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4月の魔女へ

作者: はる

春、それは魔法の季節。

私が先生に出会ったのも、四月の桜並木の下だった。

「おはよ。」

後ろから声をかけられて反射的に振り向く。

「おはようございます。」

こんな先生いたっけ、と首をかしげる。

よほどいぶかしげな顔をしていたのだろう、先生は苦笑いをしながら言った。

「新採用で今年赴任した。名前は夏目。教科は生物。」

先生は、これでいいか、というふうに私の顔を覗き込む。

「なつめ、先生」

先生は軽くうなずくと、きみは、と尋ねた。

「二年一組の小倉こくら詩織です。」

「一組?それ、俺の受け持ちのクラスじゃないか。」

「えっっ」

驚いた。私のクラスは三年間固定なので、担任も変わることはないと思っていたのだ。

すると先生はあわてたように言った。

「まずい。今の内緒な。」

そう言って、唇の前に人差し指を立てる。

「はい。」

私も同じしぐさをすると、先生は困ったように微笑んだ。

去っていく先生の後姿に、思わず見とれてしまった。


思えば、このときもう私の心は傾いていたのかもしれない。

誰にも許されない恋をすることの苦しさを、高校生という立場のもどかしさを知らないまま。

ただ私は真っ白なままで、この恋に飛び込んだのだ。





私には誰にも言えない秘密がある――


何千回、何万回謝っても帰ってこない人の前で、私は再び膝をついた。

「ごめんね・・・。」

絞り出すような声はきっとまだ届いていない。だって、私はまだ誰からも許してもらっていないから。

あの日に帰れるのなら、びしょぬれになっても自力で家までたどり着くのに。それで風邪をこじらせても、肺炎になっても、たとえ私が死んだとしても。

「ごめんなさい。」

母はきっと知っていると思う。あの日、私の心に潜んでいた悪魔を。誰にも言えない私の罪を。もし、大切な人ができても、私は口を閉ざすだろう。すべてを受け入れてほしいと強く望んでも、その願いは叶わないだろう。それが、大切な人であればあるほど。

こうして月に一回、母の命日が来ると一人でお墓参りに来るようになって三年が経つ。いまだに同居している叔母夫婦には知られていない。一人で来るのは限りなく寂しいけれど、誰かと一緒に来たいとは思わない。私の目的は、母の冥福を祈るなんていうことではなく、母に謝ることだから。聞こえないと分かっていても、この耳に許しの言葉が届くまで。


私がこの暗い影を誰にも知られないために、自分を演じることにしたのは中学二年生のときだった。中二の春に母を亡くすまでの私は、とても活発でクラスを引っ張る存在だったからだ。心にもないことを言い、ちっとも楽しくないのにはしゃいだ。泣きたいのに笑って、笑って、笑って、・・・。「詩織ってほんと明るいよね」とか「何も悩みがなさそうでいいな」とか言われ続けた。


そして、地元の高校に進学した私は、同じ存在であり続けなければならなかった。「詩織って明るい」「詩織ってきれい」・・・そう、いつしか私は意図せず皆の憧れの存在と成り果てた。でも私はいつも胸の奥に、皆を欺いているという気持ちがあった。誰一人として本当の私を知っている人がいないというのは、誰一人として心の通じ合う人がいないのと同じことだと、心のどこかで私は気付いてしまったから。





「詩織、」

「ん?どした、さと。」

「単刀直入にお願い。課題見せて。」

「いいよー。合ってるかわかんないけど。」

「大丈夫!詩織が間違えるわけないじゃない。」

当たり前じゃん。心の中で智を冷笑する自分がいる。当たり前。だって、私は誰よりも時間をかけているのだから。誰よりも、一人ぼっちなのだから。


授業の開始直前にノートが回されて返ってきた。智が微笑みながら口の形で「ありがと」という。私は笑いながら、大きくうなずいて見せた。ごめん、智。あなたが、悪い子じゃないってことくらい、私も知ってる。だけど本当の私を知ったら、もう二度と、そんな風には微笑めない。だから、その前に私はあなたから遠ざかっておく。


先生に当てられてすらすらと答える智。いいですね、と先生。じゃあ・・・小倉。どう思う?やっぱり、と私は思う。この先生は智が私の宿題を写していると分かっていて私に同じ質問をするのだ。今度の担任はなかなか洞察力がある。それにこういう時、私が先ではなく智を先に当てることからして、手ごわい。


「はい。小川さんが言ったことに一つ付け加えるとしたら、生物の定義は独自のDNAを持っていて、自己増殖するということです。」

「はい。それは大切ですね。」

先生は顔色一つ変えずに授業を進める。智が振り返ってごめん、という顔をする。ううん。首を振りながら、きりりと胸が痛んだ。最初からこのくらいのこと予期していた。智に見せたノートにはわざと完全じゃないことが書いてあるのだ。先生はきっと気づいただろう。私のずるさに。一本取られたような気分になって、私はそっとうつむいた。



授業の後さりげなく先生が智のノートを覗いていた。

「おまえ、汚い字だなあ。」

「そんなことないし。」

私は、すぐにノートを片付けて教室を去ろうとした。

「詩織!待ってよー。」

智に続いて数人の女子に固められた。

「ねっ、明日さー、」

心の中には、すでに答えが準備されている。ごめんねー、明日用事があって行けないの。また今度誘ってね。


見透かしたように夏目が横を通って行った。心なしか懐かしい香りがした。


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