第91話 神聖十字軍⑪
12月31日。エルトリア城。屋上。
もう間もなく年が明けようという時間だが、シルヴィア姫は、屋上で一人、毛布にくるまって星空を眺めていた。
「姫様、こんなところに……。お体が冷えますぞ、中にお入りください」
彼女の行方を捜していたのだろう。
屋上の入口の階段に現れたセバスチャンが、シルヴィに声を掛ける。
「うん、もう少ししたら降りるから……」
彼女はぼんやりと星を眺めながら、セバスチャンの問いかけに答える。
「……」
何かを察したように、セバスチャンは無言で戻っていった。
間もなく年が明ける。
シルヴィは昨年もここで毛布にくるまって、新年を迎えたのだ。
違いは、去年はアレクと二人で、静かに、だが最高の年明けを迎えることが出来たのに、今年は一人ぼっちだということだ。
「アレク様……」
シルヴィはぼんやりと彼の名を呟く。
アレクが神聖十字軍に参加してから、既に2か月以上が経過している。今までも何度か戦争で彼と会えないことがあったが、これほど長く会えないのは初めてだ。
そして、いつ彼と会えるのかは、今のところ、まだ全くわからない。
戦況は断片的にしか伝わってこない。
「神童サラザール卿が、魔王国への突入に成功した。彼は若くして大きな快挙を成し遂げたのである」
神聖十字軍大本営から発表されたその一報に、中央六国の市民たちは熱狂した。
「流石はサラザール卿だ」と彼をほめたたえる声が日増しに高まっている。
だが、シルヴィはこれらの報に、全く興味がなかった。
彼女が知りたいのは、エルトリア王国の兵士たちと、そして、愛しいアレクの安否である。
サラザール卿の活躍については大々的に喧伝されるのに、彼女が知りたい情報は一切入ってこない。
何度問い合わせても、「作戦行動中ですので、詳細はお伝え出来ません」の一点張りだ。
日付が変わり、新しい年を祝う花火が打ちあがり、街からの歓声が風に乗って聞こえてくる。
だが、シルヴィにはそれが、どこか自分には関係のない遠い世界の出来事であるように感じられる。
「……。アレク様、どうかご無事で」
彼女は天に向けて祈りをささげるのであった。
第4歴1300年1月6日。
チラチラと雪が降る中、北東方面へ進軍していたアレク率いるエルトリア・ケルン連合軍1万は、目的地を視認した。
「あれは一体?」
ダイルンが不思議そうな顔をする。
彼の目線の先には、無機質な建造物が建っていた。
大きいといえば大きいが、城や要塞の類ではなく、重要な施設にはとても見えない。
だが、建物のまわりには魔王軍の兵士が数多く展開しており、警備は厳重そのものだ。
ざっと見渡しても7千から8千ほどの数はいる。兵種も、オーク、ゴブリン、狼男などの他に、ケンタウロスの騎士、デュラハンの剣士、緑エルフの弓兵などもおり、兵達の練度も高いようである。
魔王国の北東の辺境地。想定される神聖十字軍との主戦場地からかけ離れ、かつ、街などの拠点も存在しない「地の果て」のような場所に、何故このような厳重な警備が施されているのだろうか?
「……。いずれにせよ、我々が生きて帰るためには、どうしてもあれを落とさないといけないんだ」
アレクの言葉に、ダイルンは無言で頷く。その顔に、もはや疑問の色は見られなかった。
「今回は奇策なしの正攻法だ。真正面から突撃するぞ!」
彼の言葉に、鬨の声が上がる。魔王軍もこちらに気付いたが、もう関係ない。
「行くぞ! 全軍突撃!」
アレクの号令を機に、エルトリア・ケルン連合軍1万は、謎の建造物を守る魔王軍8千に対して、攻撃を開始した。
戦況は一方的であった。
魔王軍も練度が高く、精鋭の部類には入るのだろうが、何しろエルトリア軍の強さは別格であった。
「行くぞ、クソガキ」
「誰がクソガキだよ!」
第2軍は隊長のダイルンが的確な指示を出し、ナユタが圧倒的な武力でその指示を正確無比にこなす。
最古参の兵が多い部隊なので、連携もばっちりだ。
「騎馬隊、全騎突撃! 3列斬り込んだら、すぐに離脱するぞ」
「ハッ! 隊長! 皆、気を引き締めて、お願いします!」
第3軍は騎馬隊を中心とした部隊である。隊長のガロン兄は、タイネーブ騎士団領出身の双子の兄弟の兄の方だ。タイネーブ種の大柄な馬を、まるで自身の手足のように自由自在に操り、ランスと呼ばれる円錐状の槍を縦横無尽に繰り出して、敵を次々と討ち取っていく。
副長のニールはダイルンと同期の最古参の兵だ。もともと「蹄鉄工」であったため、(※第4話参照)馬の扱いにはもともと慣れていた。エルトリア軍に入ってから、派手さはないが堅実に成長を続け、今では同軍騎馬隊の副長を務めるまでに出世したという訳だ。
彼が、隊長であるガロン兄を補佐し、騎馬を用いた巧みなヒットアンドアウェイ戦法を駆使して、じわじわと敵軍の余力を削り取っていく。
「気張るな~お前ら~。適当にいけ、適当に~」
「た、隊長、そんないいかげんな指示では……」
第4軍は軽装の精鋭歩兵と弓兵の混成部隊だ。一見すると連携が取れていないようにも見えるが、隊長のワルター=ダビッツが敵を挑発し、「乗せられて」出てきた敵兵の一団に、副長のウィルソン率いる弓兵隊が、しこたま矢の雨を降らせかける。
逆に弓兵隊が狙われた時は、歩兵隊が救援に入り、その隙に弓兵隊を安全地帯まで退避させるなど、極めて臨機応変に戦っている。
ワルター=ダビッツは元「光の勇者」という異色の経歴の将だ。
酒癖も勤務態度も悪く、とても勇者であった人物には見えない。
だが、剣の腕、指揮官としての才能、そのいずれも極めて高い水準でバランスよくまとまっており、戦場全体を見渡す「目線」も素晴らしく、間違いなく「名将」の器である。
右手に剣、左手に盾を持つ、いわゆる「勇者式」の剣術の達人である。(もっとも、通常の勇者が剣と盾を構え、美しく洗練された所作で戦うのに対し、ワルターのそれは、剣と盾は構えるものの、随分と「舐めた」構えである。それで強いのが、また彼のすごいところであるのだが……)
ウィルソンは、ダイルン・ニールとともに、アレクが最初に「シルヴィア私兵隊」の立ち上げを行った時から参加している最古参だ。
常に自信がなく、おどおどしている印象だが、人一倍の努力家だ。体力はないが、弓の才能があり、軍に入ってからはひたすらに弓の訓練に明け暮れた。今では「左右の手の長さが微妙に違う」ほどの訓練のかいあって、見事、「エルトリア軍一の弓取り」の称号を得るに至ったのだ。
適当で楽天的なワルターと、内気でやや神経質なウィルソンの、相反する性質が相互に補填し合った結果、第4軍はどんな環境でも強い「万能部隊」として仕上がった。
第1軍と第5軍は本国に残っているため、今回の神聖十字軍には参加していないが、これこそが、アレクが心血を注いで作り上げた、「エルトリア軍」の陣容である。
そうこうしているうちに、大方の戦況は決したようである。敵が撤退を始めたが、追撃は不要だ。
一連の状況を本陣から眺めていたアレクは、戦果に満足した。これまでの戦争では、アレク自ら先頭に立って戦うことが多かったが、今回の戦闘は、アレクもルナも出撃しないまま勝つことが出来た。
軍の規模が大きくなるにつれ、指揮官がいつまでも先頭に立って戦うべきではない。現場を任せられる将たちが育ってきたため、これからは本陣で全軍の指揮に専念することが出来るだろう。
特に、「武」の面に関して、ナユタ、ガロン兄、ワルターの強さは「別格」である。
軍の規模は小さいが、「質」に関して言えば、エルトリア軍は、列国の軍と同等、いやそれ以上に仕上がっているといって過言ではない。
――「アレク将軍、片がつきましたぜ」
ダイルンが俺に報告してくる。
「分かった。俺とルナは、あの建物に用がある。用事が済むまでここで待機、誰も建物に近づけないようにしてくれ」
「ハッ!」
こうして、俺とルナは、伴もつけずに、建物の中に入っていった。
建物の中は、入ってすぐ分厚い壁に覆われた廊下になっており、やがて一つの巨大な扉に行き着いた。
「……」
俺は魔力を流し込んで、「結界」を解く。
扉がゆっくりと開いて、中の様子が見える。
室内はがらんとした広い空間である。
そして、その広い室内に、彼女はいた。
鎖で縛られた格好で、静かにこちらを見ているのは、一匹の「飛竜」である。
ルナの相棒の飛竜「テンペスト」の2倍はあろうかという大きな飛竜だ。
全身が濃い青色をしており、美しく、そして荘厳な雰囲気を醸し出している。
「ヨク来テクレタ。『魔王』ヨ」
彼女は口を動かさず、俺の脳内に直接語り掛けてくる。
「全ク、ろどむすカラ逃ゲルナラ、何故妾ヲ連レテカナンダ? 妾ハ汝ノ『ぱーとなー』デハナカッタノカ?」
「すまなかった。逃げるのに必死で、お前を連れてく余裕がなかったんだ」
俺は彼女に謝罪する。
「マア、良イ。ソレデドウスルノダ? 妾ガ『汝ノ魔剣』コソガ本物デアルト主張スレバ、魔王位ニ復位デキルヤモシレヌゾ」
「いや、今はそれはいい」
俺は彼女の申し出を断る。今日は、そのために彼女のもとへ来たのではない。
「神聖十字軍を無事に魔王国から撤兵させたい。そのために協力してほしいんだ」
俺はひと呼吸してから、彼女の名を呼んだ。
「力を貸してくれないか? ヴァンデッタ」
そう、彼女こそが、全飛竜の長にして、「魔剣」の制作者でもある古の魔族、そして、俺の相棒の飛竜でもある「ヴァンデッタ」なのである。