第44話 北の牙、風の境界
嵐の前の静けさ。
勝ち続けてきた煌桜に、ようやく“宿命”の風が吹こうとしていた。
北の大地――神威岬高校。
そこに立つのは、かつての仲間であり、いまの最大の壁・レン。
彼らが積み重ねたもの、
そして監督が胸に秘めた“過去”。
すべてが、ひとつの風に繋がっていく。
ーーオレたちは、ついに準決勝まで勝ち上がってきた。
時には突然の豪雨に足を取られ、浜風に打球をさらわれそうになった試合もあった。
それでも強豪を倒し続け、ここまで来た。
そして今、目の前にあるのはーーレンがいるチームとの対決だ。
作戦会議の最中、監督がふと昔話を切り出した。
「俺の現役の頃はな、東北や北海道のチームは、甲子園の優勝回数が他よりずっと少なかった」
理由はひとつじゃない。ーー雪だ。
長く厳しい冬が練習時間を奪い、氷点下の空気が筋肉をこわばらせる。
「だから有望な選手は越境して南へ行ったり、逆に南から雪国に挑む奴もいた。地元でレギュラーを取れなくても、別の土地で甲子園を狙うためにな」
監督の声には、遠い記憶のような温度があった。
少子化が進んだ今じゃ、そんな“越境”が当たり前だったなんて、想像しづらい。
そしてーー今。
レンが所属する神威岬高校は、北の大地で牙を研ぎ続ける“新たな名門”だった。
「監督。寒い北海道で、どうやってそこまで練習できるんですか?」
ヒロの問いに、監督はパンフレットを取り出して答えた。
そこに載っていたのは、まるでプロ球団のような光景だった。
壁一面のピッチングマシン。人工芝の室内練習場。
北国の冬をものともしない全天候型ドーム。
オレは胸の奥がざわめいた。
一番に口を開いたのはショート先輩だ
「うわ〜〜、すごいねこれ! ぜんぶ最新式じゃない?」
目を丸くしてパンフレットを覗き込む。
その長い髪を指でくるくる弄びながら、子どものように興奮していた。
「フッ……流石、金持ちの学校といったところか。桁が違う」
レオが腕を組み、鼻で笑う。どこか悔しさを噛み殺すような声だった。
「確かにな」
リュウジ先輩も静かに腕を組み、額にうっすら汗を浮かべる。
強敵を前にした時の、あの冷や汗。
ベテランの直感が、危険を告げていた。
「……北海道は美味いもんたくさんあるよな。これだけの金持ちなら、グルメも全部制覇してんじゃね?」
ヒロはというと頬を緩め、想像だけでヨダレを垂らしかける。
「ちょ、ちょっとヒロ! ストップだよぅ!」
ユーリが慌ててティッシュを差し出しながら、半泣きで止めに入った。
場の空気が少し和み、笑いが漏れる。
だが、そのパンフレットを見つめる監督だけは、表情を変えなかった。
笑い声の奥で、どこか遠い目をしていた。
雪に閉ざされた土地が、“静寂の中で力を蓄える戦場”に変わっている。
「しかもな、あそこは海外にも選手を送り出してる。向こうじゃ野球はメジャー競技だ。環境もチャンスも段違いだ」
監督の声には羨望と警戒が入り混じっていた。
ただしーー誰でも入れるわけじゃない。
家柄、財力、そして圧倒的な実力。その三つを兼ね備えた者だけが門をくぐれる。
レンの家が裕福だったことを、ふと思い出す。あいつなら、当然のようにその条件を満たしているだろう。
「……そんなすごい学校と、どうしてオレたちは練習試合ができたんですか?」
オレの問いに、監督は少し目を細めた。
「向こうの監督とは旧知の仲でな。昔、同じグラウンドを踏んだ――戦友みたいなもんだ」
その声音に、一瞬だけ懐かしさが滲む。
ならばこの対戦も、ただの偶然じゃない。監督たちの(絆)が、再び風を運んできたんだ。
「強さなんてのは、あっという間に移り変わる。いつの時代も、“王者”は入れ替わるもんだ」
その言葉が胸に響く。
永遠の王者なんていない。だからこそーー今、この瞬間に全力を懸ける意味がある。
ミーティングルームの照明が落とされ、スクリーンが光を放った。
タイトルには、無機質な白文字。
「神威岬高校・最新試合」
映し出されたのは、見慣れた顔。
ユーリの双子の兄、トウリ。
そして、あの練習試合で挑発してきたエイト。
……あの頃とはまるで別人だった。
フォームも、体の厚みも、全てが研ぎ澄まされている。
スクリーン越しに、ひりつくような“完成度”が伝わってきた。
そしてーーレン。
練習試合では一度も投げなかった、あのレンが。
マウンドに立っていた。
背番号は、オレと同じ「10」。
鋭いオーバースローから繰り出される速球。
映像越しでも分かる、空気を裂く音。
さらにーー縦に沈むフォーク。
打者の目前で、まるで“消える”ように落ちていく。
その瞬間、監督の手が止まった。
眉間に深い皺。眼鏡の奥で光が揺れる。
「……監督?」
オレが声をかける。
監督は短く息を吐き、眼鏡を外して額を押さえた。
「いや……なんでもない。少し目が疲れただけだ」
かすかに掠れた声。
ヒカル先輩も何かを察したように、目を細めた。
それでも監督は、言葉を続けなかった。
ただ静かに、スクリーンを見つめていた。
映像の中でレンが腕を振り下ろす。
風を切る音が、まるでこの部屋まで響いてくるようだった。
そのときーー監督の瞳の奥に、一瞬、影が走った。
何が引っかかったのか、オレには分からなかった。
けれど、あの時の監督の横顔がーー
なぜか心の奥に、焼きついて離れなかった。
この回では、「静かな対話の中にある緊張」を意識しました。
神威岬高校の描写は、単なる強豪校ではなく――“環境を武器に変える者たち”として描いています。
そして、監督・源頼和が見せた一瞬の迷い。
あれは単なる体調ではなく、過去に背負った何かの伏線でもあります。
次回、いよいよレンたちとの“準決勝”が開幕。




