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「◎すいたい」衰退しちゃった高校野球。堕ちた名門野球部を甲子園まで  作者: 末次 緋夏
準決勝 神威岬戦

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番外編①

第1話 言葉という球(タイチと監督)


 最近、練習に熱が入りすぎていた。

 いや、正確に言えばーー“入り込みすぎていた”のかもしれない。

 気づけば夜。グラウンドの照明が落ちても、ボールの回転を頭の中で追っている。

 そのせいで、教科書の内容はほぼ記憶の外。現代文の文章なんて、もはや異国語レベルだった。


 そんなある日の放課後。

 談話室のドアがギィと音を立てて開いた。

 入ってきたのは、我らが監督――みなもと 頼和よりかず

 目が合った瞬間、背筋がピンと伸びた。あの鋭い眼差しは、ボールよりも速く心を射抜いてくる。


「監督、勉強って難しいです。特に現代文。何かコツとか、アドバイスあります?」


 オレが弱音を吐くと、監督は腕を組み、少しだけ口角を上げた。


「……アドバイスになるかは分からんが、ちょっとした話をしてやろう」


 机の上の赤ペンを指先で転がしながら、穏やかに言葉を紡ぐ。


「“私は人が嫌がるようなことを進んで行っています”――この一文を、お前ならどう読む?」


「えっ? 普通に“掃除とか、ボランティアとかを進んでやる人”ってことじゃないですか?」


「そう捉えるのが一般的だ。だがな――こうも読める。

 “私は、人に嫌がられるようなことを、進んでしています”」


「……え、そんな解釈アリなんですか!?」


 オレの目がまんまるになる。監督は軽くうなずいた。


「あるさ。日本語はな、奥が深い。言葉ひとつで意味がいくつも顔を出す。

 同じ日本語を話しているはずなのに、まったく通じないことだってある。

 俺も若いころ、いろんな人間を見てきた。

 言葉巧みに自分に都合よく誘導するやつは、世の中にゴロゴロいる。

 だからこそ――知識を持て。言葉を疑え。お前がこれから戦うフィールドは、グラウンドだけじゃない」


 その声には、長い年月を重ねた“実感”があった。

 監督の視線は、ただの指導者ではなく、“生き方”を見せる大人のものだった。


「……なるほど。分かりました。勉強、頑張ります!」


 オレは深呼吸し、ペンを握る指に自然と力を込めた。

 ボールを握るときと同じ、真剣な気持ちで。


 白球だけじゃない。

 “言葉”という球も、打ち返してみせる。

 それが――監督から学んだ、もうひとつの“勝負”だった。







第2話 言えなかった憧れ(リュウジ×タイチ)


 夕暮れ前のグラウンドは、まだ昼の熱気をかすかに残していた。

 土の匂いが濃く、セミの声が遠くで伸びている。

 練習を終えたタイチは、スパイクのままベンチに腰を下ろした。

 バットを握る手に、じっとりとした汗。

 胸の奥で、言葉にできないもやもやが渦巻いていた。


 (……オレ、まだ全然、リュウジ先輩に追いつけてない)


 そんな思いで空を見上げたとき――

 背後から、低く落ち着いた声が聞こえた。


「……まだ残ってたのか」


 振り返ると、リュウジ先輩がいた。

 手にはグローブ、額には汗。

 だが、その瞳の奥には、どこか遠い景色を見ているような光があった。


「リュウジ先輩も、ですか?」


「……まあな。なんか、帰る気になれなくてよ」


 リュウジはそう言って隣に腰を下ろす。

 風が二人の間を抜け、ベンチの下の砂を少しだけ巻き上げた。


 しばらく沈黙。

 どちらも何も言わない。

 ただ、遠くでカラスの鳴く声がして、日が少しずつ落ちていく。


 タイチは、思い切って口を開いた。


「リュウジ先輩って、昔からピッチャーなんですよね」


「ああ」


「なんか……ずっと“信念”って感じがして、かっこいいです」


「……信念ね。そんな立派なもんじゃねぇよ」


 リュウジは笑いもせずに空を見上げた。

 その表情には、どこか懐かしさのようなものが滲んでいた。


「ただ、昔……憧れた投手がいたんだよ。

 球に魂を乗せて投げる人だった。

 俺はずっと、その人みたいになりたいって思ってた」


「へぇ……誰ですか? もしかして、プロの選手ですか?」


 リュウジは一瞬、言葉を失った。

 喉が詰まる。口が開かない。



「……おい、タイチ」


「はい?」


「……いや、なんでもねぇ」


 喉まで出かかった言葉を、無理やり飲み込む。

 “お前のじいさんに、俺は憧れてた”

 “あの人の球を見て、ピッチャーを志した”

 そんな言葉が、どうしても言えなかった。


 (……俺が尊敬してきた人の“孫”なんて、重すぎる)


 拳を握りしめ、目を伏せる。

 口にした瞬間、どこか線を引いてしまいそうで怖かった。

 タイチはまだ、ただの後輩でいてほしかった。

 “憧れの影”なんかじゃなく。


「先輩?」


 タイチが覗き込む。

 無垢な目。疑うことを知らない笑顔。

 リュウジは息を整えて、無理やり話を逸らした。


「……練習、明日も早いから、もう帰れ」


「あ、はい! お疲れ様です!」


 タイチは笑顔で立ち上がり、グラウンドを走っていく。

 その背中を、リュウジはしばらく黙って見送っていた。


 ――憧れの人の血を継ぐ後輩。

 その存在は眩しくて、息が詰まるほどだった。


「……まったく、似てるよな。あの人に」


 誰もいないグラウンドで、ぽつりと呟く。

 その声は、夕風にさらわれていった。



第3話 放課後の談話室で(タイチ×リュウジ)


 放課後の談話室。

 窓から差す夕陽が机の上のノートを赤く染め、

 蝉の声が遠くでかすかに響いている。


 積み上がった参考書の山。

 その向こうに――リュウジ先輩がいた。


「……なぁ、知ってるか、タイチ」


 腕を組んだまま、妙に真剣な声。

 タイチはノートを閉じて顔を上げる。


「どうしたんですか? 試合の反省ですか?」


「違ぇよ。テストだ」


 低い声が響く。

 部屋の空気が一瞬ピリッと張りつめた。


「……て、テスト!?」


「ああ。ヒカルに言われた。“チーム全員、赤点出したら追加練だ”ってな」


 リュウジは額を押さえてため息をつく。

 その姿は、どんな強打者にも見せたことのない苦悶の表情だった。


「お、オレもヤバいです! 現代文が……外国語みたいで!」


「お前もかよ……」

 二人の声がぴったり重なった。


 しばしの沈黙のあと、タイチがそっと尋ねる。


「……先輩、どの教科が一番危ないんですか?」


「全部だ」


「全部!?」


「特に数学だな。公式ってやつが、どうしても頭に入らねぇ。

 “変化球”とか“配球”のほうがよっぽど覚えやすい」


「た、確かに……」

 タイチも乾いた笑いを浮かべる。


 その時、廊下の向こうから軽快な足音が近づいた。

 扉が開く音。


「やあ、二人とも勉強してるかい?」


 現れたのはヒカル先輩。

 穏やかな笑顔――だけど、どこか背筋が寒くなる気配をまとっている。


「ひ、ヒカル先輩!?」

 タイチとリュウジは、同時に姿勢を正した。


 ヒカルはゆっくりと談話室を見回し、机の上の参考書を指で軽く叩く。


「いい心がけだね。特にリュウジ」


「は、はい……!」


「この前の小テスト、何点だったかな?」


「……え、えっと……二桁……」


「二桁じゃなくて、具体的な数字を」


「……十三点です」


「うん、伸びしろしかないね」


 タイチは思わず吹き出しそうになるが、

 ヒカルの眼差しに即座に真顔に戻った。


「君たちは野球も勉強も、両方やるチームだ。

 次のテスト、平均七十点以上。

 ……できなかったら、ランニング追加だ」


「ええぇぇぇっ!?」


 ヒカルが去ったあと、談話室は再び静寂に包まれる。

 夕陽が、参考書の山を橙に染めた。


「……タイチ」


「はい」


「勉強、教えてくれ。次、成績下がったら……俺、走る前に倒れる」


「は、はいっ! 一緒に頑張りましょう、リュウジ先輩!」


 二人は顔を見合わせ、なぜか同時に吹き出した。


 ――白球だけじゃない。

 テストもまた、チームプレーで乗り越えるしかないのだ。


 夕陽の中、ノートを開く音が、

 まるでキャッチボールのリズムみたいに響いていた。



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