第32話 魔王様、軍を再編する②
翌日。
再び、俺たちはバルマ砦を訪れた。
今日はルナではなくパメラさんに同行してもらっている。
「おぉ、貴殿が、アレク殿ですな。お目にかかれて光栄です」
部屋に入ると、ソファーに座って待っていた男が、さっと立ち上がり、深々とお辞儀をする。
「私はハマスと申します。タイネーブ騎士団領で馬の行商をしております」
男は自己紹介をする。
はきはきとした態度、礼儀正しい物腰。
昨日のユードラント共和国の武器商ギャズとは対照的な人物だ。
今日俺たちが面会している人物は、タイネーブ騎士団領の軍馬の商人だ。
むろん、お目当ての品は、世界に名高い「タイネーブ種」の軍馬だ。
「よろしくお願いしますぅ」
パメラさんがのんびりした口調で言う。
今日彼女に同行してもらったのは、もちろん俺以上に馬に関する専門知識が豊富だからだ。
彼女はほんの少しだが牧場にも顔を見せられるようになった。(とはいえ「昔の思い出」がある場所だと突然泣き出してしまうこともあるので、新築された社屋などの限られた場所にしか行くことはできないが)
「動物が好き」という心に変わりはないようで、事件後新しく飼育を始めた子牛やヒヨコのことを可愛がっているようだ。
秘書としての仕事中にもよく、俺にそんな話をしてくれる。
現在は彼女の好きな時に、牧場に行ってくれてもいいし、秘書の業務を手伝ってくれてもいいし、体調がすぐれないなら休んでくれてもいいと伝えてある。
今日は彼女の希望もあり、交渉の場に同席してもらった。
「騎馬隊用の軍馬ということですから、雄の馬で、2歳ぐらいの……」
ハマス殿が説明を始める。
「飼育の際は……。あと、病気やけがの……。」
パメラさんが俺に代わって熱心に質問をしてくれている。
やはり彼女を連れてきて正解だった。
こういったことは「その道のプロ」に任せるのが一番いい。
「いやはや、驚きましたな。パメラ殿は本当に馬にお詳しい」
専門家のハマス殿が感心して舌を巻く。
彼女の知識はそれほどだったようだ。
おかげでその後の価格交渉もすんなりいった。
むろん世界最高品質の「タイネーブ種」の馬だから、「高い」のは当然だ。
だが、向こうも初めから「適正価格」をしっかりと提示してくれた。
(ギャズみたいに「ふっかける」ような真似はしなかった)
とりあえずの購入頭数は500頭。
まずは士官クラスや精鋭兵に優先配備し、残りは「アルドニア種」で賄うことになる。
いずれは全騎「タイネーブ種」で賄うのが理想であるが、現時点では金銭的にそこまでの猶予はない。また、新米騎士がいきなり「タイネーブ種」の大柄で気性の荒い馬を乗りこなすのは難しく、初めのうちは大人しい「アルドニア種」で練習した方が良いという理由もある。
ちなみに以前メルベル牧場で購入した「山岳種」の馬300頭は、今後は戦場に兵糧や物資を運搬する「荷馬」として運用することになる。
小柄でスピードはないが、タフな「山岳種」は重たいものを運ぶのにうってつけだ。
その後順調に契約書の締結まで無事に完了した。
(当然、購入する品が「生物」であるため、今度実際に馬を見せてもらって問題がないか確認をしてから、契約の履行となる)
「いやはや、お互い『いい取引』になりましたな」
ハマス殿が笑顔を見せる。
すっかりと打ち解けた雰囲気だ。
「騎士団領の方はどうですか? 何かお変わりはありませんか?」
俺がハマス殿に尋ねる。
「おかげさまで、今年の初春にも元気な仔馬がたくさん生まれ、すくすくと育っておりますよ。ただ……」
彼はそこまで言って少しだけ表情に暗い影を落とす。
「最近『イカルガ城塞』の西、つまり『中央六国側』で魔王国の『ケンタウロス騎士団』が大規模な軍事演習を展開しておりまして、そちらの方が気がかりですな……」
「えっ!?」
「むろん『軍事境界線』を超えることはなく、ましてや我が国の民や家屋などに一切被害は出ていないのですが……。それでも、魔王国がイカルガ城塞のこちら側に軍を展開するなど、ここ最近はずっとなかったことですから、皆内心では恐怖を感じていますよ」
「そ、そうですか……」
俺はハマス殿の話に口数少なく頷く。
「……」
ハマス殿が帰られた後も、俺はその場で考え事を続けていた。
魔王軍が鉄壁の「イカルガ城塞」を超えて、タイネーブ騎士団領の目と鼻の先で大規模な軍事演習を行っている。
これは中央六国に対する、明らかな「挑発行為」だ。
そして、それを行っているのはケンタウロス騎士団……。
「ダンタリオン殿が、自ら進んでそんなことをするとは思えないが……」
俺は小さな声で呟く。
だが、ケンタウロス騎士団が展開しているということであれば、指揮官は間違いなく四天王筆頭のダンタリオン殿であるはずだ。
「軍事演習」とはいえ、「そんな場所」に魔王軍が現れれば、タイネーブ騎士団領も国境沿いに軍を展開し、最大級の警戒態勢で有事に備えるだろう。
両軍が極限の緊張状態で対峙しているのだ。例え司令部が望まなくとも、現場の兵士のちょっとしたミスで「一触即発」という事態も十二分に考えられる。
ジオルガ=ギルディならばともかく、思慮深く老練であり、かつ「ムダな戦い」を望まないダンタリオン殿が、まさかそんなことをするとは……。
「アレクさん、大丈夫ですかぁ?」
先ほどから押し黙ったままの俺を心配して、パメラさんが声をかける。
「あ、あぁ……。大丈夫だよ。今日はもう帰ろうか。」
俺はそう答える。
事態は思っていた以上に深刻なようだ。
それから約二週間後。
注文していたユードラント共和国産の「武器」とタイネーブ騎士団領の「軍馬」が届いた。
どちらの品も、流石は「中央六国随一」だ。
これならば軍も大幅に強化されるだろう。
しかし……。
「魔王国がついに動き始めたか……」
俺は新しい武器と軍馬で早速訓練を開始するエルトリア王国軍の様子を眺めながら呟く。
ジオルガとダンタリオン。
四天王二人が同時期に中央六国に圧力を加え始めたのは「偶然」ではない。
恐らく、いや、間違いなく、ロドムス率いる新生魔王国の「政策目標」に沿っての行動だ。
「……」
今回の軍備拡張で、エルトリア王国軍もようやく正規軍としての体裁は整ってきた。
だが、この程度の強化、魔王国の前では無に等しい。
そもそも魔王国のような超大国を前に、エルトリア王国単体で対抗策をあれこれと考えてみたところで全くの無意味だ。
もっと大きな視点で、
中央六国全土、場合によってはメアリ教国やダルタ人勢力圏までも巻き込むような「大規模な長期戦略」が必要だ。
「曇ってきたな……」
俺はゴロゴロと雷鳴を轟かせる雲が頭上に広がるのを確認しながら、そんなことを考えていたのだった。
To be continued