プロローグ2 魔王様、弱小国家の宰相になる②
「さ、宰相になってほしいだって!?」
俺は突然かつ予想外の申し出に困惑する。
エルトリア王国。人間界の「中央六国」のうちの一国だ。軍事力・経済規模・領土、どれも六国中最弱最小の国家だ。これといった産業や特産品もなし。唯一、国王のエルドールⅢ世が名君であるという以外は、取り立てて特徴のない国だ。
それにしても、王女様が魔王に宰相になってくれと提案してくるのは、一体全体どういった理由だろうか?
「あっ、突然申し訳ございません。私ったら興奮してしまって」
シルヴィア姫は恥ずかしそうに言うと、改めて俺に詳細を説明する。
「今から1か月前、父エルドールと3人の兄たちが、鹿狩りの帰りに崖崩れに遭い行方不明になってしまいました」
なんと、あの名君の身にそんな悲劇が起きていたとは。全然知らなかった……。
「それで、継承権の低かった私が突然王位継承者に選ばれてしまったんです」
彼女は少し表情を曇らせながら続ける。
「はじめは私に務まるわけがないと思いました。でも、父が愛していたこの国を守り抜くのが、娘である私の使命であると思い、王位の継承を受諾しました」
「でも、王位継承は形だけのものでした。父の死を好機ととらえた大貴族たちが、好き勝手に政治を操るようになり、事故からたった1か月で、この国はメチャクチャになってしまいました」
最後、彼女は消え入るような、泣きそうな声でつぶやいた。
「この国を、小さくてもみんながしあわせで、笑いが絶えない素敵な国に戻したいんです。でも、私には政治の経験が全くないし、国内にはほとんど味方がおりません。だから、魔王様に相談役として宰相になっていただきたいんです!」
今度は力強くはっきりとした口調だ。彼女の意思の強さがうかがえる。
本気でこの国を愛しているのだ。
さて、どうしたものか。
俺は思案する。
論理的に考えれば、受けるべきでない。
俺は魔王位を追われた身。再起の道筋がつくまでは、極力目立つ行動は慎むべきだ。
小国とはいえ、一国の宰相など引き受ければ、俺の所在がロドムスにばれる可能性は十分にある。
しかし……。
俺は改めて、覚悟のこもった目をこちらに向けるシルヴィア姫を見つめる。
状況は違うが、部下に国を好き放題にされている境遇が俺と似ていたから同情したのだろうか? あるいは、若くに父と兄たちを亡くし、国を背負って立つ運命の少女を哀れに感じたのだろうか?
いや、違う。
彼女の言葉には、何かとてつもないパワーを感じる。協力したいと心から思わせる何かだ。
そして恐らくそれは、魔王たる俺ですら持ち合わせていない何かだ。
それに惹かれてしまったのかもしれない。
俺はフッと短く息を吐くと、彼女の前に跪く。
「謹んでお受けいたします。この魔王、シルヴィア殿下の手足となり、エルトリア王国の復興と発展のために、全力を尽くす所存でございます」
「あ、ありがとうございます!」
彼女は満面の笑みで喜ぶ。可愛い子だが、笑うとさらに美しい。
「よろしくお願いします。魔王様! あっ、私のことはシルヴィって呼んでください。親しい友人はみんなそう呼んでくださるので」
「よろしく、シルヴィ。そうだ、俺のことはアレクと呼んでくれないか? その、人間界での呼び名ということで」
「はい、アレク様!」
彼女はそう言ってキラキラとした瞳をこちらに向ける。なんだか少し恥ずかしい。
「そ、そうだシルヴィ。近くの森に1人、俺の従者が待機しているから呼んでくるよ」
俺はルナのことを思い出し、シルヴィに告げる。
「ハイ、お待ちしております!」
彼女はそう返答する。先ほどの襲撃の件があるが、見晴らしの良い周囲に全く人影はなし。往復10分程度で戻ってこれるから、特に危険はないだろう。
俺はすぐに駆け出した。
「に、人間の国で宰相ですか……」
ルナに合流し、事情を説明すると、彼女は一瞬困惑の表情を見せる。
「やっぱりまずいと思うかい?」
「いえ、決して! 魔王様の決定が間違っているはずがありません!!」
ルナは直立不動の姿勢で返答する。
絶対の忠誠を誓っている反面、俺のどんな問いにもサー・イエッサーと答えてしまうのが彼女の数少ない難点だ。
「テンペストには、一旦森に潜んでおくよう言っておきました」
ルナが俺に報告する。
意外と大きな森のようだし、テンペストはとても賢い飛竜なので、現地人に見つかるようなヘマはしないだろう。当面は安心だ。
「あっ、お戻りになられましたか」
俺たちの姿を確認したシルヴィが、手を振りながらこちらにかけてくる。
「はじめまして。シルヴィア様。アレク様の従者のルナリエと申します。」
ルナが敬礼する。
「よろしくお願いいたします。ルナリエさん。私はシルヴィアと申します」
シルヴィがドレスの裾を持ち、うやうやしくお辞儀をする。
顔合わせが済んだところで、さっそく城下町に向かうことにした。
「魔王様、じゃなかった。アレク様はどうしてエルトリア王国へいらっしゃったのですか?」
シルヴィが俺に質問する。
「うん、ちょっと人間界で見識を広めたくてね。魔王城のことは『優秀な部下』が取り仕切るだろうから、当面帰る必要はないよ」
俺は彼女の質問をはぐらかす。いずれ本当のことを伝えるつもりだが、今はよした方が賢明だろう。
「シルヴィこそなんで従者も連れずにあんな所にいたんだい?」
俺は彼女に質問を返す。
「ちょっと息抜きのつもりで、お城をこっそりと抜け出したんです。昔からお城の中にいるよりも、草原で山羊たちと遊んだり、鳥たちとお話ししたり、クローバーで冠を造ったりするのが大好きだったので。」
「でもまさか、私をつけ狙う人たちがいるなんて思いもしませんでした。自覚が足りないですよね。王位にあるものとして失格です」
彼女は自嘲気味につぶやく。
「そんなことはないよ。息抜きはすごく大事だ。これからは俺が護衛につくから、いつでも呼んでよ」
俺も政務につかれると、魔王城の屋上に出てぼんやりと空を眺めたりするのが好きだ。
まして彼女は突如国の代表に祭り上げられ、かつ、己の利益しか考えない貴族どもに日夜囲まれているのだ。その心労は想像するに余りある。
「ありがとうございます。アレク様がいてくだされば、絶対安心ですね」
彼女はそう言って少しだけ笑った。
やがて俺たちはエルトリア王国の城下町にたどり着いた。
魔王国の帝都に比べれば、10分の1以下の小さな城下町だが、白い壁と赤い屋根の調和がとれた非常に美しい街だ。
目抜き通りは白いタイルが敷き詰められ、沢山の露店が所狭しと立ち並び、にぎわっている。
奥には噴水広場と凱旋門が見え、そのまた奥に美しい城が見える。
町全体が見事な芸術作品のようだ。
質実剛健で見た目より機能重視の我らが魔王国帝都とは全然違う様子だ。
通りは多くの人たちであふれかえり、一見すると非常に栄えているように見える。
だが、
俺は道行く人たちを注意深く観察する。
わずかに、しかし明らかに、表情に陰りが見える。
シルヴィが言う通り、貴族の悪政が民に少なからぬ影響を与えている証拠だ。
「こっちです」
シルヴィが城の正門から外れた路地裏のような脇道に入る。
城を囲む城壁と水路の間に、非常に狭い隙間がある。ところどころにツタやクモの巣がかかっている。
「ま、まさかここを通るんですか……」
ルナがためらいの表情を見せる。
「子供のころから使っている秘密の抜け道です。私以外誰も知らないんですよ」
シルヴィが躊躇なく隙間に入っていく。見た目に反し、かなりのおてんば姫のようだ。
隙間を抜けると、小さいながらも見事な庭園に出た。
赤やピンク、白など色とりどりのバラが咲き乱れ、アーチや生け垣を美しく彩っている。
繊細な装飾が施された白のガーデンテーブルとイスがあり、読みかけの本と、黄色い小鳥が入った鳥かごが置かれている。
「ここは私の庭です。さぁバレないうちに」
シルヴィはそう言ってコソコソと室内へと通じるガラス戸に近寄る。
「ひ、姫様! 一体どちらにいってらっしゃったのですか!?」
突如ガラス戸が開き、中から初老の紳士が顔を出す。
「せ、セバスチャン!?」
シルヴィは観念したといった様子でうなだれる。
「全く、じぃがどれほど心配したと思いますか!? もう子供ではないのですから、昔のようにお城からこっそり抜け出すのは、うんぬんかんぬんクドクド……」
「あ、あの」
いつまでたってもお説教が終わる気配がないので、俺は意を決して間に割って入る。
「おや? お客様がいらっしゃったとは。大変失礼いたしました。ええと、申し訳ございませんがどちら様でしょうか?」
セバスチャンと呼ばれた老人がうやうやしくお辞儀をしながら尋ねる。
「あ、あのねセバスチャン。この方たちはアレク様と従者のルナリエさんよ。実は私、先ほど城外で盗賊たちに襲われそうになったところを、この方たちに助けていただいたの」
シルヴィが早口で説明する。
「ななななな、なんと!? シルヴィア様、お怪我はございませんか!? おのれ賊め、よりによって姫様に手を出すとは許せぬ。直ちに兵を派遣して下賤な賊をとらえ、全員縛り首にしてやりましょう!!」
「セバスチャン。私は大丈夫だから。アレク様のおかげで無事よ。どこもケガしてないわ」
「さ、左様でしたか。良かった……。アレク様、と申されましたか。この度は姫をお救い頂き、本当にありがとうございます。」
老人は落ち着きを取り戻し、俺に深々と頭を下げる。
「い、いえ、お気遣いなく。こちらこそ、恐縮です」
俺も頭を下げる。
執事と魔王がお互い頭を下げる、なんとも滑稽な図だ。
「ねぇセバスチャン。この方たちには当面このお城に住んでもらうことになったの。空いている部屋の手配をお願いできる?」
「ハッ、かしこまりました。姫様の命の恩人ですから、城内最上級の客室をご用意いたします」
「防犯上の観点から、私の寝室は絶対にアレク様と同じ部屋にしてください」
ルナが大真面目な顔でとんでもないことをいう。
何を言っているんだこの子は。防犯上の観点という意味ならむしろ男女別々の部屋の方が良いと思うのだが……。
「はぁ、左様ですか。条件に合う部屋があるかどうか探してみます」
セバスチャン殿は面食らった様子でそう答えた。
「そういえば姫様。一つ厄介なことになっておりまして」
「どうしたの? セバスチャン」
「実は姫様が行方不明になられた件が大貴族たちにバレてしまいまして、ベルマンテ公より『姫が見つかったら至急余のもとへ参上するように』と言伝を承っております」
それまで和やかな様子だったシルヴィが急に表情を硬くする。
「わかりました。すぐに参ります。アレク様、ルナリエさん。大変申し訳ありませんが、少しこちらの部屋でお待ちください」
シルヴィはそう言い残すと、覚悟を決めたような表情で出て行った。
「ささ、アレク様、ルナリエ様。どうぞこちらへ。姫様がお戻りになられるまでおくつろぎください。ただいま美味しい紅茶をご用意いたしますので」
セバスチャン殿がそう言って俺たちを室内に案内する。
「国家元首を呼びつけるなんて、魔王国では考えられないですよね。人間界ってそうなんですか?」
紅茶を待ちながら、ルナが俺に質問する。
「いや、人間界でも異常なことだよ。恐らくさっき話に出てきた『ベルマンテ公』というのがシルヴィの政敵の大貴族なんだろうね」
俺はそう答える。あの短いやり取りだけでもシルヴィと大貴族たちのパワーバランスが十分に感じ取れた。
「な、なんの御用ですか!? 姫様のご友人方に対し、失礼ですよ!!」
「黙れ! 執事ごときが我々に口答えするな!!」
突然、奥で騒々しいやり取りが聞こえ、ガチャガチャと金属音を立てながら、数人の兵士たちが部屋に突入してきた。
兵士たちは鎧と兜で完全武装しており、姫のプライベートルームだというのに帯刀までしている。
「なにか御用でしょうか?」
俺は嫌な予感がしながらも、努めて紳士的にふるまう。
「貴様がアレクだな! 姫様をたぶらかそうとした罪で、貴様を逮捕する!!」
兵士は腰の剣に手をかけながら、高らかにそう宣言した。