第40話 魔王様、ケルン公国を訪問する⑤「遭遇」
公式訪問3日目。午前10時。
エルトリア王国とケルン公国の条約調印式が執り行われる。
条約文書にシルヴィとゼファール大公がそれぞれ署名し、効力が発動するのだ。
これで、ケルン公国は「エルトリアルート」という新ルートで交易品を中央六国中に運ぶことができるようになり、さらにパノラマ港からエルトリア城下町まで、毎日新鮮な海産物を海上輸送することができるようになる。
また、エルトリア王国も、関所での通行税なしでケルン公国に「メルベルチーズ」や「エルトリア酒」を売り込みに行くことが可能だ。こちらも通行税を徴収できなくなるが、代わりにケルン公国の商人が国内の「宿泊所」や「馬の貸し出しサービス」を利用してくれれば国としても潤う。ポルト・ディエット港の使用許可も非常にありがたい。
現時点では、ガドガン海峡を魔王国海軍が海上封鎖しているため外洋交易は不可能であるが、いずれ状況が変われば「エルトリア船籍の船」で南方交易が可能になるかもしれない。
「お疲れ様。シルヴィ」
「な、なんか凄く緊張しました……」
調印式終了後、俺はシルヴィに労いの言葉をかける。
とはいえ、公式訪問の日程はこれですべて終了だ。
あと少しだけ自由時間があって、今日の夕方にはポルト・ディエットを離れ、エルトリア城への帰路へ着くことになる。
「あの、アレク様……」
シルヴィが何ごとか言いたそうにこちらを見ている。
「よ、よかった、お昼を取ってから、その、ゆ、遊覧船に乗りませんか?」
遊覧船?
そんなのがあるんだ。知らなかったな。
じゃあルナたちも誘って……。
「い、いえ、もし良ければ、アレク様と二人きりでいきたいなぁと」
彼女は上目遣いでおねだりしてくる。
か、可愛い……。
これは断れないな。
ま、まぁ、ルナも午後からお土産を買いに行くと言っていたし(1日目の歓迎パーティーで仲良くなった貴族の女の子たちに、南方交易で取り寄せた珍しい香水を扱うショップがあることを聞いて、そこに連れて行ってもらうといっていた)午後はそれぞれ自由行動ということでもいいか。
「いいね! ぜひ行こうよ!」
「ほ、ホントですか!? やった!」
シルヴィは飛び上がって喜ぶ。
遊覧船は第3階層の一角から出航し、ケルナ湾を近回りに一周し、もとの場所に戻ってくるもののようだ。
一周だいたい45分程度。
そんなに沖の方まで出るわけでもなし。
ケルン公国海軍の「絶対防衛圏」の内側をさらに小回りで周遊するという観光用のものだ。
「アレク様、こっちです!」
シルヴィに連れられて、船着き場へと到着する。
船着き場には、遊覧船の出航を待つ観光客と思しき人々が大勢いる。
な、なぜか「カップル」らしき男女が多い気がするが……。
「さぁ、間もなく出航です!」
俺たちが到着してすぐに遊覧船は出航した。
春の陽気で船上は非常に暖かい。波もおだやかで、非常に快適だ。
「皆さま、左手をご覧ください。ポルト・ディエットの街が一望できます。ポルト・ディエットは第4歴よりもはるかに以前の創成暦の頃から……」
ガイドのお姉さんが解説を始める。
あぁ、ここからはポルト・ディエットの全景が一望できる絶景の穴場だな。
第2階層のバルからこちらに向けて手を振っている人たちが見える。
「岬を挟んで反対側が『軍港』になります」
遊覧船は、そのまま岬を回り込んで、軍港を沖から見物するコースを取る。
「おっ! 『バルバドス級』第2等戦列艦だ。かっこいいなぁ~」
俺たちの前を、90門の砲列を備える第2等級戦列艦が横切る。
護衛に第5等級、第6等級のフリゲート艦を数隻従えて、悠々と海上警備に出航していく様は圧巻だ。
「第2等艦ってのは、最も主流な74門砲列の第3等艦に比べてさ……」
魔王様もそこは「男の子」である。
聞いてもいないのに戦列艦に関する知識をシルヴィに延々と語りだしてしまったのはご愛敬だ。(それを嫌な顔一つせずにうんうんと目を輝かせながら聞いてくれるシルヴィちゃんは天使だ!)
やがて、遊覧船は軍港を離れ、沖へと向かう。
「さぁ、皆さま。お待ちかね。『恋人の岩』が見えてまいりましたよ!」
ガイドさんが指さす方を見て、乗客たちから一斉に歓声が上がる。
そちらの方向には、「ハート形の岩」が海の真ん中にポツンと存在している。
岩の真ん中はくり抜いたように空洞になっており、反対側の青い空を映している。
「男女のペアがこの岩の前でお願いすると、その二人は『永遠の愛』で結ばれると言います」
ガイドさんが説明する。
あぁ、それで「カップル」が多かったのか。
「あ、アレク様、私たちもお願いしましょう」
シルヴィが真っ赤になりながら俺に提案する。
「あ、あぁ、そうだね……」
なんだか急に恥ずかしくなってきたぞ。
俺とシルヴィは静かに目を閉じる。
と、その瞬間。
グラグラグラッ!
船が大きく揺れる。
「な、なんだ!?」
「きゃあ!」
俺たちは慌てて目を開ける。
先ほどまでの穏やかな海が嘘のようだ。
いつの間にか海上は大荒れ。山のような大波が船を攫ったかと思うと、そのまま谷底に落ちていくんではないかと錯覚するほどの落差を、一気に滑り落ちる。
「み、皆さま、落ち着いて! 落ち着いてください!」
ガイドさんの声も虚しく、船内はパニックだ。
天気も、先ほどまで晴れて穏やかだったのに、一面真っ黒い雲に覆われ強風が吹き荒れている。
いや、「一面」は誤りだ。
なぜなら、遠くポルト・ディエットの方を振り返れば、先ほどまでと変わらず穏やかな空と、穏やかな波の様子が伺えるからだ。
この辺りだけ、急に天候が崩れてきたのだ。
そして……。
「な、なんだこの魔力は……!?」
信じられないほど強力な「魔力」があたりを覆っている。
「ケタ外れ」なんてもんじゃない。
圧し潰されそうな重圧で息が苦しくなる。
これほどの魔力量、「魔王」もしくは「四天王」クラスだ。
まさか……。まさか……。
「うふふふふっ。やっと会えたわね。私の可愛い『魔王ちゃん』」
小鳥の歌声のような、美しい声が聞こえる。
この「声」に魅了され、これまで何人の船乗りたちが海に引きずり込まれたことか。
「ふふっ。どうしたの? 私はコッチよ……」
ハッ!
慌てて振り返る。
先ほどの「恋人の岩」の上に一人の女性が座っている。
まさに、「絶世の美女」だ。
雪のように白い肌。
その様は、滑らかで艶やかな高価な陶磁器のようでもある。
流れる清らかな水のように美しい髪。
それがたなびくことによって、本当に清流が流れているように錯覚してしまうほどだ。
長いまつげにふっくらと厚みのある唇。
神が作りたもうた「最高の芸術作品」としか思えない。
そして男を狂わせる極上のカラダ。
抜群のプロポーションを誇るその体を、露出度の高い衣服が強調している。
シルヴィ・ルナ・パメラさん・クロエ
これまで幾人もの「美女」「美少女」たちと出会ってきた。
だが、やはり……。やはり……。
「この女」の美しさは「別格」なのだ。
「世界一」と称される美貌は伊達ではない。
「ほら、私をもっとよく見て。もっと私を、ちゃんと感じて」
絶世の美女が妖しい言葉を投げかける。
だが、俺はそんな彼女の誘惑を振り切って、以前シルヴィから賜っていた、隼の紋章が彫られた騎士剣を抜き、彼女と対峙する。
「あら、つれないのね」
彼女は面白くなさそうにため息をつく。
まさに「青天の霹靂」
俺たちの目の前に、「群青の妖妃」こと、四天王のイザベラ=ローレライが現れたのだった。