第54話「再会のマウンド」
「なんだあの投手――」「すげぇ速さだ!」
スタンドのざわめきが耳を震わせる。
その声が、オレの胸に熱をくれた。
攻守交代のサイレンが鳴り、ベンチに戻る。
仲間たちが笑顔で迎えてくれる。
「なかなかやるじゃねぇか」
リュウジ先輩がニヤリと口角を上げた。
「本当にいい球だったよ。今までで一番の投球だった」
ヒカル先輩が白い歯を見せて笑い、オレの肩を軽く叩く。
ユーリもヒロも、自分のことみたいに喜んでくれて。
その姿を見た瞬間、胸の奥があたたかくなった。
けれど浮かれてる暇はない。
逆転されたままじゃ終われない。
この四回表で、取り返すんだ。
相手エースの武器はスライダー。
人差し指と中指で横に回転をかけ、利き腕と逆方向に鋭く曲がる。
じいちゃんの「虎の巻」にも書いてあった。
カーブが“じわじわ”なら、スライダーは“一点でギュッ”だ。
しかも高速。完璧に決まれば、打つのは至難。
だけど、この灼熱の夏。
彼の体力は限界に近い。
汗がユニフォームを濃く染め、息も荒い。
監督が小声でつぶやく。
「ここがチャンスだ。頼んだぞ、ヒロ」
ユーリとリュウジ先輩が粘りに粘って、一・二塁。
最大の好機。
ヒロがゆっくりと打席へ歩く。
その背中を見た瞬間、胸の奥が熱くなる。
(……ヒロ、頼むぞ)
オレの脳裏に過去がよみがえった。
朱雀戦。オレが情報を隠してたことに怒ったヒロ。
それでも最後はマウンドのオレを信じた。
あのときの声ーー
「ピッチャー、大丈夫だ! 絶対守るから!!」
誰よりも響いた、真っすぐな声。
あの言葉が、あの時のオレを救ってくれた。
今度は、ヒロが主役だ。
ピッチャーをにらみつけ、バットを握る。
息を吸い込み、腰を落とし、振り抜いた。
カキーン――!
白球が夏の空を裂いた。
スタンドのざわめきが一瞬、消える。
そして次の瞬間――爆発。
「入ったぁぁぁぁぁぁっ!!」
ホームラン。
三点。逆転。
スコアは5―4。
ベンチが、球場が、歓声で揺れた。
真っ先にオレはヒロに駆け寄った。
「ありがとう!! ヒロはチームのヒーローだ!」
ヒロは照れくさそうに笑い、仲間に囲まれる。
その笑顔が、あの“孤独な背中”を完全に吹き飛ばしていた。
しばらくして、通り雨が降りだした。
グラウンド整備の間、オレはヒロの隣に腰を下ろした。
「今の一発、四番って呼ばれてもおかしくないな」
ヒロは首を横に振り、少し笑った。
「ありがとう、タイチ。でも俺ひとりの力じゃない。
みんなの応援があったから打てたんだ。
タイチの声も、ちゃんと届いてた」
その笑顔は、どこか子どものようで。
けれど続く言葉は、大人びていた。
「俺さ……この体格だから、昔から“力任せキャラ”で見られてた。
必要とされるのは嬉しかったけど、本当の“俺”を見てくれる人はいなかったんだ」
雨の音が静かに響く。
ヒロの声は、淡く、少しだけ震えていた。
「だからさ。みんなと野球できるの、今すごい楽しいんだ」
オレは言葉を失った。
ヒロの強さの裏に、そんな孤独があったなんて。
初めて名前で呼んだとき、あんなに嬉しそうだった理由がやっとわかった。
雨がやみ、雲の隙間から光が差し込む。
蒸気の立つグラウンドが輝いて見えた。
再開のサイレン。
オレは再びマウンドへ。
仲間が守る。ヒロが構える。
そのすべてが、風みたいに背中を押してくる。
「よし、行くぞ……!」
腕を振るたび、心の中で風が吹く。
それが“仲間と一緒に掴んだ風”だと、やっとわかった。
そして五回裏、場内アナウンスが響く。
『ーーに代わりまして、ピッチャー、明智くん』
……レン。
あの名を聞いた瞬間、背筋がぞわりと震えた。
マウンドに立つその姿。
少し高い背、厚い胸板。
右腕をゆるやかに回す仕草。
ーー懐かしい、じいちゃんのフォームだ。
レンが投げた。
パァンッ!!
ミットに突き刺さる音が、球場を切り裂く。
空気が止まり、時間が止まった。
(……なんだ、この球……!)
球筋も、姿勢も、呼吸までも。
まるで、あの日の“あの人”みたいだ。
心臓が高鳴る。
震える指先を押さえながら、オレはただ見つめていた。
じいちゃんの背中が、
今、レンの中にーー確かに見えた。
ーーそして風が、再び吹きはじめた。




