聖女たるもの、沈黙を強いられます
動きがあったのは、孤児院の件が収束した翌日だった。
朝食の席に、騎士団長がいつもより硬い顔で現れる。
「聖女様」
「……来ましたね」
彼は、黙って頷いた。
「王都評議会から、正式な通達です」
差し出された書類を、私は受け取った。
内容を一読して、思わず小さく息を吐く。
「公的な場での発言制限。
集会への関与禁止。
民衆への直接的な呼びかけの停止……」
そして、最後に。
「違反した場合、聖女権限の一時停止」
綺麗な文章だった。
感情も、悪意も、すべて削ぎ落とした言葉。
(殴れない。喋れない)
私は、ゆっくりと紙を畳んだ。
「王の署名は?」
「……あります」
「そうですか」
それだけで、十分だった。
評議会は、学んだのだ。
拳は刺激しない。
言葉も封じる。
聖女を“象徴”に戻す。
祈るだけの存在へ。
「どうなさいますか」
騎士団長の問いは、重かった。
「……従うしか、ありませんよね」
そう答えると、彼は歯噛みした。
その日から、世界は変わった。
城の廊下では、人々が距離を取る。
声をかけてこない。
目も、合わせない。
孤児院の子どもたちも、会いに来なくなった。
(近づけば、迷惑になる)
そう教え込まれたのだろう。
代わりに、噂だけが届く。
「聖女は黙らされた」
「結局、貴族の味方だった」
「期待したのが間違いだった」
私は、何も言えない。
殴る理由もない。
言葉を発する場もない。
静かな部屋で、一人、拳を見る。
(……これが、檻)
数日後。
最悪の報告が入った。
北区とは別の地区で、同じ手口が始まっている。
今度は、診療所だった。
「合法です。
違反はありません」
聞き覚えのある言葉。
私は、唇を噛んだ。
「私は、行けませんね」
「……はい」
騎士団長の声が、かすれる。
その夜、部屋の扉が、静かに叩かれた。
「……聖女様」
立っていたのは、城で働く下級使用人だった。
「勝手に来ました。
処罰されるかもしれません」
「それでも、来たのですね」
彼女は、震えながら頷いた。
「診療所の先生が……殴られました」
一瞬、頭が真っ白になる。
「誰に」
「私兵です。
事故扱いになりました」
拳が、自然と握られる。
(来た)
法の仮面を外した。
こちらが縛られていると見て、殴り始めた。
「……私は」
立ち上がろうとして、止まる。
制限。
権限停止。
王の命。
全部、分かっている。
「……私は、行けません」
そう言った自分の声が、ひどく遠く感じた。
使用人は、泣きそうな顔で俯く。
「でも……聖女様」
その声が、震えた。
「あなたしか、いないんです」
沈黙。
胸の奥で、何かが、ゆっくりと割れた。
(ああ)
分かった。
殴れない相手より、
喋れない聖女より、
一番残酷なのは。
“助けられるのに、動かないこと”。
私は、外套を手に取った。
「行きましょう」
使用人が、顔を上げる。
「でも……!」
「制限を破ります」
静かに言った。
「聖女権限も、地位も」
拳を、はっきりと握る。
「全部、引き換えにしても」
騎士団長は、いつの間にか、扉の外に立っていた。
「……止めません」
彼は、剣を差し出す。
「記録も、残しません」
私は、深く息を吸った。
「ありがとうございます」
夜の王都へ、踏み出す。
今回は、交渉ではない。
見せるための拳でもない。
黙らされた聖女が、
それでも動くという事実そのもの。
「聖女たるもの」
心の中で、はっきりと言う。
「沈黙は、選びません」
それが、
本当の意味での“反撃”の始まりだった。




