第98話 神聖十字軍⑱
サラザール卿は持っていた報告書をドグラ将軍に投げつける。
「僕の言う通りにしろ! さもなくば打ち首だ!!!」
「……」
もはやこうなっては議論の余地はない。
神聖十字軍「先遣隊」は魔王軍に包囲され窮地に陥っている「本軍」を救出すべく、出陣することとなった。
「死にに行くようなものだ。正直、今、打ち首になった方がましだったかもしれん。何せ、打ち首なら部下たちを巻き込まずに済むからな」
サラザール卿が姿を消すと、早速ドグラ将軍が愚痴をこぼす。
「とはいえ、やるしかあるまい。サラザール卿の意図はともかく、『本軍』を助けてやらねばならんことは間違いない」
マホイヤ卿が長い髭をしごきながらそう呟く。
「何かいい手はあるか?」
セオドール将軍がアレクの方を見やる。
「……」
今回の神聖十字軍大遠征の序盤に、先遣隊としてわずかな軍でトラキウムを陥落させたことで、少なくとも先遣隊のメンバーであった4か国については、それなりに信頼関係が構築されたようである。
「こうなってしまった以上、もはやいい手と呼べるかは分かりませんが……」
アレクはそう前置きしてから話し始める。
―― 一方、その頃。
フロルを包囲していたダンタリオンの元へ、予想外の報告が入る。
「一部の敵が我が魔王軍の包囲を突破し、『西』へ抜けております。そのまま退却する見込みです」
「フム」
ダンタリオンは、目を細めながら敵軍の様子をじっと見つめている。
先ほどから、どうも敵軍は落ち着きを取り戻しているように見える。
さらに敵は、我々が罠の中へ誘い込むために包囲を薄くしておいた「北」ではなく、「西」を突破したのだ。
包囲を脱した後も、整然と退却を開始しており、当初の混乱していた様子が嘘のようだ。
これは……。
「読まれていたか」
そう呟くダンタリオン。
その様子は、心なしか、ほんの少しだけ嬉しそうであった。
これは、シーアの腰抜けが用意したノア山脈の「待ち伏せ部隊」も期待できんぞ。
「敵は一旦西へ抜けた後、大きく迂回して北方ノア山脈方面へ撤退を始めました。追撃いたしますか?」
「そうだな……」
部下の問いかけに、ほんの少し間が空いてから、ダンタリオンがそう答えた。
「あぁ、ジオルガとイザベラにこう伝えてくれ」
報告を終え、立ち去ろうとする部下を呼び止めて、ダンタリオンが言伝を頼む。
「敵軍に『切れ者』がいる。追撃戦と思って油断するな、と」
―― 撤退する神聖十字軍の「本軍」
「敵にかまうな! トラキウムまで全力で駆けよ!」
そこには、本軍退却の陣頭指揮を取る、シドニア=ホワイトナイトの姿があった。
実はアレクは、フロルに駐留している神聖十字軍の「本軍」が近いうちに魔王軍の総攻撃を受けることを予想し、シドニア卿を本軍に派遣していたのであった。
シドニア卿は元々ユードラント軍の将であり、アレクが直接行くよりは「本軍」との関係性の面から見てもよい。
彼が、直属の上司であるユードラント軍総司令官ベルモンド大将軍および副官のルドウィック将軍に直訴することで、今回のスムーズな撤退が成ったのだ。
「後方! 敵、ケンタウロス騎士団の追撃を受けております!」
「ヒューゴ=マインツを行かせろ! 可能な限り生き残りを救助しながら退却するんだ!」
しかし、そうは言っても、四天王の追撃を受けながら撤退するのは容易ではない。
神聖十字軍本軍が退却を始めると、ダンタリオンはすぐに陣形を切り替えて、ケンタウロス騎士団を中心とする追撃部隊を組織して「猛追」を開始させた。
「撤退戦」ほど一方的な戦いは無い。
27万の神聖十字軍本軍は、背からケンタウロスの槍で突かれ、オークのこん棒で殴り倒され、エルフの弓矢で射抜かれ、削りに削られながら、なすすべもなく退却する羽目になった。
追う魔王軍からしてみれば、まさに殺戮ゲームだ。
先のフロルでの虐殺に対する仕返しという「大義名分」もあるため、一切の容赦がない。嬉々として、逃げまどう神聖十字軍を殺しまくっている。
「オイオイ! どうしたんだぁ!? 逃げんじゃねぇよ! ナメクジ野郎がよぉ!!」
ジオルガ=ギルディが楽しそうに声を上げる。
彼は本来、オーク歩兵団の総司令官なのだから、騎兵を中心とした追撃部隊の指揮をする必要はない。
だが、殺戮を最前線で楽しみたいがために、ダンタリオンに代わって自らが指揮官になると名乗り出たのだ。
無論、ダンタリオンが指揮官の座を譲ったのは、ジオルガが騎兵隊についても十分に統率できることを承知してのことである。
それにしても、特に包囲を突破する際にもたついたアルドニア軍の被害が著しい。
これはひとえに、率いる将の才能によるところであった。
アルドニア軍総司令官ハミルトン大将軍および副官のブライス将軍は、王国内の派閥争いの結果、現在のそれぞれのポストを賜ったに過ぎない。
要するに、全く実力がないのだ。
今回の撤退戦では、それが完全に仇となった。
逃げ遅れたアルドニア軍は、逃走部隊の最後尾で魔王軍の総攻撃を一身に受けることとなってしまった。
既に「全滅」の判定基準である3割以上の死傷者を出し、ハミルトン大将軍もブライス将軍も「行方不明」だ。
アルドニア軍単体で見れば、もはや完全に軍の「崩壊点」を超えてしまっている。
シドニア卿が腹心中の腹心であるヒューゴ=マインツを救援に派遣したが、いつまでもつか……。
その時。
「援軍だー!!」
逃走していた「本軍」の先頭集団が、逃走先、すなわち「北」からやってきた一軍を視認し、叫び声をあげる。
北からやってきた軍は、色とりどりの様々な旗を立てているが、その中でも最前線に位置する部隊は、「隼」の紋章が入った旗を掲げている。
まごうことなき、エルトリア王国の国章だ。
その先頭に立つ男。
「魔王」ではなく「アレク」が、「魔剣」ではなく「隼の彫刻が施された剣」を、スラリと鞘から抜く。
かつて、シルヴィから賜った大切な一振りだ。
「全軍」
彼は剣を高らかと掲げ、大きく声を張り上げる。
「突撃せよ!!」
アレクの合図で、神聖十字軍「先遣隊」は、「本軍」の後続にへばりつく魔王軍追撃部隊目掛けて突撃を開始した。
魔王軍追撃部隊の指揮を取るのはジオルガ=ギルディ。
第4歴1300年2月22日。時刻は午後1時半。
アレク率いるエルトリア王国軍は、遂に、四天王ジオルガ=ギルディ率いる魔王軍追撃部隊と、直接対峙することになったのである。