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「◎すいたい」衰退しちゃった高校野球。堕ちた名門野球部を甲子園まで  作者: 末次 緋夏
甲子園編

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第42話 風の止む瞬間 沖縄戦②

甲子園。

そこは、ただの球場じゃない。

“風”が吹き、“魔物”が棲む、生きた舞台だ。


沖縄代表・青蘭高校は、その風を読むチーム。

対する煌桜は、風に逆らい、信じて掴もうとするチーム。


ーー止んだ風の中でこそ、本当の“信頼”が試される。




 甲子園の空に、乾いた打球音が響いた。

 ーー初回から、青蘭せいらん高校は攻めてきた。


 カキィィンッ!

 鋭いライナーが三遊間を抜け、レフト前ヒット。

 沖縄代表らしい対応力だ。

 リュウジ先輩のストレートにも臆さず、タイミングを合わせてくる。


 ベンチから声が飛ぶ。

 「走者、出たぞ!」


 リュウジ先輩は表情を変えず、静かに次のサインを確認した。

 ヒカル先輩のミットが低く動く。

 ーー外角低め、スライダー。


 投げた。

 だが、打者は迷いなく引っ張る。


 “ゴッ!”


 ボールがグラウンドに叩きつけられ、強烈なイレギュラー。

 バウンドが跳ね、ショート先輩のグラブを弾いた。


 「っ……!」


 慌てて追うも、すでにランナーは一塁を蹴っていた。

 内野のざわめき。

 スタンドの指笛が、一段と高く鳴り響く。


 (また……風の向きが変わった?)


 さっきまで追い風だった浜風が、いつの間にか止んでいた。

 球場を包んでいた潮の香りが薄れ、代わりにーー重たい静寂。

 まるで空そのものが息を潜めたようだった。


 監督がぼそりと呟く。

 「……嫌な風だ。甲子園の“魔物”ってやつかもな」


 その声に、背筋がぞくりとした。





 マウンドに立つのは、青蘭のエースーー大工廻たくえ アキラ

 大柄な体格に似合わぬ静けさ。

 どれほど打たれても、どれほど抑えてもーー表情が動かない。


 笑わず、怒らず、焦らず。

 まるで海底に沈んだ岩のような無表情。

 それが、かえって不気味に見えた。


 キャッチャー席には、真栄田まえだあおい

 細身の青年で、常に穏やかな笑みを浮かべている。

 彼が小さくリードを出すと、大工廻は無言で頷くだけだった。


 (……通じてる?)


 ヒカル先輩が小声で呟く。


 「大工廻は喋るのが苦手らしい。

  だから真栄田が“声”を預かってるんだ。通訳兼バッテリー、ってやつだよ」


 なるほど。

 二人の間には、言葉ではない信頼があった。

 視線ひとつで投球の意図が伝わる。

 それはもう、呼吸そのものだった。


 監督が帽子のつばを押さえながら言う。


 「……ピッチャーは表情から読まれることもある。

  だが、あいつは一切の“気配”を消してる。まるで仮面だな」


 タイチは息を飲み、手のひらを握った。


 「じいちゃんは逆でした。あの人は……表情豊かで」


 監督は小さく笑った。


 「……ああ、知ってる。笑ってても怖いタイプだった。

  だが、無表情ってのも武器になる。

  甲子園の“魔物”は、静かな奴の方に惹かれるんだよ」





 二回裏。

 またもや打球は内野へ。

 ショートゴローー完璧なコース。


 だが、グラウンドの土が大きく抉れていた。

 ボールは急に跳ね上がり、グラブの先をすり抜ける。


 「ショート! 落ち着け!」

 

ヒカル先輩の声。

 しかし、もう遅い。ランナーが一気にホームへ。

 スコアボードに「1」が灯る。


 ーー0対1。

 試合が動いた。


 ショート先輩は唇を噛み、俯いたまま動かない。

 (ショート先輩が……ミス?)


 誰よりも正確で、どんな打球でも笑って捌く先輩が。

 それでも無理はないーー

 あのバウンドは、誰も取れなかった。

 けれど、彼の手がわずかに震えていたのをオレは見た。





 ベンチに戻ると、監督は腕を組んだまま静かに言った。


 「……迷いじゃない。動揺だな。あいつは自分を責めるタイプだ」


 タイチが口を開く。


 「でも、監督……ショート先輩がミスなんて……」


 監督は首を振り、穏やかに続けた。


 「むしろ今までミスらしいミスがなかったのが、ショートが“どれだけすごい選手か”の証明だ。

  あんなイレギュラーで弾くなんて、プロでもよくあることだぞ」


 その言葉に、オレは胸の奥が少しだけ軽くなった。

 ショート先輩を責める声なんて、誰一人として出なかった。

 ただ、みんなが“あの人の笑顔”を待っていた。





 五回表。

 グラウンド整備が入る。

 トンボを引く音だけが響く中、ボクはそっとショート先輩のもとへ歩いた。


 「ショート先輩……」


 先輩は驚いたように振り向く。

 その瞳には、迷いではなく“動揺”が宿っていた。


 ボクは何も言わず、そっと先輩の“手首”を取った。

 汗に濡れたその手は、ひどく冷たい。


 「大丈夫です。風が止んだら、また吹きます。

  ……焦らないで。ショート先輩の守備、みんな信じてますから」


 その一言に、ショート先輩の瞳がかすかに揺れた。

 けれど何も言わず、頷いて守備位置へ戻っていく。



 (ユーリ……)


 その姿を見て、オレの胸に熱が広がった。


ーーたとえ風が止んでも、オレたちは動ける。


 そう思えた。


 浜風が、再び吹いた。

 砂が舞い、陽炎が揺れる。


 魔物が棲むこの球場で、オレたちはもう一度、風を掴みに行く。



浜風はまかぜ

甲子園名物の風。ライトからレフト方向へ吹き、

打球や変化球の軌道を変える“見えない敵”。

試合を左右するこの風は、「甲子園の魔物」とも呼ばれる。


●イレギュラーバウンド

土のわずかな凹凸で起こる予測不能の跳ね。

技術では防ぎきれず、“運”と“覚悟”が試される瞬間。


●動揺と迷いの違い

「迷い」は考えが揺らぐこと。

「動揺」は心が揺れること。

どちらも“風”のように目に見えないが、

選手の体を確実に動かす。


ーー風が止んでも、野球は止まらない。

それを信じた瞬間、再び“風”が吹く。




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