第55話「風、交わるマウンド」
ーーレンの投球が、球場の空気を一変させた。
足を高く上げ、しなやかに振り下ろす右腕。
白球が唸りを上げてミットに突き刺さるたび、スタンドのざわめきがすっと吸い込まれていく。
まるで、昔映像で見た“じいちゃん”そのものだった。
ベンチの誰もが息を呑み、言葉を失っていた。
けれど一番驚いていたのは――監督だ。
悲しさと喜びが入り混じったような、複雑な顔。
胸の奥がざわつく。
気がつけば、オレは監督のもとへ歩み寄っていた。
「監督……レンのフォーム、じいちゃんにそっくりに見えるんです。
オレ、おかしくなったわけじゃないですよね?」
監督は一瞬だけ目を細め、低くうなずいた。
「……やはり、そう感じたか。」
その声には確信があった。
「映像だけじゃ断言できなかった。だが、あの足の上げ方、腕の振り――間違いない。
あれは“大虎”の投球だ。」
監督は遠くを見つめながら続ける。
「レンは一年。まだ実戦経験は浅い。
だが神威岬の監督な。あいつ、昔大虎の捕手だったんだ。」
「……!」
「おそらく、あの頃の映像をレンに見せた。
理由は分からんが……あのフォームは“継がれた”んだ。」
胸が鳴った。
まさか、そんな繋がりがあったなんて――。
オレはただ、拳を強く握るしかなかった。
レンの準備投球が終わり、試合が再開された。
だがーー誰も打てない。
投げるたび、球が空気を裂く音がする。
高速で沈むフォーク。消えるように落ちる。
ユーリもヒロもただ見送るしかなかった。
「な、何あの球……目の前で消えた……!」
「ほんとにあるんだ、魔球ってやつ……!」
ベンチの空気が重く沈む。
流れを失いかけた瞬間、監督の怒声が飛んだ。
「こら! 顔を上げろ! 怖がるな! “風”を止めるな!!」
その一言が、胸に火をつけた。
そうだ、下を向いている場合じゃない。
オレは自分の頬をパシンと叩く。
息を吸い、立ち上がる。
次は――オレの番だ。
レンとの勝負。待ち望んだ宿命の対決。
あの日、打たれた悔しさがよみがえる。
胸が熱くなる。心臓が速く跳ねる。
マウンドのレンと、目が合った。
あいつがわずかに口の端を上げる。
挑発でも、笑いでもない。
――覚悟の笑みだった。
オレは帽子のつばを握りしめる。
じいちゃん譲りの癖。
「見ててくれ、じいちゃん」
バットを構える。
風が吹く。
砂が舞う。
球場のすべてが、静かに一点へ集束していく。
――いざ、勝負だ。




