復讐6
岩本にはなかなか会えなかった。本宅に戻る日はほとんどなく、私と顔を合わせる時間はなかった。ここにいれば岩本に接近しやすい、と思ったのだが、失敗だったかも。
岩本の通うバーにでも勤めた方が近づきやすかったかもしれない。
岩本を殺す方法はもう決めてある。
これで私の殺人鬼人生が終わっても後悔がない、と思えるほどに立派な殺戮をしたいなーなんて思っている。
岩本宅での仕事はそうない。家事は早苗がほとんどやるし、薫子は夜遅くにならないと戻らず、岩本はもちろんいつもいない。乃愛は入院していて、家には早苗しかいない。
私を雇ったほとんどの理由が早苗が話し相手が欲しかったから、に違いない。
二人でやればあっという間の家事を終わって、すぐにコーヒータイムが始まる。
「美里さん、いい人はいらっしゃらないの?」
と早苗が言ったので、コーヒーが喉にぐっと入って、もの凄く熱かったのだが耐えた。
「ええ」
「美人なのに。理想がとっても高いのかしら?」
「そんな事はないですよ。優しい人がいいですね」
「そうね、優しい人はいいわ。私もやり直せるなら優しい人がいい」
「やり直したいとか思うんですか? お医者様なんて素晴らしいだんな様じゃないですか」
「そう? そうでもないわ。あなたも気づいてるでしょう? 愛人宅に入り浸って戻らないだんなさんなんて。それに、うちの人は医者じゃなくてただの経営者だもの」
「でも、お金持ちでしょう?」
お金持ちが結婚の理由の一つならば、だんなが優しくないというのは相殺されてゼロにならなければ。
「そうね。でもお金も大事だけど…それがすべてじゃないでしょう? 他の女の人には気前よくて、優しくて、どうしてかしら。乃愛には全然興味なくて…会いにもこない」
つらそうに顔を覆う早苗に、
「そうですねぇ。旦那さんが死んじゃえば一番いいんですよね」
と言ってみた。
「え?」
「そうでしょう?」
ふふふと笑うと、早苗は不思議そうな顔をしたが、にこっと笑って、
「そうかも。そう思うと少し楽ね」と言った。
「そうそう、財産だってあなたと乃愛ちゃんの物だし、愛人なんてみんな放り出せばいいじゃないですか」
早苗はおかしそうにあはははと笑った。
「美里さんて面白いわね」
「きっとそのうちにいいことありますよ」
早苗が病院へ行ったのを見計らったように、留守の家へ岩本が戻ってきた。
その時私は夕食の準備をしていた所だった。
「今日は一緒に食べましょうよ」と早苗に誘われていた。確かに、病院から戻って一人食べる夕食は味気ないだろう。薫子は用意してある時は食べないくせに、何もないと食べたがる。あげくに「パパに言いつけてやる!」と叫ぶのだ。そして手当たりしだいにそこら中を壊して暴れるのだった。
翌日、掃除のやり甲斐のあること。
「何だ、貴様」
と岩本が言った。
私はキッチンに立っていたのだが、そのだみ声に振り返った。
十三年ぶりに見た岩本は老けていたが、面影はそのままだった。
手に持った包丁の柄が自分の手の平に馴染んでいくのを感じた。
手の平が包丁の柄を飲み込んでいく。指先がナイフの部分と同化していく。
包丁の先が自分の指先のように感じる。
今、目の前に立っている男の喉を真横にかっきってやったら。
この銀色に光る指先で眼球を潰してやったら。
魚を三枚におろすように皮を剥いでやったら。
「山田美里と申します。先月より、こちらでお世話になっております。奥様は今、病院へ行かれてます。旦那様でしょうか?」
私はシンクの上に包丁を置いて、岩本に頭を下げた。
山田と偽名を名乗ったのは、西条ではもしかして岩本の記憶に残っているかもしれないし、笹本の知り合いでもある事から藤堂を名乗るのも危ない。
「ふん、女中か」
と言って、岩本はじろじろと好色そうな目で私を見た。
私は媚びたように笑った。
岩本に気に入られる事が大事だ。
計画通りにするには岩本に気に入られなくてはならない。
「そうだ、わしが旦那様だぞ」
「お噂はかねがねうかがっております」
「ほう、どのような」
「ずいぶんと艶福家でいらっしゃるとか、気前もよくておもてになると、奥様がおっしゃってましたわ」
「ふん、あいつの言うことは嫌味にすぎん。だが、わしが気前のいい男だというのは間違いない」
「まあ」
「女には不自由はしてないが、しばらくはこの家で過ごすのも悪くない」
岩本はがっはっはと笑いながら台所から出て行った。
その日から岩本は家に居着くようになった。
早苗は驚いたり、なぜだか喜んだりした。
やはりまだ愛情が残っているのだろうか。
だが早苗とまだ幼い乃愛の為に岩本を許すという選択は、ない。
むしろ早苗と乃愛の為に早く殺してやりたいと思う。
薫子はどうでもいいが、どっちかというと殺したい。
薫子が援助交際をしているのではと早苗が悩んでいるようなので、十三歳でそんな事をする娘はもういらないのでは? と思うのだ。
小遣いを二十万ももらっていて、まだ足りないのだろうか?
私が働いていたときでも手取りで十五万くらいだった。それで家賃から何からやり繰りしていたのに、今時の娘は。
まあ、よその家庭の教育方針に口を出す気はないので、黙っているが。
言ってくれれば一緒に片付けてもいい。
岩本が家にいるようになると、薫子もなぜか早い内に帰宅するようになった。
やはり父親がいると嬉しいのだろうか。
やたらと岩本にまとわりつく。だが岩本は薫子にも早苗にも素っ気ない。何も興味もなさそうだ。私をスケベそうな目で眺めているだけだ。
薫子が私に「パパに色目使いやがって! この売女!」と叫んだ。
「あらあら、薫子さんったら、パパが大好きなのね。でも、パパは援交するような娘は嫌いでちゅよ~」って言ってやると、顔を真っ赤にして殴りかかってきた。
ひょいとよけて、
「ごめんなさい、薫子さん、怒らないで」
と叫びながらリビングに走り込む。早苗と岩本がいるのは承知だ。
「何やってるんだ、薫子!」
と岩本が睨む。
「この女があたしが…!」
と言いかけて黙ったのは、本当の事だからだろう。
あらぬ疑いから本当の事がばれてはしょうがない。
「薫子ちゃん、パパの病院で性病検査した方がいいわよ」
と耳元で囁くと、薫子は顔を真っ赤にしてどすどすとリビングを出て行った。
「どうしたんだ、あいつは。早苗、お前の教育がなってないからだ!」
と岩本が言った。
「すみません…」
よその女の生んだひねくれた娘なんて育てるの嫌よね。
そう言えばいいのに。
「薫子さん、旦那様にもっと構ってもらいたいんじゃないでしょうか? お仕事お忙しいのは分かりますけど、もっとお時間とってあげられません? 薫子さんと旅行とか」
「旅行? そんな時間あるか!」
「じゃあ、せめて別荘にでも行って、二、三日過ごすというのはどうでしょう?」
「別荘?」
「ええ、素敵な別荘をお持ちだと奥様にお聞きしましたわ、ねえ、奥様」




