第88話 神聖十字軍⑧
帝都エルダーガルム。魔王城。
「ニコライ将軍。戻りました」
衛兵が魔王ロドムスに報告する。
北方の要衝トラキウムを奪われたニコライ将軍が、部下と住民たちを引き連れて戻ってきたのだ。
「許されざる大失態。いかなる処罰も喜んでお受けいたします」
魔王に謁見したニコライ将軍は、深々と頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。
「よい、気にするでない、ニコライよ」
敗軍の将にそういって言葉をかけるロドムス。
「長旅ご苦労、まずは部下や住民たちに温かい食事を与え、ゆっくりやすませよ。汝らの仇は、かならずや魔王軍が討つであろう」
いっけん、優しく労いの言葉をかけているようにも感じるが……。
(やはり、あのお方の言う通り、魔王ロドムスは……)
心の中でそう思うニコライ将軍であった。
「……」
アレクはトラキウムの城壁の上にたっていた。
続々と入城してくる神聖十字軍の後続部隊を眺めつつ、その表情は決してさえない。
(どう考えてもおかしい)
今日は12月21日。
トラキウム陥落から、既に1か月以上が経過した。
不意に北方の重要拠点を失った魔王軍は、それこそ「死の物狂い」でトラキウムの再奪還に大軍を発するものと思われていた。
魔王軍にしてみれば、「神聖十字軍本隊」が先遣隊のもとに合流し、トラキウムの守備を盤石なものとしてしまう前に、奪い返してしまうのが一番楽だからである。
ゆえにアレク率いる先遣隊は、トラキウム城内に立て籠もり、後続の神聖十字軍本隊が到着するまで約1か月、ひたすら「籠城戦」にて耐える覚悟で準備を進めてきた。
場合によっては「四天王クラス」との戦闘も想定していたのだ。
だが実際は、四天王どころか、ただの一度たりとも戦闘が発生しないまま、神聖十字軍本隊がトラキウムに到着してしまったのだ。
通常であれば、これは喜ぶべきことである。だがアレクはこの事態を、「あぁ良かった」と安どするほど、楽観的ではない。
(なぜ魔王軍は攻めてこないのか?)
日数が経つにつれて、不気味な不安が増大していくのが分かる。
「アレク殿。サラザール卿をはじめ、『総司令部』の皆さまが到着されました。これより会議となりますので、中にお入りください」
「分かった」
兵士の報告を受け、一旦思考を中断し、彼は城内に入ることにする。
俺が室内に入ると、「先遣隊」の将たちは既に皆そろっていた。
そこへ、
ユードラント軍のベルモンド卿、ルドウィック将軍
アルドニア軍のハミルトン大将軍、ブライス将軍
そして、メアリ教国のサラザール卿といった、「後続部隊」の将たちが現れた。
「……」
一瞬、何とも言えない微妙な空気が「先遣隊」の将たちと「後続部隊」の将たちとの間に流れる。
「おぉ! アレク殿。まさか本当にトラキウムを奪取するとは思ってもみなかった! 今回の戦争の第一功は間違いなく貴官だ! ほめてつかわすぞ!」
アルドニア軍の総司令官ハミルトン大将軍が俺の顔を見るや否や、開口一番そう言って嬉しそうに俺の背を叩く。
これほどまでに「空気の読めない発言」はある意味才能なのではなかろうか。
ハミルトン大将軍の発言で、場の空気が一気に凍り付いた。
「……」
サラザール卿などは一言も言葉を発しないが、まるで親の仇でも見るような目つきで俺を睨みつけている。
「ゴホン、さ、さて」
流石の「大傭兵団長」もこの場の空気に耐えかねたのか、ベルモンド卿が強引に話題を切り替える。
「皆に集まってもらったのは、これからの作戦を協議するためである」
これから?
これからも何も、「トラキウムの陥落」が今回の神聖十字軍における「最終目標」だ。
それが達成された以上、作戦は終了だ。
あとは魔王軍の奪還部隊に注意しながら、城壁を高くしたり、投石器などの守城用の兵器を設置したりして、トラキウム城の「防御力」を高める改修工事をすること。
今後、中央六国側から「前線基地」トラキウムへの移動が容易になるように、北方ノア山脈の土木工事を行い、「街道」を整備すること。
その二つがなされれば、いくら魔王軍とはいえトラキウムを再奪還することは容易ではなくなる。
神聖十字軍はトラキウム守備隊として、必要最低限の兵だけ残し、春までには解散することが出来るだろう。
「だが、我が軍は『予想外』の大勝利により、兵も食料もまだまだ大いに余裕がある。この『好機』を最大限に生かすべきであろう」
ブライス将軍が興奮気味に発言する。
まさか……。
「そう、当初の予定を変更し、このまま魔王国の奥深くへと、侵攻作戦を継続するのだ!」
神聖十字軍本隊はどうやってトラキウムに到達したのか?
北方の山脈ルートを通ったのですが、アレクたち「先遣隊」がトラキウムを制圧済のため、山の「ふもと」の比較的安全なルートから侵入しました。逆にアレクたちは当初、敵に見つからないようにするため、いくつかある北方ルートの中でも、特に危険なルートを通過しています。「死者の国」のすぐ近くを経由するルートであり、魔王国の兵たちですら闇王を恐れ、ほとんど警備していないルートです。
トラキウムの捕虜と住人について
ニコライ将軍とその配下の魔王軍、およびトラキウムにもともと住んでいた住民たちについて、アレクは全員を即座に開放し、避難させています。このことについて、アレクはアルドニア軍の副官、ブライス将軍から非難を受けていますが、アレクは「(当初は)神聖十字軍後続部隊到着まで、トラキウムで籠城戦をする予定であった。限られた食料しかない中で、敵軍の捕虜に飯を食わせながら籠城するバカがどこにいますか?」とやり返しています。無論、これは建前で、本音は(追放されたとはいえ)かつての同胞たちを神聖十字軍後続部隊に引き渡し、虐殺されるのを避けたかったからであります。