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日々

作者: カタツムリ

 久方ぶりだ。こんなにも遺書を書きたいと思つたのは。

 最近の自分はどうにも可笑しかつた。どうにもこうにも何事も上手くいつてないような気がしてならないのだ。心に常にどす暗い不安の塊が居座っている。




 1度目に遺書を書いたのは中学の2年の時だつたか、3年の時だつたか。私は今日のような何とも言い知れない不安が巣食つていたのだ。

 大きな理由は分からなかつたが、誰が悪いかと問われると矢張り誰よりも私が悪かつたのだ。部活に来ずに後輩の世話を私に押し付けていた彼女に声をかけられずにいた自分が悪かつたし、自分よりもクラリネットが上達しそうな後輩にイケナイ事を考えた自分が悪かつたし、他の部員のために私を叱つて下さつた先輩の気持ちも汲み取らずにまるで被害者のように振舞つた私が悪かつたし、先輩のあすこが嫌だと友人に詭弁を振るつていた自分はなんて極悪人だろう。そんな自分を何よりも嫌悪していた。

 常に何もかもが怖かつた。自分が何を考えているのか分からないのも常であつた。

 遺書を書いたのは、「自殺をするのなら遺書を書いた方良いでしょう」というのをネットの記事で見たと云う、至極単純な理由からであつた。その頃の自分はネットで自殺法を検索しながら、あぁでもない、こぅでもないと自分の自殺の妄想に耽けつていた。

 記事を見つけた時、自分はなるほどと思つて、誰も私などの事を殺そうとはしまいが、他殺と思われるのはどうにもならん。などと思つて急いでペンと綺麗な紙を探したのだ。なァに、クルトガの黒いシャーペンと、自由帳の切れ端である。書きなぐつた遺書はそれはそれは自分に酔つたもので、当時敬愛してやまなかつた芥川先生のように、「ぼんやりとした不安から死んでしまいます。」と書いてあつた。

 しかし、どうにもそれは可笑しな事ではないのである。確かにどうしても死にたかつた。でもそれが自己陶酔なのかも知れないとも思つていた。

 自分の中に大きな矛盾が生まれていた。何がしたいのか全く分からない。

 遺書を書いてからは、益々自分は生と死の境界が曖昧だつた。

 変なところで真面目な性格だつたので、遺書を書いたからには死なねばなるまいと思つていたのだ。かの坂口安吾が聞いたらナンセンスだ、と云うだろうな。

 休日がやつて来る度に色々な自殺法を試した。

 ドアノブでの首吊りも、洗剤を飲むのも、アルカリと酸で発生させたガスで中毒で死ねるかも試した。

 なんだかいつも詰が甘く、現在もこうして酸素を吸っているのは、矢張り死ぬのが怖かつたのだろう。とんだ道化である。

 眠れない日が続くし、風呂ではいつもどこかしらに刃を当てていた。バレないように太股を切つていたものがいつの間にか手首の脈の部分をガリガリと削つていた。消えない痕が残つた。切つても切つても死ねないが、自傷行為に安堵を感じていた。自殺に失敗する度に、自身を傷つけることで未だに死ねていないことを許された気でいた。

 朝が来る度に絶望していた。二度と目覚めたくなどなかつた。だのに、夜寝る前に自分が居なくなつた明日のことを考えると涙が溢れた。自分が居ない世界がどれだけ美しいかなど、自分が1番分かつているはずなのに。可笑しな話だなァ…。

 どうしてあの時自分は涙が止まらなかつたんだろう。


 自殺を試行錯誤し始めてから数カ月が経つた日であつた。嗚呼分かつているさ、数カ月もあつて死ねないなど、矢張り臆病だなァと思われても仕方の無い。事実であるし、覚悟も確かになかつたのだ。なんという気違い野郎か。

 いつもの場所に置いてあつた遺書が見当たらなかつた。誰にも悟られないように家中を探したが見つからない。

 私は嫌な予感がした。

 その夜、母に呼ばれた。夕食を食べたあと、ダラダラと妹とおしゃべりをしていたら2回から名前を呼ばれた。

 私は嫌な予感がした。

 それでも大きな声で返事をして2階に上がつた。母は勝手に私の部屋に入り、ベッドに腰掛けていた。

 母の手に握られていた紙切れを見て、私は全てを了解した。丁寧に折られた紙で、表紙に大きく書かれている「遺書」という文字が見えなくとも、それは私が酔つたように書きなぐつた遺書に相違なかつた。私は全てを悟つた。

 逃げ出そうとする私は母に止められた。握られた手首が痛い。あの時は飯が喉を通らなかつたので、小学生の頃と比べると随分と痩せいてた。手首は母と手が1周回つても余るくらいには細かつた。

 どうせ逃げ場所など思いつかないし、逃げられると思つていない私は抵抗をやめ、ベッドに突っ伏した。母の顔は見れなかつた。

 自分が善くないことをしている事は分かつていた。呆れられるだろうことも分かつていた。自分でも理解できないこの気持ちを誰にも分かり合えないと分かつていた。自分は世界に独りぼっちだと感じていた。

 涙が滲む。動悸がする。息が荒くなる。自分の顔から血の気が引いているのが感ぜられた。

 母は顔も見ずにベッドに突っ伏した私に矢張り呆れた様であつた。母は私に理由を求めた。

 「どうして」

 ひどく混乱した私は「それがストレスの解消に良いとネットで」やら、「ちょっとした悪ふざけなのだ」とか、「本当に死ぬつもりなんてないンだ」などと、めちゃくちゃな言い訳を並べ立てた。否、言い訳なんてもんじゃあない。あれはただ、自分が悪くないと訴えたかつた。

 母は納得していない様子で(そりゃそうだ、悪ふざけにしては頭が悪すぎる)、「馬鹿なことを考えるのはやめるンだ」に始まる、2、3十分の説教をくれて出ていつた。内容は覚えていない。

 ひどく狼狽し、まるで150分もの授業を受けたかのような徒労を感じた私は、暫くはベッドの上から動けずにいた。

 それから暫く、私の中の自殺願望はナリを潜めていた。母の言葉に胸を打たれたとか、そういうことではない。いつまでも死ねないことが分かつて、疲れてしまつたからだ。矢張り覚悟なんてものはいつまで経つても生まれなかつた。

 自傷行為は暫く止められなかつたが、目標以上の高校に見事合格を果たした私はそういう行為から足を洗つた。




 ある日学校から帰ると祖母が病院に運ばれていた。

 両親の話によると、祖父に「自分も飲むから、お前も飲め」と言われて農薬を飲んでしまつたらしかつた。農業をもう何年もしている祖母のことだ。農薬の恐ろしさを知らないお人ではないのに。農薬で何人もの人が亡くなつているのを知らないお人ではないのに。

 之は心中未遂に入るのだろうか。


 本当は、ここ数日祖母の調子がよろしく無いことを私は知つていた。

 どうにも憂鬱で、私は両親に叱責されながらも学校を休み、自室のベッドの上でうつらうつらとしていた。自殺をしようという気は起きなかつたが、中学からのネガテイヴな思考は簡単に変われるはずもなく、眠れない日が続くこともしばしばあつたのだ。

 そんな時に、一階のトイレからうめき声が聞こえた。

 すぐに祖母だと分かつた。げえげえと嘔吐を繰り返しているらしかつた。

 私は怖くなつた。別段、最近祖母は調子の悪い様子などなかつた様に私には見えていた。嘔吐をしている理由に心当たりがない。今朝も元気に挨拶を交わしたはずだつた。

 目はパツチリと覚め、私はベッドの上で情けなくガタガタと震えていた。自分がどうすればいいのか、何が出来るのか分からなかつた。

 無力でそれでいて最低だ。

 自分にとつてはとても長く感ぜられた時間、祖母の苦しげな声を聞いていた。

 突如、玄関のインターホンが鳴つた。私は跳ねるように体を起こし、自室の床に足を付けた。

 祖母を救つて貰いたかつた。自分はどうすればいいのか戸惑つてしまつたが大人なら…

 しかし、「はーい。」という祖母の普段通りの声に、ドアノブまで手を伸ばしていた私は石のように固まつた。

 はて、今のは誰の声だろう。祖母の苦しげな声は聞こえぬ。聞こえるのは来客と話しているいつも通りの祖母の声である。

 私は、そうとドアノブに伸ばしていた手を降ろした。狐につままれたような気分だつた。いつもの日常だつた。私は学校に行けないでいるし、祖母は来客と楽しそうにお喋りに興じている。

 苦しげな声はどこからも聞こえていない。


 私はこの出来事を誰にも話せずに居た。なんなら幻聴ではなかつたのかと思つていた。この頃の私は、ピーーという電子音と、カンカンカンとうるさい電車の遮断機の音が頭の中に響いているのが常であった。これもその類かと思つていた。トイレから聞こえたナニかを流す音と、聞いたこともない祖母のうめき声が妙にリアリティがあつた事からは目を逸らした。

 祖母の入院はそれはもう衝撃だつた。あれは幻聴ではなかつたのだと分かつた。

 あの出来事のことも、近頃祖父の認知症が悪化し、怒りっぽくなって祖母に当たり散らしていたことも、祖母が介護疲れで日々が憂鬱であつたことも、おそらく私は誰よりも知つていたのではないだろうか。

 少しでも祖母の愚痴を私が受け止められるような立派な大人であつたなら、あの時のことを幻聴だと目をそらさずに両親に報告して居れば、私がもつと自分のことでいつぱいいつぱいでなく、他の人のことを考えられる余裕があれば、祖母はあれほどに苦しまずに居れたのではないか。

 罪悪感が重くのしかかる。それに、自死で取り残された側の気持ちを知る(正確には死んではいないのだが、若し死んでしまつていたらと考えた)。

 なんにも手がつかない。

 また自殺の二文字が脳裏をよぎつたが、その日の夜は太股にまた小さな切り傷を作つただけで済んだ。残されるものの気持ちがどうしても思い浮かんだ。嗚呼、否、誰か悲しんでくれるだろうとか、自意識過剰な気持ちではなく、残される者が世間からどう思われるのか考えると、死ねなかつたのだ。

 祖母は幸い、フェータルなものではなかつたが、1週間ほど入院をした。祖母は検査を受けながら、「あの人は結局飲まなかつたよ」とだけ言つたらしかつた。

 私はなぜ飲んだのか怖くて聞けなかつた。祖父はあれから介護施設を転々とした。




 久方ぶりに遺書を書きたいと思つた。

 朝から頭痛が鳴り止まぬ。最近は何をしていなくても、急に息が苦しくなつたり、動悸がしたりしてゐる。

 どうしたというのだ。また得体の知れない何かが私を苦しめているということは分かつた。でも、ストレスの原因を聞かれても自分には何も答えることなど出来なかつた。嗚呼、なんて間抜け。

 原因が分からないのなら、この症状も解消の使用がない。ズキズキと痛む頭に、犬のような呼吸、マラソンでもしてきたのかというような激しい心臓、何をしていても襲つてくる睡魔に、とまらない過食…。私は参つた。このままだとどうにかなるのではないかという不安に、症状は益々ひどくなる一方で、悪夢のような循環を繰り返す。


 原因が分からないとは申しましたけれども、心当たりが無いわけでは無いのです。

 私はどうしても自分を認められなかつた。

 何もかも嫌な方向に思考を持つて行つては勝手に悲嘆している自分に、中学から全く成長していないと感じ、愕然とする。

 人との距離が測れない、人の目を常に気にしてしまう人間であるのも頂けない。

 友人が、違う友人の悪口を言つているのを無表情に聞いている自分が恐ろしい。

 嫌いな人を問われ、答えられない自分はとんだ偽善者だろう。人に関心が無いだけなのだ、人を見ていないだけなのだ。人の悪口を言うことのできる友人の方がよつぽど善人に見える。私は悪人だ。

 では、好きなところは何処なのか、と聞かれ、咄嗟に「この前、お菓子を呉れたよ」と答えた自分を軽蔑した。私は自分に利益があるから彼女と友人なのか、とその場で責めたてたい気分だつた。

 学校にまともに通えない自分が嫌いだ。苦しんでまで学校に行く必要があるのか、と心のどこかで思つている自分を自分だと思いたくない。学校に行くお金はタダだと思つたら大間違いです。両親が私と妹のために身を粉にして働いているのです。夕食の時に毎晩酒を飲んでいるのは、死後もの疲れを忘れるためなのでせう。私たちのために両親は苦しんでいるのですよ、バカヤロー。

 何で自分なんかを生んだのだと両親を責める自分を侮蔑します。私を生かしているたくさんの人が居りますのにどうして死にたいなどと思つてしまうのでせうか。理由もなく死にたい自分が嫌いです。

 世界中で1番不幸せだと思つている自分に呆れる。私は一体今まで何を見て生きてきたのか。


 朝のニュースで私よりもよほど生きたいと思っていたであろう小さな子が川で溺れて死んでいました。

 私はすぐに近くの川を思い浮かべ、溺死してしまおうかと考えました。すぐに死ねる気がしました。嗚呼、あの太宰治だつて何度も入水に失敗してゐるのに、私だつて直ぐには死ねないでしょう。人の死をなんだと思つているのでしょう、私は。

 結局、学校には行けませんでした。

 その夜はひどく寝つきが悪かつた。いざ寝ようとベッドに潜り込んだら、息がとうとう詰まつてしまつて、息がどうにも出来ず、心臓がドクドクドクと頭に鳴り響くのです。終いにゃ涙が止まりません。

 どうにもかうにも、私は消えてしまいたい。

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