第112話 魔王様、謀略を施す①
5月2日。
神聖十字軍の終結から一か月と少し。
大戦後の小康状態から一変して、にわかに世界が動き始める。
最初に激動の舞台となったのは、アルドニア王国であった。
先の神聖十字軍で11万を超える将兵を失った満身創痍の大国に、南のダルタ人が大挙して押し寄せたのである。
ダルタ人は世界最強の戦闘民族である。
彼らは生まれながらの騎馬民族であり、嘘か誠か、ダルタ人の赤ん坊は、歩けるようになる前に、まずは馬の操り方を親から学ぶという。
しかも、彼らが乗るのは、「砂漠の馬」と呼ばれる、あのタイネーブ種すら超える、世界最高品種の軍馬である。
天才的な戦闘民族と世界最高品種の馬で構成される、「ダルタ人騎兵隊」は、もはや「災害レベル」の強さであり、並の軍隊では、抵抗すらできずに踏み砕かれてしまう。
まして、アルドニア王国軍は、戦う前から既にボロボロである。
ダルタ人は、「キュレンダールの長城」をあっさりと突き破り、まずはアルドニア王国南部にて、破壊と略奪、虐殺と凌辱の暴風雨を巻き起こし始めるのであった。
―― エルトリア城。
偵察に出ていた飛竜部隊より、同国にはいち早くダルタ人侵攻の一報がもたらされた。
「……。ついに、『ダルタ人』が動き始めたか」
ウォーレン侯が、いつも以上に渋い表情で唸るように呟く。
「どどど、どうするのだ!? すぐに軍を国境沿いに派遣して、敵を防ぐしかないぞ」
モントロス伯はパニック状態だ。
無理もない。
中央六国、特に、アルドニア王国、ケルン公国、エルトリア王国などの「南部」の国々は、ダルタ人の恐ろしさを十分すぎるほど理解している。
彼らの恐怖は根源的なものである。
だが、
「……。そう慌てる必要はありません」
俺は努めて冷静に意見を述べる。
「なぜだ!? アレク殿は『魔王』だから、奴らの怖さをご存じないのであろう!? 奴らは本当に……」
カスティーリョ伯が、顔を引きつらせながら反発する。
「!?」
会議に集まっていた貴族たちが、気まずそうに顔を見合わせる。
彼らもまだ、「魔王を受け入れる」というシルヴィの政策に、心から賛同しているわけではないのだ。
「そんなことはないですよ」
俺はカスティーリョ伯に答える。
無論、ダルタ人の恐ろしさは良く分かっている。
連中は、魔王国にさえも恐れることなく侵攻してくる。
現在、魔王軍は南方のガドガン海峡の制海権を巡ってダルタ人と激闘を繰り返しているが、あのイザベラ=ローレライをもってして、膠着状態を維持するのが精いっぱいなのだ。
ダルタ人には何度も煮え湯を飲まされている。
だが、
「奴らがエルトリア王国に侵攻してくることはありませんよ。少なくとも、『当面は』ね」
「ど、どういうことですかな?」
ブレンハイム子爵が不安と期待の入り混じった顔で問いかける。
「奴らの目的は、『略奪』です。そして、アルドニア王国は、中央六国最大で、かつ、もっとも裕福な国です」
「それが、どうしてエルトリアが狙われないこととつながるんだ?」
アルマンド男爵が続きをせかす。
「つまり、ダルタ人には、『戦略目標』がありません。略奪をしながらの侵攻になりますので、いくらダルタ人とは言えども、その進軍速度は、極めて遅いと考えられます」
「さらに、ダルタ人としては、より裕福な地域を狙いたいところでしょう。そうなると、奴らの狙いは……」
「アルドニア王国王都、クレムドールと、ロイヤル・デサント宮殿か……」
ウォーレン候が理解したように呟く。
王都クレムドール。
かつて、神聖十字軍の打ち合わせで訪れたことがある、アルドニア一の、いや、中央六国一の巨大都市だ。
また、その中心部、シルベス湖に浮かぶ「ロイヤル・デサント宮殿」は、同国の富と権力を象徴する豪華絢爛の極みのような場所である。
ダルタ人からしてみれば、略奪の対象として、これ以上ない存在だ。
「ダルタ人は、略奪を続けながら、アルドニア王国を北進し、王都クレムドールを狙う進路を取る公算が高いです」
「な、なるほど……」
「しかし、そうなれば、遅かれ早かれ、必ずメアリ教国軍が出陣することになります」
中央六国の代表国であるアルドニア王国と、宗主国メアリ教国のパイプは極めて太い。
今回のダルタ人侵攻を、メアリ教国が黙って見過ごすはずがない。
必ず、アルドニア王国を救援すべく、軍を派遣する。
「で、では、我々もそれに呼応して出陣し、メアリ教国とアルドニアに恩を売るというわけですな」
モントロス伯が納得したように頷く。
しかし、
「いいえ、違います。アルドニア王国には滅びてもらいます」
「なっ!?」
俺の爆弾発言に、議場は凍り付く。
「残念ながら、メアリ教国とアルドニア王国は、すでに『仮想敵国』です。救援はできません」
「そんな……」
もちろん、戦火を逃れて逃亡してきたアルドニア王国の難民については、最大限受け入れる。冷徹な判断と非人道行為の線引きを間違えてはいけない。
「それに、アルドニアを救出する余裕はありません。我々はアルドニアが落ちる前に、なさなければならないことがありますから、そちらに集中しなければなりません」
「や、やらなければならないこと?」
「はい」
俺は、地図の一角を指さす。
「我々の狙いは、ケルン公国です」