前にいた人物に驚愕する。
いわゆる「イケメン」とでも言おうか。精悍な顔立ちに引き締まった筋肉。女子が放っておかないような容姿ではある。
しかし緑がかった肌の色に赤い目をしており、どう見ても「人間」ではないことは明らかだ。
「き、貴様、何者だ!?」
「オイオイ、幼稚な質問だなぁ。まぁ俺様は親切だからな。答えてやらんでもないぜ」
「俺の名はジオルガ=ギルディ。魔王軍四天王の一人で、お前たちを一人残らず皆殺しにするためにここに来た。OK?」
「そ……」
声を発した衛兵の、首から上はもうなくなっていた。
オークの突然変異体であるジオルガは、細身な見た目からは想像もできないほどの膂力を有しており、自らの背丈ほどもある巨大な金棒を、まるで玩具のように軽々と振り回すことができるのだ。
「巌の狂戦士」ことジオルガ=ギルディ。単純な「筋力」だけなら、「魔王」も含めて、魔王軍最強の男である。
「テメェら。やっちまえ!!」
「ひゃっはぁああああああ!!」
ジオルガは眼下のハイオーク部隊に合図をする。信じられないことに、オークたちは、フロルの城壁を素手でよじ登り始めた。
「て、敵襲! 敵襲!!」
フロルの街は、蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。
「……。全く、ジオルガめ、誰が自分から前線に出よといった」
遠くからその様子を眺めていた老騎士がため息をつく。
「フロルの城下町はオークどもが制圧するだろう。我々は周辺に展開している敵軍を機動力をもって各個撃破する」
「ハッ!」
「公! 敵の騎馬隊です! 真っすぐこちらに突っ込んできます!」
どうやらフロルの周辺に展開していた一部隊が、魔王軍の包囲をぶち破るべく、突撃を開始したようだ。
「よい。ワシが対処する。他の者たちは陣形を崩さずその場に待機。ケンタウロス騎士団、500騎、出撃する!」
老騎士はわずか500騎を連れて、倍の敵に突撃を開始した。
魔王軍ケンタウロス騎士団500騎 VS 神聖十字軍重装騎馬隊1000騎
それはまさに「芸術」の域であった。
老騎士は自ら雁行隊形の先頭に立ち、敵騎馬隊中央を軽々と突破した。
もし、この様を上空から見ていたものがいたならば、まるで定規で測ったかのように左右均等に敵軍が中央分断されたその「正確さ」に驚いたであろう。
「反転! 敵軍と並走し! 包囲せよ!」
敵軍を中央突破したケンタウロス騎士団は、老騎士の指揮に従い、一糸乱れず左右に反転し、敵と並走しながら、「挟みこむ」形で敵を包囲する。
「せん滅せよ!」
雷のような号令が轟き渡る。
神聖十字軍騎馬隊は、「薄い」部分に割って入られ、さらに細かくいくつもの小隊に分断されながら、あっという間に細切れになり、各個撃破されていった。
「お見事でございました。公」
「フム、歯ごたえのない。やはり『ダルタ人騎馬隊』が相手でないと、張り合いがないわい」
息すら乱れずに帰還した老騎士は、そう独り言ちる。
彼こそは魔王軍四天王の一人、「雷切」ダンタリオンその人である。
戦略・戦術・戦闘、いずれの段階においても抜群の指揮能力を発揮し、攻守ともにバランスの取れた、万能型の将官の極みに位置するような老将である。加えて、ダルタ人最強の将「デアル=マジード」と一騎打ちをして引き分けるほどの武力も有している。
そんな「オールラウンダー」は、戦場全体を広く俯瞰しながら、敵軍の包囲を着々と完成させていくのであった。
ジオルガ、イザベラ、ダンタリオン。
ついに魔王軍が誇る最強の「四天王」達が解き放たれた。
これまでの数か月の遠征で行われたような「お遊び」戦闘とはわけが違う。
ここに、神聖十字軍と魔王軍の、生き残りをかけた、真の意味での、「第111次神聖十字軍の戦い」が幕を明けたのである。