聖女たるもの、名前を捨てて歩きます
謹慎、という名の幽閉は、思ったより自由だった。
城の外には出られない。
公の場には姿を見せない。
祈りも、祝福も、儀式も禁止。
代わりに。
「これが、今夜の案件です」
騎士団長が、夜更けに地図を広げる。
「“案件”って言い方、やめません?」
「今さらです」
彼は、淡々としていた。
「南区の倉庫街。
物資横流しと、用心棒による恫喝」
「また、私兵?」
「ええ。
今度は、評議会とは無関係を装っています」
私は、フード付きの外套を羽織った。
「名前は?」
「表向きは、ありません」
「裏では?」
騎士団長は、一瞬だけ迷ってから言った。
「……“殴る聖女”」
「最悪ですね」
「噂は、制御できません」
城を出る時、正門は使わない。
地下の通路。
古い石段。
聖女として歩いたことのない道。
(いいですね)
静かで、暗くて、嘘がない。
倉庫街は、想像以上に荒れていた。
酒の匂い。
怒鳴り声。
殴られる音。
「金が足りねえって言ってんだろ!」
悲鳴が、一つ。
私は、足を止めなかった。
倉庫の扉を、蹴る。
鈍い音。
中の空気が、一気に張り詰める。
「……誰だ」
三人。
腕に、私兵の証。
「通りすがりです」
私は、フードを深く被ったまま言った。
「金を返してください」
男たちは、笑った。
「は?」
「祈りに来たんじゃねえぞ」
「分かっています」
一歩、踏み出す。
「だから、殴りに来ました」
最初に動いたのは、相手だった。
拳。
素直な直線。
私は、避けて、肘。
喉元に、掌底。
男が、崩れ落ちる。
「……っ!」
残り二人が、武器を抜く。
短剣。
棒。
(殺す気はない)
でも。
(痛みは、覚えてもらう)
私は、床を蹴った。
一人の膝を、正確に壊す。
もう一人の手首を、踏み抜く。
悲鳴。
「次は?」
静かに問う。
二人は、答えなかった。
答えられなかった。
倉庫の奥で、商人が震えていた。
「……聖女、様?」
「違います」
私は、即座に否定した。
「ただの通りすがりです」
金袋を、彼に投げる。
「今夜のことは、忘れてください」
「で、でも……!」
「覚えていたら、危ないですよ」
商人は、必死に頷いた。
倉庫を出ると、夜風が冷たい。
「どうでした」
影から、騎士団長。
「効率的でした」
「情は?」
「挟みません」
彼は、少しだけ目を細めた。
「……変わりましたね」
「ええ」
私は、空を見上げる。
「祈らなくなりましたから」
城へ戻る道すがら、思う。
名前を捨てるということ。
肩書きを脱ぐということ。
それは、自由だ。
同時に。
(戻れない)
でも。
拳を、もう一度握る。
(それでいい)
聖女たるもの。
闇を歩いてでも、
見過ごすわけには、参りません。




