第116話 魔王様、牧場を見学する
5月4日。
ケルン公国との軍事同盟も無事に締結することができ、ほんの少しだが、時間的な余裕ができたので、俺は、パメラさんに誘われて、メルベル牧場の見学に訪れることにした。
「今日はわたしがアレクさんを独占ですぅ~」
道中、パメラさんはとても嬉しそうだ。
俺も楽しみだ。
今日はパメラさんと色々な話をしたいものだ。
エルトリア城下町を東門から出て、少し歩くと、程なく「メルベル牧場」が見えてくる。
パメラさんと、父親のバーノン氏が経営する牧場だ。
かつて、エルトリア王国貴族派と内紛状態にあった当時、メルベル牧場は貴族派のベルマンテ公に徹底的に破壊され、動物たちはことごとく殺されてしまったことがある。(※21話参照)
シルヴィが政権を奪還して以後、メルベル牧場はエルトリア王国の資本と人的資源を注入し、以前にもまして大きな牧場として、完全復活することができた。
「さぁ、着きましたよぉ~」
パメラさんが、嬉しそうに牧場の入口を指さす。
「へぇー、これはすごい」
俺は驚いて目を見張る。
牧場は、観光客で埋め尽くされており、動物ふれあいコーナーでは小さな子供たちが子ヤギや子豚、アヒルなどと戯れている。
乗馬体験コーナーも大盛況だ。
メルベル牧場の牛乳で作られた「特製ソフトクリーム」や、王国の特産品にもなっている「メルベルチーズ」の販売場は、1時間待ちの大行列だ。
「『観光』もメルベル牧場の重要な売り上げの柱になったんですよぉ~」
パメラさんが誇らしげに言う。
メルベル牧場は、これまで、エルトリア軍で使用する軍馬の育成および調教という役割。
王都エルトリア城下町に毎日新鮮な卵や牛乳などの乳製品を届けるという、食料供給拠点としての役割。
そして、今やエルトリア王国の主要な輸出商品となった「メルベルチーズ」の生産工場としての役割を担ってきた。
ここに新たに、首都圏の観光スポットとしての役割が加わったようだ。
メルベル牧場は、まさにエルトリア王国にとって、「無くてはならない」重要施設であるといえよう。
「ふっふっふっ、そうでしょうそうでしょう~」
パメラさんは鼻高々だ。
「さぁ、案内いたしますよ~」
俺はパメラさんの案内に従って、俺は牧場内を見て回ることにする。
まず訪問したのは、軍馬の育成施設だ。(ここは一般人は立ち入り禁止だ)
調教場では、タイネーブ種の大型の馬が、急斜面を駆け下りる訓練の真っ最中だ。
美しく、健康的な馬だ。調教師の指示をよく聞いている。
「タイネーブ種、アルドニア種を中心に、現在既に500頭ほどが調教完了しています。すぐにも騎馬隊に編成できますよぉ」
パメラさんが説明する。
それはありがたい。
先の神聖十字軍による遠征で、騎馬隊を中心とする第3軍も甚大な被害を受けた。
騎馬隊は一度喪失すると、兵士と騎馬の両方を一から訓練しなおさなければならないため、再編に時間がかかるのだ。
だが、この様子であれば、それほど時間もかからずに、騎馬隊を復旧させることができそうだ。
「飼育施設の方では、繁殖も行っていますよぉ。タイネーブ種とアルドニア種の優秀な血統から、エルトリア王国独自のブランド、『エルトリア種』ができないか、今、研究中ですぅ」
パメラさんが説明する。
な、なぜ俺の股間のあたりをじっと見つめているのだろうか……。
そ、それにしても、エルトリア王国独自の血統を開発中というのは、非常にいいことだ。
ダルタ人の「砂漠の馬」は別格だとしても、騎馬隊用の軍馬としては、現状「アルドニア種」か「タイネーブ種」のブランド馬を購入して育成するしか選択肢がない。
(山岳種というずんぐりむっくりした小柄な馬では、いくらなんでも騎馬隊の編成は無理だ)
つまり、騎馬隊用の馬を他国からの輸入に頼らなければならず、政変によって他国との関係が悪化した場合には、馬を輸入できないというリスクがあるのだ。
もし、エルトリア種という独自ブランドを開発することができたなら、エルトリア王国は、自前で軍馬を調達できるようになるだろう。これは非常に大きい。
「さぁ、次いってみましょ~」
俺は、引き続き、新設された観光用エリアを視察する。
5月の少し汗ばむぐらいの陽気の元、観光用エリアは主に家族連れでごった返している。
観光用エリアでは、様々な動物と触れ合ったり、餌やりコーナーがあったり、牛の乳しぼりや乗馬などの体験型のイベントゾーンがあったりと、非常に工夫がこなされており、見ているだけで楽しくなってしまう。
「うわっ!? なんだこのオッサンみたいな顔の動物は!?」
「それはアルパカさんですぅ~。ダルタ人勢力圏のある大陸南方の高原地帯が原産の生き物さんなんですよ~」
「へ、へぇ、始めてみた……」
俺はまじまじとアルパカさんの顔を見る。世界は広い、こんな変わった生き物もいるものだ。
「あっ、あんまり近づくと、つばを吐くので気を付けてくださいね」
「えっ」
ビチャ!
まさかの、魔王様がアルパカさんのつば攻撃を受けた瞬間なのでした。
「やれやれ、ひどい目に遭った」
「ドンマイですよぅ、アレクさん」
俺は一旦顔を洗って出直して、現在は牧場全体が一望できる高台のエリアに来ている。
この辺りは観光客も少なく、草原を吹き抜ける風が心地よい。
もう少しして初夏になると、この辺りはあたり一面にラベンダーの花が咲き乱れるそうで、パメラさんのお気に入りの場所なのだそうだ。
「アレクさん、私ねぇ」
パメラさんが、遠く牧場を眺めながら語り始める。
「牧場が壊されてしまった時は、本当に悲しくて、生きていく気力もなかったんです」
「でも、アレクさんのおかげで、少しずつ立ち直ることができました。今でも、たまに『あの時』の記憶がよみがえってきて、夜うなされたりすることもあるけど」
「でも、やっぱり私はこの牧場が好きなんです。お父さんのこの牧場と、ここにいる沢山の動物たちが、大好きなんです」
俺は彼女の言葉に、力強く頷く。彼女が元気を取り戻してくれたのは、本当によかった。
「あっ、もちろん、アレクさんの『秘書』はこれまでどおり続けますよ」
パメラさんはそう付け加える。
「つまり、これからも私とメルベル牧場をどうぞよろしくお願いしますってことですねぇ」
そう言って深々と頭を下げるパメラさん。
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
俺も少し笑って、深々と頭を下げるのであった。
さぁ、そろそろお父さんも、配達から戻ってくる頃だと思いますので、牧場に戻りましょう。
「そうだね、バーノン氏にも挨拶しておかなきゃね」
「えぇ!? あ、アレクさん、そんな、私のお父さんに『挨拶』だなんて。まだ早くないですかぁ? 私まだ心の準備が……」
「うん? なんか言ったかい?」
なぜか真っ赤になるパメラさんを横目に、俺たちは牧場へと戻るのであった。