第41話 魔王様、ケルン公国を訪問する⑥「戦闘」
「ふふっ、久しぶりね。魔王ちゃん」
イザベラは手で魔力を錬成する。
近くの波が、まるで巨大なイルカのような形になり、彼女を背に乗せて遊覧船まで運ぶ。
「な、なんだね君は!?」
遊覧船に乗っていた乗客の一人が、イザベラに声をかける。
「もぅ、せっかくの『恋人同士』の再会を邪魔しないで」
イザベラの目が妖しく光る。
「あ、あぁぁぁぁ……」
突然、すべての乗客たちが何かに取り憑かれたように虚ろな表情で喘ぎだす。中には泡を吹いてビクンビクンと悶絶している人物までいる。
男も女もだ。
これは誘惑の魔法。イザベラの得意とする魔法の一つだ。
今、彼女が命じれば、この乗客たちは悦びに達したまま、自ら進んで荒れ狂う海に身を投げてしまうだろう。
「シルヴィ!?」
俺はシルヴィを心配してとっさに振り返る。
が、
「あ、あなた一体何者ですか? そ、それにアレク様の、こ、恋人って……」
彼女はガタガタ震えながらも、毅然とした表情でイザベラを睨んでいる。
「あら? 貴方こそ何者? 私の誘惑の魔法を抵抗できるなんて、ただの人間じゃないわね」
イザベラは若干不満そうに、シルヴィを睨み返す。
俺も驚いたが、今は「それどころ」ではない。
「待て! イザベラ! そもそもどうしてお前がこんなところにいるんだ! ロドムスの差し金か!?」
俺はシルヴィとイザベラの間に割って入る。
「ちょっとした暇つぶしよ。『遠見の水晶』で愛しのアナタを探していたら、すぐ近くにいるじゃない。せっかくだから会いに来てあげたの」
「遠見の水晶」とは人魚族に伝わるオーパーツの一種だ。
確か、「思い人」の所在地を教えてくれるアイテムだったはずだ。
「それなのに、まさか『浮気相手』と一緒とはね。あ~ぁ、嫉妬しちゃうな」
イザベラはわざとらしくため息をつく。
言っておくが、俺とイザベラが「恋仲」というのは真っ赤な嘘だ。
彼女は、そうやって「最高の美貌」と「思わせぶりなセリフ」で男を本気にさせ、そのあとで「すべてを奪いつくし、打ち捨てる」ことを至上の娯楽とする魔性の女なのだ。
俺を「獲物」の一人として見ているのだろうか?
とにかく、彼女の言うことをいちいち真に受けてはいけない。
「イザベラ、冗談はよしてくれ。それに、ロドムスの命令でないというなら、今日のところは見逃してくれないか?」
俺は彼女を刺激しないように、低姿勢でお願いする。
俺は「魔王」だ。
本気で戦えば、四天王を退けることもできるだろう。
が、「この状況」
これは非常にまずい。
「そうねぇ、それもいいけれど、ただ『見逃す』だけじゃつまんないわ。ゲームをしましょ」
イザベラが妖しく微笑む。
「魔王ちゃんが、『魔剣の力』なしで私に勝つことができたら、見逃してあげるわ。どう?」
見透かされている。
この状況。
魔剣の力を開放すれば、その膨大な魔力で遊覧船は間違いなく木っ端みじんになるだろう。
しかもあたり一面は海。
イザベラの最も得意とする地形だ。
俺一人なら、それでも何とかなるかもしれないが、「誘惑状態」の乗客たち、それにシルヴィは、間違いなく全員溺れてしまうだろう。
だから、「魔剣の開放」は絶対にできない。
同じ理由で、船を破壊するような大規模な魔法攻撃も不可能だ。
俺の性格や思考をそこまで読み取ったうえでの、イザベラの提案だ。
つまり、「魔剣も魔法もなしの状態で戦って勝ってみろ」と言っているのだ
「いいだろう」
俺は隼の騎士剣を構える。圧倒的に不利な状況だが、逃げることはできない。
「まぁ、それでもハンデがありすぎるから、私も『人間状態』で戦ってあげるわ」
イザベラがそう言った瞬間、「魚の尾びれ」だった下半身が「ミニスカートと美しい生足」に変化する。
「アナタが勝てば、見逃してあげるわ。もし私が勝ったら、そうねぇ……」
彼女は嗜虐的な笑みを浮かべながら、シルヴィの方を見る。
「私の愛しい魔王ちゃんをたぶらかした『泥棒猫』は頂いていくわ。裸にひん剥いて、女に餓えたオークどもの巣に放り込んであげるわ」
「!!」
本気か、それとも「魔王」をブチ切れさせるための冗談か?
とにもかくにも、彼女が放ったその言葉が、開戦の合図となった。
初動、アレクが一気に距離を詰める。
「ハッ!」
騎士剣を縦に一閃。
美しい軌道が弧を描く。
が、
「ふふっ、ハズレ」
イザベラはすんでのところでこれをかわす。
「はあっ!」
今度は斜めに剣を振り下ろす。
「あら残念」
またもやあと一ミリというところで避けられる。
「うぉぉ!」
アレクの神速の連撃。
魔力に頼らずとも、その剣筋は「達人」の域だ。
だが、
ブンッ! ブンッ! ブンッ!
剣はかすりもしない。
イザベラはそのしなやかな体躯を駆使して、すべての斬撃を「すんでのところ」で躱してしまう。
「フッ」
アレクが小さく息を吐く。
こんなもので息切れするような素人ではない。すべてちゃんと計算し、正確無比な剣さばきで敵を斬りに行っているのだ。
が、イザベラはこれを難なく避けている。
いや、「イザベラが避けている」というより、「アレクが当てられていない」という表現が正しい。
「流水の舞か……」
「あら正解、バレちゃった?」
流水の舞。
水の上級強化魔法だ。物理攻撃をほぼ無効化してしまう。この魔法をかけている相手を前に、剣檄は無意味だ。
激流を流れ落ちる木の葉を斬ろうとするがごとく、剣を振れば振るほど、水の流れを乱し、攻撃が当たらなくなってしまう。
魔王でさえ、「単純な腕力のみ」でこれを突破することはできない。
ならば……。
「エアロ!」
アレクは船を傷つけないよう、初級の風魔法を放つ。
「それも通じないわ」
イザベラが魔力を練る。
海の水が巨大な盾となり、エアロの魔法を飲み込んでしまう。
ほんの少しだが、遊覧船の床が風圧でめくれる。
「クソッ! やはりダメだ」
いくら魔王と言えど、遊覧船と乗客を守るために加減をしながら、四天王、それも「海」を最も得意とするイザベラ=ローレライを相手にするのは分が悪い。
「コレがアナタの弱点よ。魔王ちゃん」
イザベラが俺に指摘する。
「『魔族』は他者を顧みないもの。弱いものは何の情もなく切り捨てる。だから魔族は強いの。でもアナタは、弱者を、それもよりによって『人間』をかばっている。だから今、こんな目に遭ってるのよ」
そう、魔族は弱者を「糧」としか見ていない。人間のような弱い生き物は、力で蹂躙し、支配してしまえばいい。
それが魔族にとっての「当たり前」「常識」だ。
「だが、その考え方で、魔族が『世界を支配』した試しはない。ただの一度も、だ!」
そう、それもまた事実。
弱者を切り捨て、蹂躙し、支配する。
「個」として人間より遥かに強い魔族が、創成歴から第4歴までの悠久の時の中で、「世界を支配」できたことはただの一度もないのだ。
必ず、「あと一歩」のところで、人間界に「勇者」と「光の巫女」が降臨し、彼らを拠り所に人間たちが一致団結し、魔族に反撃を開始するのだ。
そして「終末戦争」を経て、必ず「魔王」が撃ち滅ぼされ、「魔剣」が封印されて、「歴」が変わるのだ。
創成歴・第1歴・第2歴・第3歴……。
魔族はこれまで、同じことを4度繰り返した。
それなのに、ロドムス率いる新生魔王国は、またしても「ソレ」を繰り返すつもりなのか!
「そうね、アナタの言っていることも正しいわ。魔王ちゃん」
イザベラが俺の問いかけに少しだけまじめな顔をする。
「でもね、『性』というのはそんなに簡単には変えられないものよ。魔族も、人間もね」
「アナタが、ソレを打ち破る者だというのなら、今、この圧倒的に不利な状況で、私に勝って見せなさい!」
彼女はひと際大きく魔力を収束させる。
彼女の後ろに、山と見まごうほどの「巨大な波」が出現する。
ぐっ……。
「これ以上待つつもりはない」ということか。
これは本当にまずいぞ。
「サヨナラ。私の愛しい魔王ちゃん」
イザベラが攻撃を放とうとした瞬間。
「ファイアブレス!!」
突如として巨大な火炎放射がイザベラを狙う。
「なっ!?」
イザベラは驚いて目を見開くが、そこは流石四天王。
とっさに水を操って盾を作り、これをガードする。
火柱が水の盾にあたって砕け、水蒸気がもうもうと立ち込める。
空を覆う暗雲を切り裂いて、音速で駆ける飛竜が一騎。
先ほどの攻撃は、この飛竜が放ったものだ。
そして……。
「魔王様から離れろ!! この下衆が!!」
その背に「焔の舞姫」こと、ルナリエ=クランクハイドが騎乗して現れた。
彼女は、これまでに見たことがないような激しい怒りを露わにしながら、「群青の妖妃」、イザベラ=ローレライの前に立ちふさがるのであった。