殴らせるための舞台装置
街は、静かすぎた。
人通りはある。
店も開いている。
なのに――誰も、こちらを見ない。
「……露骨ですね」
私の隣で、団長がぼそりと呟く。
「ええ。分かりやすい」
これは平和じゃない。
“見ない”という選択を、街全体がしているだけだ。
昨日の広場の件は、噂になっているはずだった。
子どもが、聖女を庇った話。
殴らずに終わった話。
けれど。
それを語る声は、どこにもない。
「情報、遮断されてます」
「誰が?」
「決まってるでしょう」
私は、足を止めた。
通りの向こう。
路地の入口。
そこに、数人の男が立っている。
腕を組み、道を塞ぐように。
「……来ました」
団長が、剣に手をかける。
「待って」
私は、前に出た。
「こんにちは」
男たちは、答えない。
ただ、にやつく。
「聖女様だ」
「殴らない聖女様」
「噂通りだな」
私は、ゆっくり息を吐いた。
「通してもらえますか」
「無理だな」
男の一人が言う。
「ここから先は、立入禁止だ」
「理由は?」
「治安維持」
笑い声。
「聖女様が来ると、揉め事が起きるからな」
……なるほど。
「つまり」
私は首を傾げる。
「私が悪者、ということですか」
「そういうこと」
男が、一歩近づく。
「なあ、聖女」
「はい」
「お前、殴らなくなったんだって?」
「ええ」
「奇跡も使わない?」
「必要がなければ」
男は、仲間を見る。
「ほらな」
「噂通りだ」
そして、声を張り上げた。
「おい! 出てこい!」
路地の奥から、悲鳴。
女の声。
「……っ」
私は、即座に前に出ようとした。
男が、腕を伸ばす。
「動くな」
「離しなさい」
「殴らないんだろ?」
ぐっと、掴まれる。
「助けたいなら、殴れよ」
はっきりとした罠。
私は、視線を路地の奥へ向ける。
倒れている女。
その前に立つ、別の男。
刃物。
「時間がない」
団長が、低く言う。
「……分かっています」
私は、拳を握った。
殴れば、彼らの思惑通り。
殴らなければ、女が傷つく。
どちらも、最悪。
「聖女様?」
路地の奥から、震える声。
「……助けて」
その一言で。
私の中で、何かが切れた。
「……分かりました」
掴まれている腕を、軽くひねる。
「っ!?」
男の体勢が崩れる。
殴らない。
ただ――壊す。
足を払う。
肘を極める。
関節が、嫌な音を立てた。
「ぎゃっ!」
地面に伏せる男。
残りが、ざわつく。
「な、殴ってない!」
「暴力だろ!」
「いいえ」
私は、冷たく言う。
「制圧です」
路地の奥の男が、女に刃を向ける。
私は、踏み込んだ。
一瞬。
拳は振るわない。
代わりに、腹部へ蹴り。
「ぐっ……!」
刃物が落ちる。
団長が、即座に確保。
静寂。
私は、女に手を差し伸べた。
「大丈夫ですか」
「……はい」
震えながら、頷く。
周囲の男たちは、呆然としていた。
「殴らないって……」
「言いましたよね」
私は、彼らを見る。
「誰も、殴らないとは」
「……!」
「ただ」
一歩、近づく。
「見過ごさないだけです」
男たちは、後退した。
完全に、舞台は壊れた。
後で。
「……相手、焦ってますね」
団長が言う。
「ええ」
私は、拳を見下ろす。
「次は」
静かに。
「もっと、露骨に来ます」
殴らせるための舞台装置は、
もう、作れない。
だからこそ。
敵は、次の手を打つ。




