第41話 甲子園 沖縄編①風の島、青き静寂
※この章は「風」と「潮」がテーマです。
甲子園に吹く浜風が、仲間たちの心を揺らし、
“野球を信じる意味”をもう一度問いかけます。
沖縄代表・青蘭高校ーー彼らは“風を読む”チーム。
風を操る者たちと、風を掴もうとする者たち。
二つの“風”が交わるとき、煌桜の物語はまたひとつ進化する。
ーー潮の匂いがした。
風が頬を撫で、シャツの裾をかすめていく。
甲子園の空には雲ひとつなく、真夏の陽光がまぶしく照り返っていた。
スタンドを埋める観客のざわめき、その合間を縫うようにーー指笛が響く。
沖縄代表・青蘭高校。
全身を包む深い青のユニフォームに、白いラインが走る。
そのコントラストはまるで、沖縄の海に光が差し込むようだった。
日焼けした肌、白い歯、リズムに乗せた応援。
その音が風に溶け込み、球場全体が南の島の空気に包まれていく。
(……これが、甲子園の風か)
オレはまぶしさに目を細め、グラウンドを見渡した。
砂は乾いているのに、空気はどこか重たい。
熱と湿気がまざり、呼吸のたびに胸が熱を帯びていく。
「オレたちのユニフォームも淡い桜色だけど……あっちはもっと派手だな」
タイチがぼそりとつぶやく。
「うん……目立つね」
ユーリが小さく頷いた。
その横で、ヒロがガムを噛みながら言う。
「まるで海みたいだ……海……」
「ヒロ、その先のセリフは大体想像つくから、なしな」
「バレたか。流石タイチ」
「もう、ヒロは……」
小さな笑いがこぼれる。
だが、その笑顔の奥には、誰もが感じていた緊張の影があった。
試合開始前、ホテルの会議室で。
監督がホワイトボードの前に立ち、真剣な表情で口を開いた。
「相手は青蘭高校。沖縄では常連の強豪だ。
特徴は“機動力”と“ミート力”。 一球ごとに、守備のスキを突いてくる」
マーカーで描かれる赤いライン。
ランナーが次々に走る矢印が、まるで生き物のように動いて見えた。
「彼らは風を読む。
打球がどこへ流れるか、潮風の向きまで把握してる。
甲子園の風にもすぐ順応するだろう。ーー油断はするな」
監督の声に、全員の背筋が自然と伸びる。
(風を読む……)
思わず、自分の手首を押さえる。
“風”という言葉を聞くだけで、胸の奥がざわついた。
ヒカル先輩が補足するように言葉を重ねる。
「一見すると小技中心のチームだけど、そこが怖い。
確実に塁を埋めて、揺さぶってくる。焦った方が負けるよ。
……僕たちはいつも通り、風に逆らわずいこう」
その言葉に、リュウジ先輩が腕を組んでうなずいた。
「なら、先発は俺だな。タイチ、お前は温存だ。
球数制限あるし、後で任せる」
「はいっ!」
力強く返事をすると、リュウジ先輩がふっと笑った。
「緊張してるか?」
「……少しだけ」
「なら、ちょうどいい。緊張するってのは、ちゃんと向き合ってる証拠だ」
そのやり取りを聞いて、ヒロが手を挙げる。
「はい、監督沖縄っていえばサーターアンダギーですよね」
「おい、集中しろヒロ」
監督は腕を組みやれやれといった表情をする。
「いや、糖分は集中力のもとです!」
「……ヒロ君はどこでも食べるね〜〜♡」
ショート先輩がにこやかに笑う。
そのやり取りに室内に笑いが広がる。
それを見て、監督もわずかに口元をゆるめた。
「いい空気だ。勝つためには、楽しむことも忘れるな」
そして甲子園球場。
「今日は……やけに風が強いな」
思わずこぼれた独り言に、隣の監督が帽子のつばを押さえながら笑った。
「そうだな。この球場は“風が吹く”んだ。
良くも悪くもーー試合を左右する風が、な。」
ライト方向からレフトへ、砂埃が細く舞い上がる。
浜風だ。甲子園名物ともいえる、運命を運ぶ風。
(……風が、オレたちを試そうとしてるのか?)
思わず拳を握る。
指先が汗ばみ、ユニフォームの布が少しだけきしむ音がした。
遠くのスタンドで、また指笛が鳴った。
その音が、まるで“合図”のように聞こえた。
「プレイッ!」
甲子園が、動き出した。
マウンドに立つのは、青蘭のエースーー大工廻 彰。
大柄な体から放たれる球は静かで、無駄がない。
サイドスロー。腕を横に振り抜き、潮の風を切り裂くように伸びていく。
ミットに突き刺さる音が、球場の空気を裂いた。
観客席のざわめきが一瞬、潮のように引いていく。
(はやっ……!)
ベンチで見ていたオレは、息をのんだ。
力で押しているんじゃない。風の流れを“利用して”いるんだ。
「……潮風を、使ってるな」
監督の呟きが聞こえた。
ベンチに戻ると、ヒロがバットを担ぎながらつぶやく。
「サイドスロー?タイチの投げ方と何が違うんだ?」
「サイドスローはな、肩の高さから横に振る投げ方だよ。
リリースが低いぶん、球筋が安定してる。地を這うようなストレートになるんだ」
タイチが説明すると、ユーリが頷いた。
「うん……あまり見ないよね」
リュウジ先輩が真剣な目で続けた。
「確かにな。あれだけ完成された横投げは珍しい。大会でも初めて見るタイプだ」
監督は淡々と口を開いた。
「だが油断するな。今の球筋、ただの横投げじゃない。ーー“スイーパー”だ。」
「スイーパー?」
オレは思わず聞き返す。
「横方向に大きくスライドする変化球だ。かつてメジャーで流行った技法だよ。
握りを変えて回転を横にかけることで、まるで潮に流されるように逃げていく。
あれを自在に操れる高校生は、そう多くない」
レオが顎に手を当てて笑う。
「幻の技法か……フッ、攻略しがいがありそうだ」
「そうなんですか! オレ、初めて知りました!」
タイチが感嘆の声を上げると、監督はうなずいた。
「今も海外との交流がある沖縄だからこそ、だろうな。
昔から米軍基地経由でメジャーリーグの影響を受けている。
スイーパーも、そのひとつだ」
そして、少し間を置いてからこう続けた。
「海外と交流がある高校といえば……北海道の“神威岬”もそうだな。
選手を海外に送り出していることで有名だ」
(神威岬……レンの学校。そうだったのか)
甲子園の空を見上げる。
潮の匂いが、少しだけ強くなった気がした。
その風はーー新たな試練の始まりを告げていた。
【虎の巻・潮風編】
●スイーパー:横方向に大きく曲がる変化球。
メジャーでは2020年代に流行し、回転軸を横に傾けることで「潮流のように逃げる」軌道を描く。
●浜風:甲子園名物の自然現象。
ライトからレフトへ吹く風で、打球の軌道や変化球の曲がりを左右する。
これを読めるかどうかで勝敗が決まる。
●潮の野球:青蘭高校が取り入れる「環境を読む」野球。
風向き、湿度、太陽光、相手の癖。
すべてを“自然”として取り込み、リズムに乗るように試合を運ぶ。
ーー風を掴む者と、風に乗る者。
甲子園の浜風が、タイチたちに次の試練を運んでくる。
その先に待つのは“新しい野球”の形かもしれない。




