第89話 神聖十字軍⑨
「当初の予定を変更し、このまま魔王国の奥深くへと、侵攻作戦を継続するのだ!」
アルドニア軍のブライス将軍が興奮気味に力説する。
「今回の遠征は、数万年における『神聖十字軍』の歴史に残る大戦果となりましょうぞ!」
「反対です!」
俺は即座に否定的見解を述べる。
「当初の目標であった『トラキウム』の奪還は達成しました。これ以上の延戦は無意味です」
「だが、『予想以上に』うまく行ったおかげで、我が軍の余力は十分すぎるほど残っている。このまま『勢い』に乗って戦うというのも重要なのではないかね?」
ベルモンド卿が楽観的な意見を述べる。
「魔王軍が不穏な動きを見せています」
いや、不穏なことに動きを見せていないと言った方が正確かもしれない。
北方の要衝トラキウムを奪われたというのに、魔王軍には一切の動きが見られないのだ。何かとんでもないことを企んでいる危険性がある。ここは安全策に徹するべきだ。
「あー、そのことなら心配はない」
ベルモンド卿がチラリとサラザール卿を見やる。
サラザール卿が無言で頷くのを確認し、ベルモンド卿が説明を始める。
「我が軍のスパイから報告があってな、実は魔王国内部で『内乱』が起こったらしい」
「内乱!?」
「何でも、魔王が二人になったそうでね。新魔王と旧魔王のどちらを支持するかで、魔王国は真っ二つに分かれているらしい」
「な、それは……」
俺は絶句する。
「まぁ、下等な魔族どもの考えることは良く分からんが、そういう訳で、魔王軍は我々神聖十字軍に対応している暇がないという訳だ。これはまたとないチャンスだと思わんかね」
この「スパイからの報告」は半分真実で半分嘘だ。
つまり、魔王が二人になったというところまでは事実だ。
だが、それによって魔王国内部で大規模な内乱が起こっているというのは大嘘だ。旧魔王たる俺は魔王国を追放され、(クロエやヴァンデッタなど、個人的に俺を支持してくれている魔族はいるが)国内の大勢は新魔王であるロドムスが完全に掌握している。
「なぜそんな重要なことを早く伝えなかったんだ!」
「先遣隊」側の将校たちから非難の声が上がる。
「あー、いやいや、我々もつい数日前に知ったところなのだよ」
「後続部隊」側の将校たちが、少しだけバツが悪そうにそう言い訳をする。
「……」
俺は反論を試みようとしたが、とっさにいい言葉が思いつかない。
「半分真実である」というだけに、余計にたちが悪い。もし今俺が、「この報告は嘘である」と発言したらどうなるか、大体想像ができる……。
「まぁそう言う訳だ。我々も、『国の代表』として神聖十字軍に参加しておるのだ。先遣隊だけが戦果を挙げ、後続部隊は何もしていなかったとなってはだね、その、国内向けに、色々と都合が悪いのだよ」
ハミルトン大将軍がハンカチで汗を拭きながらそう告げる。
そういうことだ。
当初、神聖十字軍が「失敗しそう」ということで、危険な役回りを先遣隊に押し付けていたのだ。
ところが、トラキウムの奪還により、今回の遠征が「成功しそう」になってきたため、今度は国内へのアピール用に、目に見える成果を欲しているのだ。
こんな状況で俺が撤退論を主張してみたところで、「アレクは今回の遠征による手柄を独り占めしようとしている」と思われるのがおちだ。
「……。そういうことでしたら、『後続部隊』だけでやってください。我々『先遣隊』は、トラキウム周辺の守備を固めておりますので」
「……」
俺の言葉に、若干嫌な顔をしたベルモンド卿であったが、一応は了承した様子である。
こうして、無傷の「後続部隊」が戦線を引き継いで、魔王国の更に奥深くへと侵攻していくことが決定され、会議は終了となった。
「……」
会議後、俺はトラキウムの城壁の上に立ち、ぼんやりと外を眺めながら考え事をしていた。
「アレク様、こちらにおいででしたか」
ルナが俺の元へやってくる。
「やはり、ロドムスは何らかの『罠』を仕掛けているのでしょうか?」
「恐らくね」
俺は彼女の問いに答える。
今の神聖十字軍は、勝利に浮かれているが、非常に危険な状態だ。
なぜなら、全軍の「兵站」を北方山脈ルートの険路1本に頼っているからだ。
しかも、トラキウムは奪還したが、周辺地域の平定は未だ完了していない。
例えばもし、イザベラ=ローレライが北方山脈に現れて、水の魔法で濁流を巻き起こし、土砂崩れを発生させたとする。
それだけで山脈ルートは使用不可能となり、俺たちは物資の補給も撤退すらもできなくなり、魔王国内部で完全に孤立することとなる。
その先は……。想像もしたくない。(もちろん、南方ガドガン海峡に展開しているイザベラがこんなところに現れる可能性は限りなくゼロに近い。だが同じようなことができるものは魔王国にはいくらでもいる)
何とかしなければ……。
「俺も、貴公の意見には賛成だ。このままでは、我が軍は全滅するだろう」
「!?」
驚いたことに、いつの間にか、シドニア=ホワイトナイトが後ろに立っていた。
今の会話を聞かれただろうか……。
「驚かせてすまなかった。アレク殿と話がしたいだけだ」
彼は警戒するルナに謝罪すると、改めて、こちらに向き直った。
「アレク殿、貴公が『魔王国』に理解が深いことは、これまでの作戦立案や言動から、察することが出来る」
別にそれをどうこういうつもりはない。俺はメアリ教の教えなど、「どうでもいい」と思っているからね、とシドニアは付け加える。
「俺が知りたいのは、魔王国や魔族に詳しいアレク殿から見て、俺たちが生き残るためには、どんな策が必要か、ということだけだ」
彼は真剣なまなざしでこちらを見つめる。
「俺はこんなところで死ぬわけにはいかない。必ずのし上がって見せる。貴公もそうではないのか?」
「……」
「この『死地』を抜け出すことが出来るなら、目も耳も塞ごう。貴公が考える『策』を俺に提示してくれ」
「……。分かった」
彼の言葉に、俺は深く頷くのであった。