日常
本編、スタートです。
「おきてー!朝ごはんよー!」
心地いい、まどろみの中からの浮上。毎朝、この声と共に俺の朝は始まる。
目をこすりつつ、携帯電話を開いて、日付、時刻、天気を確認する。
4月20日。現在時刻、午前7時ジャスト。天気は、薄く曇っているが、晴れ間も出ている。
母さんは、まだ階下で声をあげている。母さんの声は、妙に甘ったるい感じがするハイトーンだ。まあ、女らしいといえばそれまでなのだろうが…。
眠気を無理やり自分から引きはがす。まだ、ベッドの中の温度が心地良い時間だがそこは我慢するしかないだろう。上掛けを剥いで、ベッドに腰掛け、あくびを一回。ぐあ、眠い。そして、小さく心の中で気合を入れて立ち上がる。
俺は、部屋の端にある姿見として使える鏡を見た。
少しはねた黒髪。キリッとした眉。鋭い、つりあがった目つき。―――言うまでもなく俺、緋野歌尋の顔だ。
寝巻き代わりにきているハーフパンツとタンクトップから伸びる手足は標準的な長さで、薄く筋肉が乗っている。肌は全体的に浅黒い。身長は、確か160センチくらい、体重は45キロくらいだった気がするが。
まあ、そこそこに年相応な外見だと思っているが。ある一箇所は普通じゃない。―――左肩から胸のほうに伸びる傷跡。一直線なそれは一目で刃物による傷と知れる。
忌々しいそれを見つめ舌打ちしたあと、上を見上げる。二段ベッドの上で眠る音尋はまだ起きないようだ。そういえば、昨日遅くまでゲームしてたっけ。
二段ベッドの上へ行くためはしごを上る。音尋は枕に顔を埋めて寝ていた。顔は、幸せそうに笑っている。
いつもこんな奴だ。常にマイペース。こいつを見ていると、「地球は俺を中心に回る!」と叫んだ昔の知り合いを思い出す。
俺はこう思う。…こいつを中心にトラブルは回る。うん、昔満面の笑みでハチの巣を持ってきたこいつだからな…。
ユサユサとゆするが、「くー」と反応なし。「くー」じゃ無いだろ、「くー」じゃ。お前は某フルーツ飲料の水色のキャラクターか。
「音尋おきろー。…だめか」
声をかけつつ、またゆすっても反応無し。
こいつは朝に弱い。と、いうより眠ることが大好きなようだ。話に聞く限りでは、授業中も寝ているらしい。こいつ、成績大丈夫か…?
だが、こいつが授業中に睡眠をとっていようとそうでなかろうと俺はどっちでもいい。肝心なのは今の時間だ。
俺たちは大体、よほどのことがない限り一緒に(具体的には5分以内)食卓に着かないと朝ごはんにありつけない。つまり、こいつが起きないと、俺も朝ごはんが食べられないという事だ。毎朝のことだが、お前が起きられなくて朝ごはんを食べられないのはいい。でも、その場合、とばっちりを食うのは俺なんだ。いいかげん起きて欲しい。
まったく、たった1時間先で生まれた俺ばっかりなぜこいつの世話をこんなにしなくてはならない?理不尽この上ない。そんな事を考えていると、音尋の口が微かに動く。
「あと…」
「あ?」
「あと、5分…。いや、10分…。できれば30分…」
……どんどん延びている。この調子だと「後1日。」なんて言い出しそうだ。いや、言う。こいつなら絶対言う。13年分の経験でわかる。
でも、これが続くと朝ごはんを食えないどころか、遅刻は確定だ。
仕方がない、無理やり起こそう。と、決意をして、音尋の頬を掴む。
「おい、起きろ」
まさに、ムニーという擬音がピッタリなほど音尋の頬を伸ばす。ぐいぐいと引き伸ばす。おお、人の頬がここまで伸びるとは。
「うー、痛い・・・。歌尋、やめろー」
と、俺よりも少し高い声。肌は健康的な小麦色。目は大きくやんちゃそうな光を放ち、じゃっかんたれている。子供っぽいといわれることが最近の悩みらしい。――おそらく、内面的な問題があるのだろう。そんな外見をしているのが俺の片割れ、緋野音尋。
半分涙目なのは無視しよう。頬を引っ張るのを止めてやる。じゃっかん、頬が赤くなっているがそれはしょうがない。
目をこすり、こちらを睨む。童顔のお前が睨んでも、怖くも何ともない。例えるなら、親にしかられた子供が精一杯の抵抗しているような感じ。
「毎朝毎朝、酷い!なんでもうちょっと優しく起こせねーんだよ!?」
「黙れ。お前が起きないからだ。そんなに怒るんだったら一度でも早起きしてみせろ」
「ご主人様、おきてくださいなんて・・・」
「ふざけるな!」
気合いと同時に一閃、スパァン!という見事な音とともに音尋の頭をはたいた。
そして、思考。メイド服を着た俺。…うわぁ。勘弁してくれ…。
誰が、ご主人様なんて言うか。それは、いろいろとやばい。
つーか、朝からこんな世迷言をいう原因は俺が頬をつねったからだ。頬をつねられるのってそんなに痛いのか?これでも手加減したんだけど。
音尋は両手を突き上げ叫んだ。
「だー、もう!明日こそ歌尋に・・・」
「うるさいわよー、2人ともー」
そのとき響いた声に遮られ、音尋のセリフは全部言い終えなかった。おそらく、後に続く言葉は「勝つ」だろう。
ピキリと顔が引きつる気がした。母さんの声だ。
やばい、声がまったく笑っていない。というか、怒気が含まれている。すごいな、甘ったるい声なのに怒気をはらむって。って、感心している場合じゃない!
「母さん、冗談だって!だから怒気を含んだ声を出すのはやめてください!な、音尋!」
「あ、ああ、だから今すぐにそっちに行くよー!」
冗談じゃない、下手すれば朝ごはん抜き。さすがに音尋もこれにはビビって、すぐに、叫んだ。
でも、こうなるのはいつも音尋の寝起きが悪いせいなんだ。音尋の寝起きが悪いせいで。いいかげんかんべんしてほしい。ホントに。
ちくしょう、いつか母さんにいつかガツンと言ってやる。「俺まで飯抜きは無ぇだろ!?」
でも・・。ぐぅ~と、俺の腹の虫は小さく鳴いた。
育ち盛りの俺達にとっては朝ごはんの誘惑には勝てるはずも無く。すごすごと一階に俺達は降りていった。
「やべっ、宿題やってねえ!歌尋、宿題見せてくれ!」
「残念、俺たちのクラスはもう提出済みだ」
「そんな~」
朝の寝起きに関する事が無ければ普通に仲のいいのが俺らだ。そんなことを言いながら、食卓につく。
朝は、大体標準的に米飯が出てくる。そして、味噌汁。おかず一品。+よく果物。これが、緋野家の朝ごはんであることが多い。
「いだきます」もそこそこに食事を開始する。ふと、母さんの横を見ると空いたままの椅子。それは、この家が母子家庭であることの証明なのだろうか。
緋野奏大。父さんの名前らしい。俺らが、それこそ1,2歳のころに離婚したらしい。
前に、写真を見せてもらったとき俺は父さんに似ていると分かった。鋭い目つきなんて、写真を見るからには遺伝としか思えない。
そのとき、テレビの左上にある時計を見ると、遅刻ギリギリの時間だった。
「やばい、時間だ!早く行かないと、遅刻だ!」
「ごちそうさま」を省略、部屋に戻り制服に着替える。
灰色を基調としたチェックのズボン、紺のブレザー。
制服のネクタイっていうのは本当に面倒くさい。急いでいる時ほどうまく形にならない。
何とか、形になると玄関にダッシュ。スニーカーに足を突っ込み、叫ぶ。
「行ってきます!」
音尋の声が後ろから聞こえる。「まってくれ」だか、なんだか…。
まあ、俺の朝の始まりはこんなで毎朝音尋とくだんねぇ喧嘩して。そのたびに母さんに怒気をはらんだ声で脅されて。朝ごはん食べて。学校行って。
それが、毎日。4月の頭のほうだけど5月も、6月も、その先ずっとこんな毎日が続くんだろうな。今日もまた1日が始まり、終わる。
いつもと変らない。そう、思っていた。そんな事、考えないくらい普通だった。