第94話 神聖十字軍⑭
前回までのあらすじ
魔王国中央部の商業都市フロルで大虐殺を行ったジュリアン=サラザール率いる神聖十字軍本軍。彼らはフロルの街に僅か3千の守備隊のみを残して、さらに魔王国の奥地へと侵攻を再開する。1月15日深夜、フロルを預かる守備隊の隊長、カルボーネ司祭は、部下から緊急の呼び出しを受ける。呼び出しに応じ、城壁に出たカルボーネ司祭は驚愕する。フロルの上空を、巨大な蒼い飛竜が旋回するように飛び回っている。そして蒼き竜の背には、仮面をつけた男が一人。素顔は見えないが、その男が手にしている、「圧倒的な魔力を放つ剣」が、彼の正体を告げている。
「ま、魔王だ!!!!!」
そう叫んだ瞬間、蒼い飛竜が放った巨大なファイアブレスが、カルボーネ司祭を包み込み、彼は一瞬のうちに蒸発してしまった。
「か、カルボーネ司祭!?」
フロルの衛兵たちは完全にパニックに陥る。
「き、貴様は何者だ!?」
「光の勇者」候補生の一人だろうか。右手に剣、左手に盾を持ち、白いマントをはためかせた青年が蒼き竜に跨る男にむかって怒鳴りかける。
彼はカルボーネ司祭の死に際の言葉を聞いている。そのため、竜に跨るこの男が誰なのかという点においては、おおよその察しがついている。
しかし、信じられない。あるいは信じたくないという気持ちから、つい、この男に正体を尋ねてしまったのである。
「我は魔王」
男は、冷酷で、無慈悲な声色で、一言そう告げる。それは勇者候補生の淡い期待を裏切る回答であった。
「汝らを粛正する」
「なっ、うっ、クソッ、皆、落ち着け!」
魔王の「圧」に怯みながらも、何とかまわりを鼓舞する勇者候補生。
あせるな。敵はたったの二人。この男と、上空で飛竜に乗った女がもう一人いるだけだ。
フロルには3千もの守備隊がいるではないか。冷静に対処すれば大丈夫だ。
まてよ?
そこで、勇者候補生の思考が歪む。
そうだ。相手はたった二人だ。
我々でも勝てるかもしれない。
もしも、もしも、「魔王」を討ち取ることができれば、俺は、俺は……。
「かかれ!!」
「うぉおおおおおおおお!!!」
もはや、彼らの目に恐怖の色はなかった。我こそが戦果を挙げようと、城壁の上の魔王の元へ殺到する。
「死ねぇぇえ!!!」
だが、
「羽ばたけ。ヴァンデッタ」
「承知!」
魔王の合図で、蒼き飛竜は一気に飛翔する。
「なっ!?」
驚いて目を見張るフロルの衛兵たち。この間抜け面が、欲に目が眩んだ愚か者どもの最後の表情であった。
「滅びよ」
魔王は膨大な魔力を収束し、眼下の兵たち目掛けて一気に開放する。
遥か上空で放たれた風の魔法は、強烈なダウンバーストとなって城壁の上の兵たちをぺしゃんこに圧し潰した。
「ひ、怯むな! 神官隊、前へ!」
勇者候補生の合図で、神官隊が上空の魔王目掛けて、一斉に光魔法を撃ち始める。
「シッカリ掴マッテオレ、『魔王』ヨ」
「あぁ!」
ヴァンデッタはふわりと羽ばたいて一旦城壁から距離を取ると、次の瞬間、光魔法をかいくぐって、猛然と敵に突進した。
「ひ、ヒィ!」
神官隊は、音速で突っ込んでくるヴァンデッタの翼にぶち当たって、天高く吹き飛ばされる。
彼らが生きて着地することはないだろう。
「な、ならば弓兵隊だ! 『白エルフ』の弓兵隊をここに呼べ!」
勇者候補生は悲鳴に近い声で命令する。
しかし、
「炎剣レヴァンテイン!!」
上空に待機していた、「もう一人」が突如動いた。
彼女は手にした槍に炎を纏わせ、巨大な剣の形にすると、魔王を狙撃しようと弓を構えていた白エルフ隊目掛けて振り下ろした。
白エルフたちは、弓矢を発射することなく燃え尽きてしまった。
「あ、あわわわわわ……」
勇者候補生は、完全に戦意を失ったようだ。腰を抜かしている。
そんな彼の目の前に、「魔王」が降り立った。
「た、頼みます! 命だけは助けてください!」
彼は地面に頭をこすりつけて泣きながら懇願する。
その様子を、魔王はゴミでも見るような目つきで見下す。
なぜなら、勇者候補生の首には「略奪品」と思われる、高級そうなネックレスがいくつもぶら下がっていたからだ。
虐殺に加担し、嬉々として無抵抗の民をなぶり殺しにしておきながら、自分が同じ目に遭えば、涙を流して命乞いする。
救いようのないクズである。殺すに一切の同情もない相手ではあるが……。
「……。五分やる。敗残兵をまとめ、直ちにこの街を去れ。それ以上長居するというのであれば、皆殺しにする。略奪品や捕虜を持ち出そうとした場合も同様だ」
「は、はい!」
こうして、勇者候補生はフロルの守備隊の生き残りを引き連れて、早々に退散した。
―― ふぅ
俺は仮面を外し、一息つく。
気が重い。
フロルの守備隊は、間違いなく「虐殺」に加担した兵たちだ。
本当なら今日ここで、彼らには命をもって、その罪を償わせてやりたいところだ。
彼らを見逃すというのは、殺されたフロルの人たちに申し訳が立たない。
だが、彼らが生きて、今夜のことを神聖十字軍本軍に報告することが、今後のためにどうしても必要なのだ。
「フム、アレダケノ人数差ガアリナガラ、ヨク『魔剣』ナシデ戦ッタモノダ」
ヴァンデッタが俺に話しかける。
今回、戦闘開始前に魔王であることを知らしめるために「魔剣」の開放をしたが、戦闘中には一切使用していない。
「ソレデイイ、アレハ『魔王』デアルコトノ『象徴』デアッテ、戦闘ニツカウベキ物デハナイ。『余程』ノ事ガナイ限リナ」
「アレク様、捕虜の娘らを、どうされますか?」
ルナが不安そうな顔で俺に尋ねる。彼女らをフロルに残しては、いずれまた神聖十字軍本軍に捕まってしまう。かといってトラキウムに連れていくことなどできようはずがない。
「直ちに開放してやってくれ。彼女らが安全に退避できるように、手は打ってある」
「ハイ! 直ちに」
ルナは心底ほっとしたような様子で命令に従う。
「『焔ノ舞姫』ヨ、妾モ手伝ウゾ。娘タチハ心ニ深イ傷ヲ負ッテオル。コウイウ時、男ハ近ヅカン方ガ良イ」
「ヴァ、ヴァンデッタ様、しかし……」
「ナニ、妾ガ『人間形態』ニナレバ、ソノグライ造作モナイ」
「……」
俺は彼女らの会話を聞きながら、思考していた。
今日の出来事は、間もなく神聖十字軍本軍に伝わるだろう。
サラザール卿が、こちらの「予想通り」に動いてくれればいいが……。
そして、今回のことは遠からず魔王軍にも伝わるはずだ。
彼らは神聖十字軍と違って、「魔王」を直接見た訳ではない。
戦争中にはよくある、「デマ」の一種に過ぎないと一笑に付してくれれば幸いである。
だが、「その一報」をロドムスが受け取ったときに、あいつならどう行動するだろうか?
俺は冬の夜空を見渡す。
先ほどまではよく晴れて満点の星空が見えていたが、今となっては風が強まり、巨大な雪雲が急速に空を黒く覆いつくす様子を眺めるのであった。