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「◎すいたい」衰退しちゃった高校野球。堕ちた名門野球部を甲子園まで  作者: 末次 緋夏
甲子園編

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番外編 監督の親心



ーー私立・煌桜こうおう学園。


 今でこそ進学校として知られているが、かつては全国に名を轟かせた野球の名門だった。

 その名残で、放課後のグラウンドには今も白球を追う声が響いている。

 そして、そこで監督兼教諭を務めるのが、この私ーーみなもと 頼和よりかずだ。





 昔から、憧れていた男がいる。

 一条ーー球界の伝説とまで呼ばれた天才投手。


 学生時代の私は、いつも彼の名前を追いかけていた。


 「いつか、彼に球を受けてもらいたい」


 その一心で、血の味がするほど練習を続けた。


 そして、夢は叶った。

 世界大会、日本代表の控え捕手として。

 


 「おらーー次行くぞ、カズ!」


 豪快な声と共に、白球が空を裂く。



 「ま、待ってください大虎さん! 準備が……!」

 


「こら大虎、仁野(旧姓)が困っているじゃないか」


 剛さんがため息をつきながらも笑う。

その笑い声に混ざって、風が心地よく流れていた。


引退間際と言われながらも、彼の投げるボールはまるで雷鳴だった。


 ミット越しに伝わる熱と衝撃。受けるたびに手が痺れ、心が震えた。

 あの焼けつくような感覚を、私は一生忘れない。




ーー練習後、私達は木陰で汗を拭っていた。

 大虎さんがノートを広げ、ペンを走らせる。


 「なんですか?それ」


 「“虎の巻”だ!」


 「……説明は擬音ばかりで分かりづらいぞ」

 

 剛が笑いながら口を挟む。


 「だから俺が横で“翻訳”してるんだ」


 私も思わず笑みがこぼれた。

 その笑顔を見て、剛さんは穏やかに言う。


 「この二つが合わされば、きっと風になる」


 その言葉が、今でも耳に残っている。




 数年後、剛さんは病でこの世を去った。

 残されたノートを、大虎さんが抱えて空を仰いだあの姿は、今も昨日のことのように思い出せる。


それが、後に“虎の巻”と呼ばれるものだった。




その頃の野球はまさに黄金時代だった。誰もが野球に釘付けだった。


 ーーだが、栄光は長くは続かなかった。


 


 高校野球界を揺るがす“暴行事件”が発覚したのだ。

 ニュースの活字を読むだけで吐き気がした。

 無関係な私のもとにも、中傷と罵声が押し寄せた。


 家の壁に貼られる罵倒の張り紙。

 鳴り止まない電話。

 ーーあの頃、妻にはどれほどの苦労をかけたことか。

 私が外で頭を下げている間、彼女は家を守り続けてくれた。

 その姿を見て、私は改めて「支える」という意味を知った。


 スポンサーは去り、甲子園は中止。

 野球は、文字通り“死にかけていた”。




 だが、その沈黙を切り裂いたのもーーやはり一条だった。


 「野球を愛する者が、野球をして何が悪い!」



 あの言葉で、彼は再び世間の矢面に立った。

 だが、結果は残酷だった。

 誹謗中傷の的となり、一家離散。

 球界の英雄の名は、やがて新聞の片隅からも消えていった。




 ーーそれから数十年。

 秋風が冷たくなり始めたある日、一本の電話が鳴った。


 「……久しぶりだな」


 懐かしい声だった。――大虎さんだ。


 「実は、俺はもう余命が長くない」


 その言葉に、胸を掴まれたような痛みを覚えた。

 続く声は穏やかだったが、どこか遠くを見つめているようで。


 「オレには孫がいる。……あいつ、お前のところに行くかもしれない」


 そして、こうも言った。


 「ーー簡単に受け入れるな。まずは一度、追い返してほしい」


 理由を問うと、かすれた笑いが返ってきた。


 「これから先、あいつが進むのは茨の道だ。

  その程度で挫けるなら……そこまでの人間だったということだ」


 あの豪腕の面影は、もう声の中にはなかった。

 それでも最後に、彼は静かに言った。


 「……どうしても頼み込んできたら、その時はーー頼む」


 プツリ。

 通話が途切れた。

 受話器の向こうに残ったのは、静寂だけだった。





 季節が巡り、紅葉が色づき始めた頃。

 私の家の玄関先に、一人の少年が立っていた。


 鋭く光る瞳、一目でわかった。あの人の孫だと。


 服はボロボロ。

 きっと、ここに来るまでに相当な苦労をしたのだろう。

 本当なら、今すぐ抱きしめてやりたかった。

 だが、私は心を鬼にして言い放った。


 「ーー帰れ」


 少年は唇を噛み、拳を握りしめた。

 そして、頭を下げながら言った。


 「オレ、もう一回風を吹かせたいんです!」


 その瞬間、胸の奥で“何か”が鳴った。

 約束を守るための拒絶は、もう必要なかった。





 それからのタイチは、がむしゃらだった。

 勉強はまるでダメだったが、努力だけは誰にも負けなかった。

 朝から晩までグラウンドに立ち、机に向かい、何度倒れても立ち上がった。


 スランプに沈んだ夜には、私は大虎さんの話を聞かせた。

 そのたびにタイチの目は宝石のように輝いた。


 彼の中には、確かに“風”があった。



 (自分が、野球界を変える)


 その無言の気概は、言葉以上に雄弁だった。




 そして春。

 彼は見事、煌桜学園に合格した。

 新しいユニフォームを身にまとい、グラウンドに立ったその姿に、

 私はあの日の一条を重ねずにはいられなかった。


 甲子園出場をかけた決勝戦。

 苦しい局面でも彼は仲間を信じ、最後まで戦い抜いた。

 あのダイビングキャッチーー

 白球を追う彼の姿は、まさに一条の血を受け継ぐ者そのものだった。





 今なら、もういいだろう。

 甲子園出場を果たした今、タイチにあの人の映像を見せる時が来たのかもしれない。


 これからも、苦しい局面は訪れるだろう。

 だが私は監督として、そしてーーあの人が託した者として、彼らを支えていく。


 尊敬する先輩方が残した“風”を、決して絶やさぬように。


 そう、あの日交わした約束は今も胸に生きている。

 野球は、まだ生きている。

 そして今日も、グラウンドには風が吹いている。





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