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日本共和国138・二〇六五  作者: 夏草かげろう
第一章
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第3話 新手帖 ~Nouveau Cahiers~

 土曜日、登校後、まだ人の少ない教室で、仁は本を読んでいた。そこにいつもの通り美唯が話しかけてきた。


「なにを読んでいるの?だいぶ古いみたいだけど...」

「2047年に社会革命党が配っていた小冊子だよ」

「えっ!それってマズいんじゃ...思想犯罪で捕まっちゃうよ」


 2048年の日本大革命以降、日本国は治安の維持という名目で、危険な思想とされる左翼思想を取り締まっていた。当時ハイネが率いていた社会革命党の資料、そして日本大革命に関する資料は全て禁書に指定され、当時は報道も許されていなかった。日本国は共和国と国交断絶し、共和国の現状さえ知ることができない。かろうじて海外のニュースサイトでみかける程度であった。


「バレなければ問題ない。ブックカバーと文庫本に挟んでいるし、こうやって人のいないところでしか読んでいない。それに普段は学ランのチャック付きの内ポケットにしまってる」

「本当に...気を付けてね」

「抑圧のためだけの法だから、警察も絵踏みみたいなことはしていない。用心はしている。大丈夫だ」

「ならいいけど...」


 午前中の授業を終え、仁は帰る支度をしていた。まだ昼食には早い時間だ。そこに美唯が来て、以前に約束したとおり喫茶店に向かう予定だった。しかし、仁は先に寄りたいところがあると言って、それは後回しになった。


「どこに行くの?」

「社会科の勝俣先生っているだろ?」

「うん」

「ちょっと、聞きたいことがあるんだ」


 美唯は誰かに聞かれないように、周囲を見回した後、小声で聞いた。


「小冊子のこと?」

「それもある。だが、それだけじゃない」

「それだけじゃない...?」

「ともかく、記念館の資料室に向かうよ」


 ふたりの通う学校は、元々は私立高校だった。後に国有化され、再開発によって校舎を取り壊し、より収容能力の高いビルが建てられ、他の学校と統合された。しかし築100年ほどになるレンガ造りの記念館は残され、耐震工事が行われただけだった。さらに学校機能はビルの新校舎にあるため、用もなく資料室という名の巨大な物置と化していた。その一角、社会科資料室に社会科教師の勝俣芳彦はいる。仁と美唯は新校舎を後にし、駐輪場を抜けて記念館へと入っていった。


「先生、入ってよろしいでしょうか?」

「ああ仁か、入ってくれ」

「失礼します」


 芳彦は入ってくるふたりを見た。


「おや、今日はひとりじゃないんだね」

「仁君と同じクラスの沖華美唯です」

「ああそう、沖華美唯、覚えているよ。コーヒーを入れてこよう。座っててくれ」


 ふたりはソファに座った。美唯は落ち着かないようで、周りを見回していた。部屋のほとんどは本棚で埋まっているため、それなりに広い部屋だが窮屈に思える。本棚の奥には給湯室があり、入り口付近には本棚が無くテーブルとソファが置いてある。


「この学校に、こんな場所があったんだね」

「居心地がよくてな、ほかに使う人もいないし、独占しちまってる」


 いつの間にか戻ってきていた芳彦が答えた。ふたりの前にコーヒーの入ったマグカップを置いた後に、テーブルを挟んだ向かいのソファーに座った。


「で、今日はなんだ?」

「まず、この前お借りした本をお返しします」

「ああ、確か貸していたな」


 仁は「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」をテーブルの上に置いた。芳彦はそれを持ち上げると、表紙を撫でるような動作をした。


「へっ、今時こんなものを読むやつがいるなんてな。やっぱり面白いやつだよ、お前は」

「買い被りすぎですよ、それより中を確認してください」

「なんだ?本に何か挟まってるな」


 芳彦は本に挟まれた小冊子を見つけると、それを取り出し表紙を確認した。題名を読み取るのに裸眼だと苦戦したのか老眼鏡をつけると、驚いた顔をした。


「それが、本題です」

「お前さん...これはまた、とんでもないものを持ってきたな」

「旧市街で手に入れたものです。先生を信用して見せることにしました」

「そいつはいい選択だ。そちらのお嬢さんは知っているのか?」

「はい。ですから連れてきました」


 芳彦が読んでいる間に、仁は何か気になる資料がないか探すために席を立ち、美唯はそれについていった。美唯は、しばらく背表紙を眺めている仁の横顔を見ていたが、ある時質問した。


「仁君は、将来どうするの?」


 仁は目線を本棚から美唯に移した。


「さあ、どうなるのか。旧市街の難民たちの一員になっているのかもしれないし、海の藻屑になっているかもしれない」

「そんな...」

「社会に加わろうとしなかった罰だよ。仕方のないことだ」

「仁君みたいな人が虐げられるなんて、この国はおかしいよ」

「それ以上はやめておくんだ。その思想はとても危険だ」


 美唯は仁から何度もそれを聞いてたため、もう落ち込むことはなかった。


「じゃあ、なんで私をここに連れてきたの?」

「そう...そこが俺の甘さだ」

「どういうこと?」

「誰にも知られず生きたいと願いながら、何者でもないまま死ぬ勇気がないんだ」

「私に見ていてほしいってこと?」

「笑ってくれよ。たぶん、優等生の君は社会に残るだろう。体制が続く限りは」


 それまで美唯はうつむく仁を見ているだけだったが、仁の発言を聞くと、肩をつかんで自分の方を見せるようにした。


「じゃあ、私が見ているから!だから、だから...」


 仁は美唯の手に自分の手を重ねて、肩から降ろさせた。


「安心してほしい。まったく希望がないわけじゃない。だからここに来た。少し弱気になっただけだよ。それに...」


 仁が芳彦の方を見た。芳彦は気まずそうに咳払いをした。それに気付いた美唯は顔を赤くし、一息おいてから芳彦が話しはじめた。


「まあ、君らはまだ子供だ。この先の人生なんてどうとでもできる。慰めじゃなく、実際そうだ」

「ありがとうございます。そう言っていただけると心強い」

「とりあえず目は通した。それについて話すから座ってくれ」


 芳彦は序文の書いてある見開きのページを開き、ハイネに見せるようにテーブルに置いた。


「この小冊子”理想社会のために”。まずは著者についてなんだが、序文を見てほしい」




『序文』


 全ての人の人生、そして幸福が保証される理想社会がいかにしてもたらされるべきか。私たちはつねに考えあぐねてきた。本文で詳しく述べるが、今の日本はごく少数の裕福な老人、低所得の一般市民、そして職にさえつけない貧困層の教育難民と技術的失業者、その三層の階級によって成り立っている。力あるものは既得権益を守ることに終始し、なんとか生きていけている市民・貧困層も変化を望まない。これでは理想社会など夢のまた夢だ。

 そこで私は今一度”革命”を起こすことにした。これのみが現状を打開する唯一の策であると考えた。民衆の心に革新を促し、腐敗した権力を打倒することのみが、理想社会への第一歩であることは明白だ。

 現状において最も虐げられている国民である教育難民。最も現状の社会問題を認識し、体感している彼らこそが、この革命の主役である。この冊子はほとんどが彼らに対しての呼びかけだ。だがもちろん、一部の知識層、また富裕層にも問題は認識してもらわねばならない。一般に特権階級にいる人間は問題に気付きにくいと言うが、特権階級の中にも現状を認識できる人間がいるということを信じて、筆を置くことにする。


ハイネ

H・ウォルト




「ハイネ…とH・ウォルト?」

「そうだ。俺はハイネだけが著者だと思っていたんだが、このH・ウォルト。まさか彼が関わっていたなんてな」

「知っているんですか?」

「ああ。H・ウォルト、Hはハリーのイニシャルだ。イギリス人社会学者で、2048年に34歳で病死した。存命中に著書を出すことはなかったが、後に彼の友人のウェイカー・グラースが未発表論文をまとめたハリー・ウォルト著作集を発表。日本でも翻訳版を夏冬出版社が出版したが、それはすぐに禁書になった」

「そんな人がいたんですね」

「まあ今の日本じゃ知りようもないだろうな。話を戻そう。冊子の中身だが、戦後民主主義とマルクス主義の否定、また共産主義の欠陥を指摘している。その上で社会主義を基礎として組織の仕組みで欠点を補った新しい体制を、具体的な例を出して主張している」

「資本主義、共産主義の否定、そして新しい政治体制の提言。ここまではさもありなんですね」


 芳彦は頷いて、ソファから立ち上がった。顎に手を当てて周りを歩き始め、話を続けた。


「さらに日本の左翼に対する批判を入れることによって、自分たちがまったく別の革新的な政党だと主張している。民衆に対しても批判を言っているが、教育難民だけは現状を認識している唯一の者たちで、彼らこそ世界を変えるための革命の主役とした」

「未来にまったく希望を持てない教育難民にはさぞ響いたでしょうね」

「まったく、うまいやり方だよ」


 芳彦はソファに戻り、コーヒーを一口飲んだ。


「まず聞きたい。鶴田、お前はどうしたいんだ?」

「どうしたい、とは?」

「これをただ貴重な資料として、俺に渡したわけじゃないだろう?」


 仁は両手の手のひらを足の真ん中で組み、ソファに深く腰掛けた。何かを考えていたわけではない。迷っていたのだ。言うべきか、言わざるべきか。部屋にはしばらく沈黙が流れた。仁には10分ほどに感じたが、実際には3分ほどだった。そしてついに口を開いた。


「ずっと以前から考えていたことです。本当に...ずっと以前から。決して思いつきじゃありません」

「大丈夫だ。分かっているよ」

「俺は...世界を変えたい。大義になら殉教しても構わない」


 芳彦は眉間に拳を当てて、ため息をつくように、大きく息を吐いた。そして話しはじめた。


「なあ鶴田」

「はい」

「お前が気付いていないだけで、お前の影響を受けた人間はかなりいるんだ」

「そう…なんでしょうか」

「そっちのお嬢さんだってそうだろう」


 美唯はいきなり話を振られたため慌てたが、小さく肯定の言葉を言った。


「普通なら止めるべきだろう。そんな馬鹿なことはやめろ、と」

「そうでしょうね」

「だけどな…」


 芳彦は立ち上がり、小さな金庫の前に立つと、解錠した。中には5センチほどの厚さの本が入っていた。それを持ってソファーに戻り、テーブルの上に置いた。


「…これは?」

「読んでみろ」


 その本の題名は「ハリー・ウォルト著作集1 初期論集 独立と戦争への省察」だった、仁はそれを見ると、珍しく興奮した様子だった。


「…これって!」

「ああ、禁書になっている日本大革命に関する資料だ。お前にやるよ。一部の知識人には初期論集と呼ばれている。絶対に誰にもバレるなよ」

「もちろんです」

「それと、何かあったら俺に頼れ。大人の力が必要だろう」


 仁と美唯は記念館を後にした。時刻は正午を過ぎたぐらいで、ふたりは昼食をとりに喫茶店に向かった。横に並んで歩いていると、美唯が仁に話しかけた。


「希望がないわけじゃないって、そういうことだったんだね」

「ああ。馬鹿だと思うか?」

「うん。大馬鹿だと思うよ!」


 仁は少しムッとしたが、美唯は続けて言った。


「だから、私は仁君について行くんだ」

「まったく、照れるね」

「だけど約束して」


 美唯は仁の前に立ち、そのせいで仁は足を止めた。


「ひとりでは死なせないからね」


 仁は初めて美唯に対する警戒を解いた。


「君も、相当な問題児だな」

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