第39話 魔王様、ケルン公国を訪問する④「条約交渉」
翌日、貴族院の議事堂にてエルトリア王国とケルン公国の「条約交渉」が開始される。
長いテーブルに両国の代表団が向かい合って座っている。
テーブルには両国の国旗が交差して設置されている。
エルトリア王国が「隼と月桂樹」の紋章。
ケルン公国が「十字に船の錨」の紋章だ。
この場に参加しているのは、シルヴィ・俺・モントロス伯・アルマンド子爵だ。(ルナとグレゴリー卿はあくまで「護衛」であり、文官ではないので、この場には参加していない)
ケルン側も、こちらと同じく4名参加している。ゼファール大公とあと3名、いずれも貴族院の重鎮たちだ。
条約交渉がスタートする。
「現在、エルトリア王国では主要街道の舗装事業が急ピッチで進んでおります。これが完成すればケルン=エルトリア間は馬車でわずか3日の距離で結ばれることになります。さらに我がエルトリアは、ケルン公国のほかに、アルドニア王国・ユードラント共和国・タイネーブ騎士団領と国境を接しております。ケルン公国産の『塩』や『海産物』は中央六国中で非常に高いニーズがありますので、今後は『エルトリアルート』で世界中に輸出品を迅速かつ低コストで運送することが可能です」
俺がケルン公国側へメリットを説明する。
現在、ケルン公国は輸出品を、タイネーブ騎士団領からユードラント共和国を経由して運搬する「ユードラントルート」を使っている。当たり前だが、「国を通過する」際には関所での検問、さらには通行税の徴収が行われる。2国通過するということであれば、同じような手続きや納税を2国それぞれで行うことになる。時間もカネも非常にかかるという訳だ。
今回のエルトリアルートは、経由国はエルトリア王国のみ。しかも検問での手続き簡略化および通行税免除というおまけつきだ。ケルン公国にとって、非常に大きなメリットがある。
「代わりに我々も、エルトリア王国商人がケルン公国へ入国する際、検問手続きの簡略化および通行税免除、さらにポルト・ディエットの港湾使用許可を与えるという訳だな」
ケルン公国側の貴族が確認するように言う。
「おっしゃる通りです」
俺が答える。
「こちらだけが『港湾の使用許可』を出すのは、少々不平等ではないかね?」
相手側の貴族の一人が、そんなことを口にする。
むむっ。
これははっきり言って、「難癖」に近い。
港湾の使用料は払うし、ケルン公国側の漁業を防衛しないよう、「年間漁獲量」についても制限を加えたうえでエルトリア船籍の船の入港を許可してもらうという契約だ。
不平等な要素はどこにもない。
恐らく、これまではケルン公国が独占的に行ってきた「交易」や「海産物の輸出」にエルトリア王国が入ってくることを恐れているのだ。
まぁ、彼らの懸念も判らないでもない。
こうなることも「予測済」なので、俺は「隠し玉」として持ってきた条件を提示する。
「分かりました。それでは我がエルトリア王国も『港湾の使用許可』を貴国にお出ししましょう」
「何!?」
ケルン公国側の貴族たちが驚いて目を丸くする。
「これは異なことを申される。海のないエルトリア王国に『港』があるわけがなかろう」
あるんだな。これが。
エルトリア王国の南部に「パノラマ河」という大きな川が流れている。この川は、エルトリア王国を抜けてケルン公国を通り、そのままケルナ湾に流れ込んでいるのだ。
そして、この川の中流に「パノラマ港」という河川港(川に存在する港)が本当に存在するのだ。
この港は、上流から木材を川に流して運搬したり、地元の漁師が川で漁をする際に使用する目的で作られたものだが、時の経過により次第に利用されなくなり、いまでは国内でも知る人はほとんどいない「忘れられた」港なのだ。
ケルン公国からであれば、喫水の浅い船であればケルナ湾からパノラマ河に入り、そのまま流れの緩やかな川を遡上すれば、パノラマ港につくことは十分に可能だ。
「し、しかし、そんなさびれた河川港の使用許可をもらっても、正直なところ、我が国には利用価値が……」
ケルン公国側の貴族が懸念事項を伝える。
「パノラマ港からエルトリア城までは、徒歩でも半日程度で到達可能です。ケルナ湾で採れた新鮮な魚介を、『生きたまま』エルトリア城下町へ運搬することも可能なのでは?」
「あっ!?」
貴族たちは驚いて声を上げる。
そう、ケルン公国にとって最大の悩み、それは「海産物の鮮度を保ったまま国外へ輸出する手段がない」というものだ。
まさかバケツに水を張ったまま馬車や人力で何日もかけて海産物を運ぶ訳にはいくまい。(比較的短い距離であれば、鱧などの生命力の強い魚は運搬可能であるが、そんな距離でも日数でもないのだ)
また、魔道国家シーレーン皇国で生産される「魔法石」という魔力を閉じ込めた石を使えば、「氷の魔法石」で冷凍・冷蔵運搬することもできないではないが、魔法石が非常に高価な代物であるため、それも現実的ではない。
なので、国外へ海産物を輸出する際は、基本は干物や塩漬け、燻製など日持ちするように加工して輸出することになる。
もちろん、加工したものでもケルン公国産の海産物は世界中で需要がある。
が、やはり加工品では調理方法が限られるし、何と言っても新鮮な魚介にはどうしても劣るものだ。
鮮魚に比べて需要が落ちるのは否定できない。
「ケルンの臭いニシン漬けなんか食べたくない」と国外でバカにされればケルン人は悔しいだろう。
「お前らポルト・ディエットで本場のニシンを食べたことがないくせにバカにしやがって」と思うのは当然だ。
だが、海上輸送(川上輸送)ならこの問題は十分に対処可能だ。
船に備え付けた巨大な水槽で鮮度を保ったまま海上輸送し、パノラマ港で水揚げ。
そこから徒歩でエルトリア城下町まで半日程度の距離なら、十分に新鮮なまま魚介を輸送することができる。
エルトリア王国がいくら小国であるとはいえ、そこは「城下町」だ。万を超える数の「胃袋」が存在することに変わりはない。
パノラマ港を抑えることによってこの「巨大なマーケット」にケルン公国が参戦できるのだ。しかも同国が誇る「新鮮な魚介」を武器にして。
「お、おぉ……!」
貴族たちの目の色が変わってきた。
これが「底なしの金を生む」ビジネスチャンスであることに気付いたのだろう。
「よ、よかろう。その条件で話を進めようではないか……」
「乾杯!」
ここはポルト・ディエット第2階層の崖に面した「バル」の一角だ。
俺たちはビールジョッキを高く掲げる。(シルヴィは未成年なので、お約束の「ミルク」で我慢してもらっている)
あの後、とんとん拍子で話が進み、あっという間に両国の合意と相成ったのである。
合意事項は「両国相互の商人に対する、関所における検査の簡略化および通行税の免除」「エルトリア船籍の船舶のポルト・ディエット港の使用許可」「ケルン船籍の船舶のパノラマ港の使用許可」だ。
明日の調印式で、シルヴィとゼファール大公がそれぞれサインをすることによって、正式に効力を発揮する。
当初、交渉は「2日目の夜」までかかるとの予想でスケジュールを組んでいたが、蓋を開けてみれば何のことはない、15時前にはすべての交渉が終わってしまったのだ。
予想よりかなり早く交渉が終了し、スケジュールが大幅に空いてしまったので、俺たちはルナやグレゴリー卿とも合流し、その足で第2階層のバルに直行し、「打ち上げ」をすることにしたのだ。
せっかくケルン公国に来たのに、本場のバルに入らずに帰るわけにはいかない。まだ日が高い時間帯だし、この時間なら未成年のシルヴィが出歩いても大丈夫だろうというのもある。
ゴクゴクゴク。
「くぅ~」
良く冷えたビールがうまい。この「仕事の後の一杯」は最高だ。
まだ日が高いうちから酒を飲んでいるという背徳感にも似た贅沢さも癖になりそうだ。
「それにしても、貴族院の連中をあそこまできれいにやり込めるとはさすがの手腕だね」
この場にはなぜかゼファール大公とドグラ将軍も参加している。
まぁ、実は「パノラマ港の使用許可」の件は最初からゼファール大公には伝えてあって、初めから合意事項に含まれていたのだ。
貴族院との「交渉材料」として隠していたのだ。
「はいよ、お待ち!」
早速料理が運ばれてきた。
俺たちが頼んだのは、「海老とマッシュルームのアヒージョ」「シロギスのフリッター」そして昨日ゼファール大公が説明してくれた、色とりどりの「ピンチョス」だ。
「いただきます」
俺が最初に貰うのは、スモークサーモン・クリームチーズ・トマトのピンチョスだ。
うん、美味い。塩気が利いたスモークサーモンのトロけるような食感と、クリームチーズの濃厚さ、トマトの酸味がミックスされた味はまさに絶品だ。
ぷりっぷりの海老が入った熱々のアヒージョもいい。ガーリックと黒胡椒が食欲を増進する。(胡椒は南方交易で手に入れたものを保存しているのだろう)
バゲットをオイルにくぐらせて、一滴も残さずにぺろりと平らげてしまう。
シロギスのフリッターもそとはサクサク、中はフワフワでどれだけでも食べられそうだ。付け合わせのレモンのすっぱさがいいアクセントになっている。
これはビールが何杯でも飲めそうだ。
「そういえば昨日の……」
「明日の予定なんだが……」
皆なごやかに談笑しながら、バルを満喫している。
公式訪問はいまのところ順調そのものだ。
明日は調印式ぐらいで、それ以外に大した用事もない。
俺も肩の荷が降りた思いで、明日市場を見物して、何かパメラさんにお土産を買って帰ろうかなぁなどと他愛のないことを考えていた。
だが、俺たちはまだ知らなかった。知る由もなかったのだ
公式訪問3日目に発生する、「驚愕の事態」のことなど……。
パノラマ河については、実は第10話「バーク街道の戦い③」で名前だけ登場してます。(クロエと面会した「デメトール山岳地帯」についてもそこで名前が出ています)