毛
「鼻毛?!」
ありえない。
化粧もバッチリ洋服だって完璧なのに!
洗面所の鏡を見て血の気が引いた。私はいつだって完璧だった。ネイルだってヘアスタイルだってプロポーションだって。
キュッキュッ。
信じられなくて鏡のほうをこすってみた。それはまぎれもなく自分のほうに付いていた。しかたなく信じがたい事実を受け入れることにした。
しかしよく見ると鼻毛ではなくまつ毛だろう一本がついていた。一瞬安心したが問題はこれからだ。
そう、吉田と食事に来ていたのだ。
はたして吉田はこの毛に気づいていたのだろうか?
毛をはらって出て行くか──。『あ、鼻毛取ったな』とか思われるかもしれない。いっその事、気づかないふりでそのまま出て行くか──。それはまったくありえない。
ちょっと待って。なんでそんなの気にするの?吉田ごときに。別に好きでもないし、誘われたから来てやっただけよ。
私はその毛を右手でつまみ余計な考えと一緒にゴミ箱に捨てた。そして化粧を直し吉田が待つテーブルへと戻った。
吉田は笑顔で私を待っていた。ときどき思う。こいつの笑顔だけは認めてやってもいいと。
「おまたせ」
しかし吉田の顔を直視することはできず、目線を落としたままイスを引き、静かに座った。
「ぜんぜん」
吉田は手にしたビールグラスの残りを一気に飲み干した。
「俺、もういっぱいビールいこうかな。秋月さんおかわりは?」
残り少なくなっている私のカクテルグラスに気づいた吉田はサッとメニューを差し出した。
「ありがとう」
こいつ気づいてなかったのかな?それとも気づかないふり?間接照明で照らされたメニューごしにチラリと吉田を盗み見た。私の視線に気づいた吉田はにっこり微笑えんだ。
「決まった?」
焦って頭が一瞬真っ白になった。
「あ、私も同じの」
「俺ビールだよ?」
「え?あ、そっか……じゃ……」
泳いだ目のままメニューの文字を拾っていると「俺のおすすめはこれだよ」身を乗り出して数あるカクテルの中からひとつを指差した。
「じゃ、それ」
(へぇ〜。意外とお酒詳しいんだぁ)
注文を済ませた吉田は座っているイスを軽く引き、きちんと座り直した。そして背筋を伸ばしすこしあらたまった風でそれでいて言いづらそうに口を開いた。
「あのさぁ……」
(なに?)
「さっきから言おうと思ってたんだけど」
(なによ?!)
「・・・」
(鼻毛? 言いなさいよ! 鼻毛付いてたって!)
「ちょっと言いにくいんだけど」
(いいわよ! 覚悟はできてるわ!)
私は下を向き、目を閉じた。
「好きです」
顔を上げて吉田を見た。
その顔を見た吉田はホッとしたように笑った。
「そんなにびっくりした?」
「うん」
「おまたせしました」
ビールとカクテルが運ばれてきた。
「ビールとeyelashesです」
一口飲んだ私に吉田は言った。あの笑顔で。
「いろんな意味でうまいだろ?」
なぜだか独り占めしたくなる笑顔で。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
ちなみに「eyelashes」と言うのはまつ毛という意味でございます。
そんな名前のカクテルは無いって?無理があるって?
ごめんなさい。