第54話 メルリッツ峠の戦い④
第4歴1299年5月24日。夕暮れ時。
エルトリア軍は北方守備の要、カルデア城塞に到達した。カルデア城塞はエルトリア王国北方の重要な軍事拠点で、国内では比較的大きな城郭都市(城壁で回りをぐるりと囲まれた街)でもある。
現在、一般市民には退避命令が発令されており、平時は交易都市としてにぎわっているこの街も、まるでゴーストタウンのように閑散としている。
ここから更に1日ほど北へ進んだデメトール山岳地帯への入口付近に、最前線のレンテン砦が存在する。
こちらはカルデア城塞に比べれば小さな砦だが、第4歴よりも前の時代(正確な建築年代はエルトリア王国にも記録が残っていないが、恐らく第2歴から第3歴にかけて造られたもののようだ)に建造された砦であり、小さいながらも高い防御力を誇っている。
カルデア城塞とレンテン砦、この2つの砦がエルトリア王国北方の重要拠点であり、これを失った場合、ユードラント軍は「堰を切ったように」エルトリア王国中央部まで一気になだれ込んでくることになる。
つまり、今回の戦争において、この「2つの砦」を失った時点でエルトリア軍の敗北が確定するのである。
ここは、そんなカルデア城塞の一室。大きめの会議室にエルトリア軍の主要メンバーが集まっている。アレク・ルナ・グレゴリー卿・ナユタ・ダイルン……。彼らは「いつものメンバー」だ。しかし今日はここに、「クレイド平原の戦い」において敵将だったオルデンハルト卿が顔を出している。
「それでは当初の予定通り、『レンテン砦』の守備はグレゴリー卿・ダイルンを将とする2千の部隊で担当してもらう」
「ハッ!」「お任せを!」
アレクが戦闘陣容を伝える。
「残りの部隊3千は作戦通り、敵軍を急襲せん滅すべく『メルリッツ峠』で待ち伏せをする」
そう、これがアレクの立てた戦術である。つまり、前線のレンテン砦に2千、後方のカルデア城塞に3千の軍を配置し、「籠城戦」に出る。そう見せかけて、実はカルデア城塞の兵3千を秘密裏に出撃させて、メルリッツ峠にて敵を待ち伏せする作戦だ。
「2つの砦」を失った時点で敗北するという状況の中で、あえて一つの砦を空にするという大胆な行動で、敵の裏をかこうとしているのだ。
だが……。
この時、アレクの説明を聞いていたオルデンハルト卿が、ニヤリと不気味に笑ったことにエルトリア軍司令部の面々は誰も気づかなかったのである。
会議を終え、解散する一同。
アレクはいつものようにルナを伴って寝室に向かう。
バタン。寝室のドアを閉めると、すぐにアレクはルナを抱きしめる。
「やっ、アレク様、ちょっとだけ待ってください。先にシャワーを浴びてもいいですか?」
ルナが色っぽい声を上げながらアレクに懇願する。
「ダメだ。ずっと我慢してたんだ。もう待てないよ……」
アレクはそう言いながら、ルナの唇を奪う。
「んっ、あっ、ダメ……」
そう言いながら、ルナはほんの少しだけ抵抗するようなそぶりを見せたが、やがて受け入れたように大人しくなる。
「いい子だ」
アレクはそのまま、抵抗しなくなったルナをベッドに押し倒すと、彼女の衣服を一枚一枚、丁寧に脱がせていく。
「アレク様、恥ずかしいです」
「とても綺麗だよ。ルナ」
アレクは一糸まとわぬ姿となったルナの、「絹のように滑らかな肌」に手を滑らせる。
「今夜は寝かさないよ、ルナ」
「嗚呼、アレク様……」
「……君は一体、人の寝室でナニを妄想しているんだい?」
アレクは寝室のドアを開けると、室内で一人で身悶えしていたクロエを認識し、声をかける。
「いえ、アレク様とルナリエお嬢様がこれからこの部屋で行うであろう淫らな情事を妄想していたら止まらなくなっていたところです」
クロエはいつもの冷静で事務的な口調で淡々と答える。が、鼻血をボタボタ流しているので台無しだ。
まぁつまり、アレクとルナが寝室に入ってきた~、までは事実だが、その後のやり取りはクロエの妄想だったということだ。
「あんたって子は……」
ルナがため息をつく。
「でも、後でお二人で、ベッドでもぞもぞとナニをするつもりだったのは事実でしょう?」
「ぐっ!?」
まぁ、ルナも「頭ナデナデ」をしてもらうつもりだったのは事実なので、あながち否定はできない。
「そ、それよりクロエ。報告だろう、頼むよ」
アレクが強引に話題を切り替える。
「ハッ、『ヴォルフバイル』を駆ってユードラント軍の動向を偵察してまいりましたので、ご報告させていただきます」
クロエが真面目な態度に戻り、報告を開始する。そう、彼女に協力を要請していたのは、飛竜を駆って、上空から敵軍の正確な位置を補足する偵察任務のことだ。
「現在ユードラント軍は、国境を越えてデメトール山岳地帯の北側の登山口付近に夜営しております」
「大体予想通りの進軍速度だな……」
アレクが手元の地図を見ながら報告を受け取る。
「この後、『敵本隊』は西に大きく迂回し、メルリッツ峠に入るものと思われます」
クロエが報告を続ける。
エルトリア王国に北から侵入した場合、すぐに「デメトール山岳地帯」という大きな山脈に道を阻まれる。
この山岳地帯を超えるルートはいくつかあるが、今回、ユードラント軍は攻城戦用の大型兵器を多数抱えて進軍している。これらの兵器は運搬が非常に困難であるため、必然的に山越えの狭くて急こう配なルートからの侵攻は不可能となり、山を迂回するルートを取ることとなる。
ここまではアレクの予想通りだ。
「『敵将の正確な位置』は判りそうかい?」
「えぇ、夜営中の敵陣上空から本陣天幕の位置は補足できました」
「よし、あとは上手く敵軍を『分断』できれば……」
アレクは地図を見ながら独り呟く。
一方そのころ……。
「へクソン侯は此方におられますか?」
ユードラント軍の野営地、へクソン侯が休む「本陣天幕」に衛兵が声をかける。
「ここにいる。何だね?」
「怪しい者をひっとらえたのですが、その者が、『オルデンハルト』なる人物からへクソン侯への密書を持参したと申しております」
「何!?」
「一応、それらしき書簡を押収したのですが、いかがいたしましょうか?」
「よ、よし、分かった。確認するから、それを寄越せ!」
へクソン侯は、受け取った書簡に目を通す。
「こ、これは!? ポロゾフ将軍を呼んでくれ!」
30分後。
へクソン侯の呼びかけで、本陣天幕にユードラント軍の幕僚の面々が集まる。
「『コレ』が書面に記載されていたという訳ですか……」
ポロゾフ将軍が書簡をつまみ上げながら、神妙な面持ちで呟く。
書簡には、アレク率いる別動隊3千が、密かに「カルデア城塞」を立ち、ユードラント軍を待ち伏せすべく、メルリッツ峠付近に軍を伏せているという情報が記載されていたのだ。
「流石に、『罠』ではないのか? その『オルデンハルト』なる人物は信用できるのか?」
ユードラント軍、副将のラロッカ将軍がへクソン侯に意見を求める。
「む、むぅ、もちろん私も、信用しているわけではないが……」
動揺を隠せないへクソン侯。
何せこの「オルデンハルト卿」は以前、王女派と大貴族派が覇権を争った「クレイド平原の戦い」の際に、自軍の総司令官を務めた人物だ。
書面には、アレクを恨んでいること、私のもたらした情報でユードラント軍が勝利することが出来た暁には、自らをユードラント軍に仕官させてほしい旨などが記載されている。
信頼できるかは「微妙」な立場の人物だ。
だがこの情報、少なくとも「無視」はできない。
「しかし、もしこの情報が本当なら、戦術を大幅に見直さなければならぬぞ」
ポロゾフ将軍がほんの一瞬、天幕の一番末席で不敵に佇む、「白銀の髪」の美青年を盗み見る。
あのシドニア=ホワイトナイトとかいうクソ生意気な小隊長から、敵は野戦を想定していると忠告を受けていたことを思い出したのだ。
が、ここで彼の忠告を受け入れ、素直に謝罪し、意見を求めることが出来るほど、ポロゾフ将軍は「出来た人物」ではない。
悔しそうに歯噛みするので精いっぱいだ。
「何、別にそう慌てることもないでしょう。一旦この場に留まって情報を集めましょう。敵が本当に待ち伏せしているのか、そうではないのかは、『斥候隊』を出せばすぐに分かることです」
ラロッカ将軍は落ち着いた様子で意見を述べる。
それもそうだ。偵察部隊を繰り出して、周囲をよく探索させれば、「嘘」か「本当」か、すぐに分かる話だ。
ポロゾフ将軍は落ち着きを取り戻し、ラロッカ将軍の意見に従うことにした。
「……」
一方、ある意味、自身の意見が認められた形になったシドニアだが、非常に険しい表情をしている。
このタイミングで都合良く「こんな情報」が舞い込んでくるだろうか? 「嘘」にせよ「本当」にせよ「敵に踊らされている」感じがしてならない……。
「さて、どうなることやら……」
彼は誰にも聞こえないように、小さな声で呟くのであった。