第51話 メルリッツ峠の戦い①
第4歴1299年5月19日。夕暮れ時。
沈む真っ赤な夕日が、これからこの国で流れるであろう血の色を象徴するかのように不気味にあたりを染めている。
ここはエルトリア城の会議室。
「ま、まさかへクソン侯が……」
「では、ユードラントは最初から我が国に侵攻するつもりで……」
アレクから報告を受けた一同は衝撃の表情で、事態を受け止めきれない様子だ。
それは当然だろう。
ユードラント共和国の黒い意志は、最初からこの国を殺すつもりで動いていたのだ。
彼らは、まだ幼さの残る純粋な少女が必死になって手に入れた「平和」を、まるで嘲笑するかのように踏みにじったのだ。
「ユードラント共和国の要求をなんとか受け入れるために、必死で作戦を考えたのは、全部無駄だったのでしょうか……」
シルヴィア姫は今にも泣きだしそうなぐらい、すっかり意気消沈している。
「こんなことなら、最初から……」
「それは違うよ。シルヴィ」
彼女の言葉を遮るように、宰相アレクが語りだす。
「戦争を回避するために頑張ったことは絶対に無意味なことじゃない。『今回』は避けられない運命だったのかも知れないけど、その『努力』は決して無駄じゃないんだよ」
「……」
「事実、彼らの要求を受け入れたことで、わずかだけど『猶予』が生まれた。当初彼らは、エルトリア王国が要求を拒否するのと同時に宣戦布告し、戦争を仕掛けようとしていた。だけどエルトリア王国が要求を『飲んだ』から、そのわずかな時間、一旦計画を中断せざるを得なかったんだ」
理由もなくエルトリア王国に攻め込めば、後で中央六国の他の国や、宗主国である神聖メアリ教国から断罪される恐れがある。ユードラント共和国も、そんな事態は避けたいはずだ。
「彼らはへクソン侯を大将にすげ替え、軍を再編するのにほんのわずかだけど手間取った。そのわずかな時間があったからこそ、こちらは敵の侵攻作戦を知ることができ、迎撃準備を整えることができたんだ」
「この差で、きっと、多くのエルトリアの人々の命が救われたはずだ。だから、シルヴィが頑張ったことは、絶対に無駄なんかじゃない」
事実、ユードラント共和国からは、現時点でまだ「宣戦布告」すら受けていない。(「メアリ教国が許す範囲内」で戦争をしている中央六国にとって、宣戦布告なしの不意打ちはご法度だ)
彼らが宣戦布告し(もっとも、「名義」はユードラント共和国ではなく、エルトリア愛国解放戦線という意味不明なものになるのだが)エルトリア王国に侵攻してくるまでに迎撃準備、および民の避難は相当迅速に進めることができるだろう。
「そう、でしょうか?」
彼女は少しだけ顔を上げる。
「うむ、アレク殿おっしゃられる通りですぞ。姫」
「やれるだけのことはやったのです。立派でしたよ」
「最初から攻め込むつもりだった敵を一瞬ひるませたのですから、それだけでも大成功ですよ」
重鎮のメンバーたちが口々に彼女を励ます。
「アレク様や皆さまの言う通りなのかもしれませんね。ごめんなさい、少し弱気になりました」
彼女は一旦深呼吸すると、皆の顔を見ながら話し始める。
「……分かりました。それではアレク様の提案通り、ユードラント共和国軍、いえ、エルトリア愛国解放戦線を、我がエルトリア王国の『倒すべき敵』と認識し、武力をもってこれを撃破することを認めます。反対はありますか?」
震える声で、しかし毅然とした態度でシルヴィが言い放つ。無論、反対など出るはずがない。
「よろしい、それでは、現場の指揮は軍部の最高司令官であるアレク様に引き継ぎます。アレク様、どうかご武運を」
声が震えている。今にも泣き出しそうだ。だが、決して「泣き言」は言わない。本音を言えば、今でも戦争を回避したいと思っているのだろう。が、こうなってしまった以上、国家元首である自分がいつまでもうじうじと悩んでいたら下の者たちに示しがつかない。そう彼女は理解し、毅然とした態度で命じているのだ。
この一年で、彼女は国家元首として本当に驚くほど成長したのだ。
「しかと、承りました」
アレクはうやうやしく跪く。そんな彼女の「想い」に全身全霊をかけて答えるのが、自らの使命であると、彼も理解しているのだ。
「あの、私に何かできることはありませんか? わずかでも力になれることがあれば、何でもおっしゃってください」
会議終了後、シルヴィがアレクに声をかける。
今までのアレクなら、「気持ちはありがたいが、ここから先は軍の仕事だから……」と彼女の申し出を断っていたかもしれない。
だが、ケルン公国でのイザベラとの一件以降、彼の中でも少し考え方が変わったようだ。
「分かった、シルヴィ。戦場に連れていくことはできないが、もし可能であれば『バルマ砦』を出陣する兵たちに声をかけてやってほしい。きっと皆喜ぶだろうから」
「ハイ! アレク様」
敵は盟主をヘクソン侯に変更したことで、ほんのわずかだが指揮系統に乱れが生じたようだ。そしてそれを整えるために、エルトリア王国に侵攻を開始するのが数日の遅れたのだ。
この隙に、こちらも万全の態勢で迎撃準備を整えるつもりだ。エルトリア軍の出陣は、2日後の5月21日の朝を予定している。
5月19日、夜8時。アレクはシルヴィの元をいったん離れ、バルマ砦へと戻ってきた。
作戦司令部には既にルナ・グレゴリー卿・ナユタ・ダイルンなどの主要メンバーがそろっており、各所から集められた情報を分析し、作戦立案の真っただ中だ。
「敵はスパイやギャズからの報告通り2万の大軍です。まともにぶつかっては勝ち目はありません」
グレゴリー卿が渋い表情でアレクに報告する。流石はアルドニア王国に次ぐ中央六国第2位の国土を持つ強国だ。いままで戦ってきたムンドゥール軍や大貴族派の軍勢とは、文字通り「桁違い」の兵力を動員してきた。
「一方、我々エルトリア王国はすべての軍をかき集めても5千がやっとです」
ダイルンが汗をかきながら追加で報告をする。
2万 対 5千。
まともにぶつかっては、結果は「火を見るよりも明らか」だ。作戦司令部もそう考えたのだろう。
「敵は我が軍の4倍、普通に戦っては勝負になりません。アレク殿には、『籠城戦』をご提案させていただきます」
グレゴリー卿が代表となって、現在立案中の作戦をアレクに献策する。
「敵は北方からエルトリア王国になだれ込んできます。これを『野戦』(平原での戦い)で撃破するのは不可能です。さすれば、砦に立てこもり、敵があきらめるまでひたすら守り続ける『籠城戦』しか活路はありません」
「立てこもる砦の候補地は?」
アレクが質問をする。
「候補は2箇所。王国北部のレンテン砦、もしくはカルデア城塞です」
グレゴリー卿が王国北部の地図を指し示す。
エルトリア王国北部を壁のように塞ぐデメトール山岳地帯を抜けて、ややエルトリア王国に深く入り込んできたところに、問題の2つの城塞は存在するようだ。まず、レンテン砦がデメトール山岳地帯の出口をせき止めるように建てられており、そこを抜けると、エルトリア王国北方の要であるカルデア城塞が存在するのだ。
「少々内陸部に深く攻め込まれすぎるな……」
アレクが珍しく、苦い表情で地図を見つめている。
「おっしゃる通りです。が、それより北の砦となると、5千もの軍で立てこもるには少々手狭すぎるかと……」
グレゴリー卿もあまりいい表情ではない。この作戦が「微妙」であることを本人も自覚しているのだ。
「位置的にはデメトール山岳地帯の出口を塞ぐ形になりますので、『レンテン砦』で護るのが吉。しかし、レンテン砦はやや手狭なので、5千の軍で盤石の護りを固めるなら『カルデア城塞』の方が優れています。ですが……」
「カルデア城塞は周囲に遮蔽物がない。完全包囲される可能性が高い上に、そこまで城壁が高くない。決して『防御力が高い城』とは言えないな……」
アレクが手元の資料を見ながら呟く。
「ごもっともです。ですので、前線のレンテン砦に2千の精鋭部隊を配置。そして後方のカルデア城塞に3千の予備部隊を配置し、レンテン砦が危機に陥った場合に救援に駆け付ける形がよろしいかと……」
一応、理にはかなっている。城攻めの場合は相手の10倍の兵力が必要と言われるからだ。(もちろん城の造りや護る兵の練度によっても違うので、必ずしもこれが当てはまるとは限らない)
2千の兵をレンテン砦に配置すれば、2万のユードラント軍をなんとか抑え込むことができるかもしれない。
が、同時に大失敗の危険性をはらむ「愚策」にもなりかねない。兵力分散は各個撃破されるリスクが非常に高いため、基本的には「やってはいけない」のだ。
ましてや、エルトリア軍はユードラント軍よりはるかに数が少ない。この状況で更に自軍を二つに分けるのは危険すぎるのだ。
さて、この作戦、魔王アレクはどう考えるか?
「グレゴリー卿」
アレクが口を開く。
「ハッ!」
「この2つの城塞を利用するのは私も賛成です。というかこの砦を利用するしか方法がありません」
「国内には攻め込まれますが、背に腹は代えられませんからな。やはりそれしかないでしょう……」
「しかし、『籠城戦』はしない。あくまでも『野戦』で敵軍を撃破します」
「そうでしょうそうでしょう……。って何ですって!?」
聞き間違いではないかと、啞然とするグレゴリー卿。
「ですから、5千のエルトリア軍で、2万のユードラント軍を『野戦』で叩き潰すのです」
アレクがそう言ってにやりと笑う。
魔王様がまた「とんでもない作戦」を思いついたようだ。




