第101話 神聖十字軍㉑
ジオルガは、ナユタ目掛けて金棒を振り下ろす。
が、その刹那……。
「弓兵隊! 一斉射撃! 撃てー!!」
いつの間にか回り込んでいたエルトリア軍弓兵隊がジオルガに向けて矢の雨を降らせる。
「!?」
危機を察知したジオルガは、ナユタへの攻撃をすんでのところで取りやめ、回避行動に出る。
「騎馬隊! 突撃!! ガロン殿、ワルター殿、それに、『クソガキ』を救出せよ!!」
そう命令するのは、エルトリア王国第2軍隊長のダイルンであった。
ダイルンの指示により、第4軍副長のウィルソンが弓兵隊を指揮し、ジオルガの動きを巧みに封じる。
その隙に、第3軍副長ニールが、騎馬隊を率いて敵をけん制しつつ、負傷者の救援に係る。
「ま、待ってくれ。俺は、まだ、やれる」
ナユタはなお、戦闘継続の意向を伝えるが……。
「よくやった、クソガキ。もう十分だ。俺たちの『粘り勝ち』だ」
ダイルンはそう言ってナユタに笑いかける。
「えっ?」
そこでナユタは、ようやく全体の戦況を把握した。
ジオルガ隊に追われていた神聖十字軍の「本隊」は、既にトラキウムに逃げ込んでおり、逃走は「成功」した。
任務が完了した救援部隊は、今度はジオルガ隊に喰らいついているエルトリア軍に加勢しようと、一目散にこちらに集まってきている。
ケルン公国のドグラ将軍、タイネーブ騎士団領のセオドール将軍、シーレーン皇国の魔女ゾーヤがそれぞれ軍を率いて、ナユタの元へ駆けつけてくるのが見える。
さらに、「本軍」逃走の陣頭指揮を取っていた、シドニア=ホワイトナイトとヒューゴ=マインツも、それぞれ軍を率いてトラキウムから出撃してきている。
無論、彼らの目的は、最後尾でジオルガ隊を足止めし、逃走の時間稼ぎをしてくれたエルトリア軍を救出することにある。
「……」
ジオルガも状況に気付いたようだ。
一瞬、怒りを爆発させるかにも見えたが……。
「フゥ~……」
まるで放熱するかのように大きく息を吐きだし、怒りの感情を無理やり抑え込んだようだ。
自軍に向けて冷静な指示を出し始める。
「『時間切れ』だ。テメェら、『人間狩り』はここまでだ。乱戦を解いて、全軍速やかに退却しろ」
「ま、待ちやがれ」
背を向けるジオルガに対し、ナユタが声を張り上げる。
「逃げる気か?」
「逃げる?」
ナユタの言葉に、ジオルガが振り返る。
「バカかテメェは。お前らが『逃げて』、俺たちが『追ってきた』んだろうが。状況も理解できねぇ程『おつむ』が弱えぇのか?」
「何だと!?」
「いいかガキ、俺はムカつく野郎を絶対に生かしちゃおかねぇ。まんまと逃げきりやがったテメェを見てると、はらわたが煮えくり返りそうだぜ」
「……」
「次に会った時は確実にぶっ殺してやっから、楽しみにしておけよ」
そこまで言って、ジオルガはニヤリと笑う。
「さぁ、とっとと国に逃げ帰って、ママのおっぱいにでもしゃぶりついて、慰めてもらえよ」
「!!??」
「ハハッ、アバよ。エルトリア軍のナユタ!」
ジオルガはナユタに向けて中指を突き立てると、あっという間に引き上げていった。
「ダイルン隊長! いかがしますか?」
「追撃は無用だ。負傷者を救助し、速やかにトラキウムまで後退せよ」
ダイルンの指示で、エルトリア軍も戦線を退けることとなった。
―― 「畜生! あの野郎!!」
トラキウムまで退いたところで、ナユタが怒りを爆発させる。
理由はもちろん、先ほどジオルガに散々コケにされたことと、彼に対して全く歯が立たなかった自分自身に対する「不甲斐なさ」からだ。
「気持ちは判らんでもないが、少し落ち着け」
見かねたダイルンがナユタに声を掛ける。
「今回の戦いはお前の『勝ち』だ」
「どこがだよ!?」
「一騎打ちで相手を打ち負かすことが『戦争』じゃねぇ。それはただの『勝負』だ」
「今回の『戦争』じゃあ、逃げる神聖十字軍の『本軍』のために時間を稼ぐのが、俺たちに課せられたミッションだったのさ」
「お前さんはジオルガに一騎打ちを挑んだことで、敵の司令官を見事に『足止め』」したんだ
「……」
「その隙に俺たちは敵のオーク隊をかく乱し、『本軍』が逃げる隙を作ることができた。だからこいつは、お前さんの『武勲』だぜ」
「だけど……」
「何だよ? 作戦は成功、ガロン殿もワルター殿も負傷はしたが、命に別状はなかったんだ。まだなんか不満があるのか?」
「……」
ダイルンの言葉に、ナユタが黙り込む。
「わりぃ、俺が間違ってた」
「いいってことよ。タイマンで『勝つ』ことだけが戦じゃねぇ。全体のために何をすべきか。これを常に考えて行動すりゃあ、お前さんの目標とする、『世界最強の将軍』に近づけるだろう」
「そっか……」
ナユタがそう納得したところに、アレクとルナがやってきた。
どうやら、各国の指揮官クラスたちによる会合を終えたところのようだ。
「みんな。今回は本当によくやってくれた。ありがとう」
アレクはそう言ってエルトリア軍の兵士たち一人一人の顔を見渡す。
「君らの忠義に、必ず報いることを約束する」
アレクの言葉に兵たちの顔が明るくなる。
今回の戦闘は、エルトリア軍にとって極めて革新的なものであった。従来の戦場では、アレクが常に最前線に立って陣頭指揮を行う戦い方が常であった。
シルヴィア私兵隊当時のような小さい軍ならいざ知らず、エルトリア軍も万を超える規模にまで成長してきた。
そんな中、いつまでも指揮官が最前線に立つような戦い方が通用する訳がない。
軍を5つに分けたのも、各軍がそれぞれ独立した指揮命令系統の元に行動できるようにするためだ。
今回の戦争では、各軍の判断による行動を尊重し、アレクは戦場を俯瞰しながらの全体指揮に徹した。
それが見事に功を奏し、エルトリア軍は救援部隊の任務を確かに全うしたのだ。
しかも、あの四天王、ジオルガ=ギルディの「鉄の拳」隊を相手にだ。
これはエルトリア軍が、列国の軍隊と見比べても、何ら見劣りしないほどに成長したことの証明である。
それはアレクにとっても、兵たちにとっても、大変に誇らしいことであった。
「それから、もう一つ朗報がある」
アレクは更に言葉を続けた。
「先ほど、各国軍の代表たちにより、魔王国からの『退却案』が賛成多数で可決された」
「!?」
「よって、神聖十字軍は速やかに『中央六国』側へ退却を開始することになる」
退却案について、サラザール卿は無論大反対だったようだが、流石のアルドニア王国、ユードラント共和国も今回は「退却案」に賛成票を投じたようで、アレクが提案した「退却案」は、メアリ教国を除く中央六国すべての賛成により可決された。
これにより、第111次神聖十字軍遠征は「終結」へ向かうこととなる。
「うぉおおおおお!! やったぞ! 国に帰れるぞ!!」
「バンザイ! 戦争が終わるぞ!!」
エルトリア軍の兵士たちは、兜を空へ放り投げて喜んだ。
今回の戦争、サラザール卿にとっては散々なものであったが、エルトリア軍は大いに戦果を挙げた。
ノア山脈の山越え、北方城塞都市トラキウムの陥落、「本軍」救出作戦の成功、いずれも、エルトリア軍の働きは「武功抜群」であった。
更に、ガロンとワルターは負傷したものの、主だった将官を一人も欠くことなく、終戦を迎えることができそうなのである。
この活躍により、エルトリア王国の世界的な地位と名声も大いに高まるであろう。それは今後のエルトリア王国の発展にとって、大いに寄与するはずだ。
無論、そのことを手放しに喜ぶほど、アレクもエルトリア軍の将官たちも、「愚か」ではない。
そもそも、今回の神聖十字軍は、構想自体が「無謀」なものであったのだ。
ヒステリックな総司令官の元、無計画、無秩序な侵略戦争に明け暮れ、いたずらに兵たちを危険にさらした罪は重い。下手をすれば、40万を超える神聖十字軍が全滅する恐れさえあったのだ。この程度の損害で済んで「奇跡」であったというほかはない。
更に、魔王国フロルの街で住民を虐殺した蛮行についても、申し開きの余地はない。
これらの「戦争責任」について、サラザール卿以下「本軍」の首脳部たちを徹底的に追及し、責任を取らせることが、今後のアレクの役割である。
とはいえ、それは帰国後の話だ。
今は、戦争が終わったことを素直に喜ぼう。
ようやく、シルヴィの元へ帰ることができるんだ。もう何か月も会っていないだろうか?
そう考えると、あのアレクでさえ、つい顔がほころんでしまう。
戦争が終わり、家族や友人、恋人たちの元へ帰ることができるというのは、それほどに嬉しいことなのだ。
だが……。
「クソッ! 四天王どもめ、口ほどにもない!!」
ここは魔王国帝都エルダーガルム。ちょうど今しがた追撃任務失敗の報告を受け、参謀長シーアがまさに激怒している最中であった。
「所詮は前魔王時代のガラクタども! 『無能』とは奴らのことだ!!」
自らが包囲作戦発動のタイミングを逸したことは棚に上げて、四天王に対して散々に毒づくシーア。
そこへ……。
「シーアよ」
「は、ハッ! ろ、ロドムス様!?」
なんと、魔王ロドムスが、シーアの前に現れたのであった。
「神聖十字軍を皆殺しにできたか?」
「い、いえ、それが、その……」
慌ててシーアは口ごもる。皆殺しどころか、包囲すらできず、敵にまんまと逃げられてしまったのだ。
下手をしたらロドムスの逆鱗に触れ、処刑されてしまうかもしれない。
シーアは恐怖に打ち震える。
が……。
「よい、誰にでも失敗はある。そちを責めるつもりはない」
予想に反して、ロドムスは極めて寛容な言葉をシーアに投げかける。
「お、おぉ。ロドムス様」
「これからもそちの手腕に期待しているぞ。シーアよ」
「は、ハッ!」
シーアは完全にロドムスに陶酔しているようだ。まるで漆黒の闇の中、踊り狂う炎に魅せられた羽虫のように。
「だが、神聖十字軍の虫けらどもを逃がすわけにはいかん。余は、『皆殺し』を命じたのだ」
「は、ハッ! しかし、今回は残念ながら……」
「余は『皆殺し』を命じたのだ」
ギョッとするシーア。まさか「我が主」は、ここからまだ、神聖十字軍を皆殺しにする気なのだろうか?
「部下の失態は上司が責任を取らねばなるまい。そう思わぬか、シーアよ」
「は、はぁ……」
ハッと驚いて目を見開くシーア。
ロドムスの意図を察したからである。
「ま、まさか、我が主……」
魔王ロドムスはとんでもないことを考えているようだ。
「余が直々に出陣する。『魔剣』の力で、神聖十字軍の愚か者どもを一人残らず、焼き切ってくれようぞ」