第6話 春風、最初の一歩①
孤独だった日々の先に、やっと吹いた“春風”。
この話は、タイチが「一人」から「二人」へと歩き出す、最初の一歩の物語です。
どんな人間にも、きっと“出会い”が運んでくる風があるーー
そんな想いで、読んでください。
寮のミーティングルームには、すでに何人かが集まっていた。
メンバーは思っていたよりもずっと多かった。
新しい場所の空気はまだ少し硬くて、どこかぎこちない。小さなグループがいくつもできていて、笑い声が点々と散っている。
その中で、ひときわ勢いよくオレに向かって駆け寄ってくる影があった。
「よかったーっ! ねぇ、ボクのこと覚えてる!?」
「え、えっと……」
「だよね、覚えてないよね! でもボクは知ってるよ!」
「受験の時、君の後ろの席だったの! 顔見知りが誰もいなくて不安だったけど……君が来てくれて超うれしかったんだ! 」
まくしたてるように喋りながら、両手をぶんぶん振る彼。
その勢いに圧倒されつつ、オレはただ相槌を打つ。
「……そ、そうなんだ」
「うん! あ、ボク、ユーリって言うんだ。九品寺ユーリ。これからよろしくね!」
肩まで伸びた髪がふわりと揺れた。
透き通るような瞳がまっすぐこちらを見ていて、どこか放っておけない。
彼はオレの手をぎゅっと握ったまま、少し涙ぐんで笑っていた。
「わ、分かった。よろしくな、ユーリ」
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がほんのり温かくなった。
(オレ、こういう距離感、初めてかもしれない)
窓の外では、春風がやさしく木々を揺らしていた。
その光が差し込み、机の上のペットボトルに小さな虹が浮かぶ。
「ねぇ、タイチ君ってピッチャーだよね?」
「え、あぁ。なんで分かった?」
「受験のとき、見てたんだ。なんか……背中がすごくまっすぐで、“投げる人の背中”って感じだったから」
「な、なんだそれ……!」
思わず笑って頭をかく。
けど、不思議と悪い気はしなかった。
風がカーテンを揺らすたび、虹がふわりと揺れて、二人の影が机に重なった。
(なんだろう。胸の奥が、少しだけ軽くなった気がする)
その時だった。
「……あれ? ユーリ、肩に何か……」
「えっ、な、なに!? まさか虫!? ひゃあああっ!!」
ユーリが飛び上がった。オレは反射的にその肩を払う。
小さな羽虫がひらりと床に落ちて、部屋の隅へ逃げていく。
「……まだいるっ!?」
「いや、いないいない! もう大丈夫だって!」
「む、虫はダメぇぇぇ!!」
叫びながら部屋の端まで全力疾走していくユーリ。
そのスピードに、周囲のざわめきが起きた。
「うお、なんだアイツ!?」
「はっや……!? 一年だよな?」
笑い混じりの声がいくつか上がる。
その中で、ひときわ落ち着いた低い声が響いた。
「……足、速いね〜〜」
声の主は、窓際のソファにだらりと腰かけていた長髪の男。
肩にかかる髪を指でくるくるといじりながら、目だけが面白そうに光っている。
気怠そうな仕草なのに、不思議と視線を奪われた。
「反応いいし、バランスも悪くない。……ああいうの、俺けっこう好きだな」
軽口のようでいて、どこか観察眼の鋭さを感じる声。
まるでグラウンドに立つ選手を見ているようだった。
(誰だろう、この人)
名前も知らない。
けれど、ひと目で分かった。
ただの見物人じゃないーーこの人も“風”の中にいる。
虫を逃がして窓を閉めると、ユーリが戻ってきた。
「タイチ君……ありがとう」
「タイチでいいよ」
「……うん。ありがとう、タイチ」
その笑顔が、春の光の中でふわりと輝いた。
(不思議だな……こんな日常の中に、“仲間になる瞬間”ってあるんだな)
窓の外では、吹き抜ける風がグラウンドの土をかすかに舞い上げていた。
その向こうーーまだ見ぬ仲間たちの影が、ぼんやりと重なっていく。
胸の奥が高鳴っていた。
それが、このチームのーー最初の“風”だった。
タイチにとって「最初の仲間」と出会う場面です。
孤独だった彼の心に、初めて“光”が差した瞬間。
ユーリとの出会いは、やがてタイチを変えていく大きな“風”の始まりになります。
あなたにも、そんな春風のような出会いがありますように。




