第32話~勝者~
「霧が……晴れていく!」
パージが男へとトドメを刺した瞬間だった。周囲を覆っていた霧が徐々に薄まり、やがて霧散していったのは。
空は雲一つない快晴で、まだ太陽の光に目が慣れていないのか、いつもより眩しく見える。
しかし、ボロボロになった地面はさっきまでの戦いが嘘では無いことを物語っていた。
目の前でうずくまっている男は糸の切れた人形のようにピクリとも動かない。その瞳には生気の光は到底宿ってなどおらず、ただ沼の底のような濁った目を見開いているだけだ。
勝ったんだな……俺。
緊張が一気に解け、どっと疲れが押し寄せて来た。思わずその場にへたりこんで、まだ考えがうまく纏まらない頭でそんな事を考える。
両手は今もまだ勝利の余韻に震えていて、中々思い通りに動かない。
だが、勝利の余韻に浸ることができるのも束の間だった。
「あああああぁァァァァァァァアアアアア!」
急に男が絶叫し、地面をのたうち回る。濁った眼は、眼球が飛び出るのではないかと思わせるほど見開いていて、口の端からは涎が垂れていた。
発作か何かかと思い男に駆け寄る。だが、どうも発作とは違うらしい。
なぜならば、男の全身を赤黒い炎が蜷局を巻いているように包んでいるからだ。その熱量は凄まじく、男の皮膚を焼き焦がすばかりか、近くにいるだけでも熱気が伝わってくる。
何だ!? 何が起きているんだ!
突然の事態に慌てふためく俺だったが、そんなのはお構いなしに炎は男を燃やし続ける。
やがて炎の中から、この世のものとは思えないほどの低い声が、周囲にこだまする。
炎のせいでシルエットでしか分からないが、こっちを指差しているのは分かった。
「覚えておけェ! 炎獄覇龍を持つものよ! 我は邪神の力のほんの一部分に過ぎん! 汝、ゆめその事を忘れるなァ!」
男がそう叫んだと同時に男のシルエットは崩れ落ちた。
やがて炎は燃やすものが無くなったのか、一分もしないうちに消え去る。
炎があったところには黒い灰と、小山のように積み上がった、金色に輝くバッジだけだ。
さっきの現象、俺は見たことがあった。
トリスターニャに来る前、俺に勝負を仕掛けてきた盗賊団のリーダーだ。
奴は俺との勝負に負けた後、さっきみたいに黒い灰となっていた。
もしかしたら、奴も邪神と関わりがあったのかもしれない。
というか、さっきの言葉が気になって仕方ない。
あれだけの力を誇りながら、それがほんの一部分でしかないという言葉。それは手の震えを止めるに足る事実だった。
とはいえビビっている暇は無い。まだやることが残っている。
頬を叩き、黒い灰にまみれた、バッジを鷲掴みにして、バッグの中へと流し込む。
じゃらじゃらと音を立ててバッグに収まるバッジは、あの男がかなりの参加者を倒していたことに他ならない。
俺は改めて男の驚異的な強さと、それに打ち勝った己の幸運に感謝した。
そして心の中でも、俺のデッキのカードへ感謝の気持ちを伝える。
(ありがとな。お前らが居なかったら、勝てなかったかもしれない)
――うむ。その気持ちを胸に、これからも精進していくが良い――
「はぁ!?」
唐突に頭の中へと響いてくる低い声に声が裏返ってしまった。
まぁ、声の主は間違いなくパージだろうな。アイツ以外で喋るカードは無いし。
空を見上げれば、太陽は天頂と地平線の間位に位置している。
タイムアップまでまだ時間はあるが、さっさと戻って飯を食いたい。何せ、昼飯を食べていないもんでね。
「……よし! 戻るか!」
お腹の虫を鳴かしながら、俺は闘技場へと歩を進める。
気持ちは軽いが、足取りは重かった。
☆★☆
「さぁ! 全出場者百名の中で一番速くバッジを十個集め、この闘技場へと舞い戻った選手がここに現れたァー! エントリーナンバー八十七番、ショウ・ユウキだ!」
受け付け係の人へバッグに入っていたバッジを丸ごと渡して闘技場の中へと入ると、実況の人のアナウンスで大々的に宣伝されてしまった。
観客も口笛ではやし立てたり、拍手を送ったりしている。
そんな光景に圧倒されて、俯きながら手を振ることしかできなかった。その時の俺の顔はきっと真っ赤に染まっていただろう。
「ななななんと! ショウ・ユウキ選手はバッジを十個集めただけでは飽きたらず、バッジを余分に四十個も持ってきてしまったァー! これは大会日程の大幅変更待ったなし!
それにしても、それほど闘っていながらどうして一度も中継に映らなかったのか不思議なくらいです!」
実況の声を聞いて、会場はどよめきに包まれる。
そりゃそうだ。だって、俺自身そんなにバッジがあったとは予想してなかったからな。ていうか、あの男、どんだけバッジを相手から奪ってたんだ!?
それに、中継に映らなかったのは間違いなくあの霧のせいだろうから、映らなかったのは仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
「おおっと! ここで、中継の連絡が入って来た! 好ゲームの予感がするぞォー!」
実況の言葉と共に、空中へ映像が空中に投影される。
映像の中では、青いローブに身を包んだ白髪の男が、上半身裸の強面な大男と戦っていた。
まさか……。
「えっと、対戦カードは……。
まずはエントリーナンバー一番! 前大会の準優勝者、今年こそは優勝と意気込んでいるケリー・バリストネ選手だァー!
続いてはエントリーナンバー52番! 今大会初出場、ディル・ライオネル選手! さぁ、前大会準優勝者相手にどう立ち向かっているのか!」
とは言っているものの、勝敗は既に着いているに等しいことがわかった。
互いのフィールドを氷の宮殿――コキュートスの都――が包んでおり、ディルのフィールドには一対の翼を携えた青い龍が存在している。奴の切り札、氷獄覇龍ラヴィーナだ。
加えて、男のデッキの残り枚数はあと僅かしかない。
「氷獄覇龍ラヴィーナの効果発動! このカードが効果召喚に成功した時、四から自分のライフを引いた数だけ、フィールド上のカードを持ち主の手札に戻す!
俺のライフは残り一。よって、お前のモンスター三体を手札に戻させてもらおう!」
画面の向こうのディルが男を指差し、宣言する。
直後、ラヴィーナが巻き起こす猛吹雪によって、強面の大男のモンスターは吹き飛ばされ、そのまま持ち主の手札へと戻る。
これだけでも十分に恐ろしいのだが、ラヴィーナの効果はここからだ。
「更に、手札へと戻ったカード一枚につき三枚、お前デッキの上にあるカードを墓地に送らせてもらう!」
男のデッキの上から九枚のカードが宙を舞い、墓地へと送られる。これで、男のデッキのカードは全て無くなってしまった。
男のデッキが無くなってしまったので実質、ディルの勝利ということになる。
「さぁ、どうする? このターン中にカードをデッキへ一枚でも戻せるカードが無いのなら、お前の負けだ」
ディルが、男に向かって軽蔑するような視線を向ける。
良く砥がれたナイフのような威圧に対し、男は片膝をついて忌々しげに呟く。
「降参だ……!」
男の降参宣言により、ディルの勝利が確定する。
この光景に観客は一瞬茫然とするも、新参者が前大会の準優勝者を破ったという事実を理解し、客席はお祭り騒ぎだ。
「決まったァー! なんと、デッキ破壊による勝利! その名もディル・ライオネルゥー!」
実況の荒々しい、興奮した声がする。
観客も盛り上がり、中にはディルコールをする者もいる。
やっぱりアイツは強い。だが、次は勝つ。
拳を強く握りしめ、空に写る映像を眺めながら、俺は改めてそう誓った。




