表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「◎すいたい」衰退しちゃった高校野球。堕ちた名門野球部を甲子園まで  作者: 末次 緋夏
地区大会編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/80

第26.5 話 2人の出会い


 ――風は止まってしまった。


 去年の煌桜チーム決勝の敗北を境に、

 彼の胸を満たしていた風は、静かに姿を消した。


 それでも、野球を嫌いになれなかった男がいた。

 名前は、海城サトシ。


 かつて煌桜学園の主将として仲間を導き、

 けれど最後にその手から“風”をこぼしてしまった男。


 これは、そんなサトシがーー

 もう一度“風”と出会う物語。


※1年前の話です



 夏の夕暮れ。

蝉の声が遠くで鳴き、沈みかけた陽が赤く街を染めていた。


 海城サトシは、ひとり古びたバッティングセンターの打席に立っていた。

 制服のまま、手には使い込まれたグローブ。

 ピッチングマシンが放つ白球が、乾いた音を立ててネットに弾かれていく。


 ーー打てない。


 ボールを空振りするたび、胸の奥で何かが剥がれ落ちていくようだった。

 この前の夏。俺たちは負けた。


 スコアボードの灯りが消える瞬間、

 3年の先輩たちは笑って肩を叩いてくれた。

 「ありがとうな、サトシ」

 「お前たち、次は頼んだぞ」


 けれど、その“次”は訪れなかった。


 主力だった3年が引退し、残された俺たち2年には、

 気力も、声を出す力も残っていなかった。

 源監督も疲れ切っていた。

 あの敗戦を境に、チームは静かに息を止めたようだった。


 グラウンドの風も止まり、ボールの音も消えた。

 その沈黙に、俺は耐えられなかった。


 

 学校へ行っても、野球の話は出なかった。

 「もう部、終わったんだろ?」

 「次の大会、出るチームあるの?」

 そんな何気ない声が、胸に刺さった。


 ニュースでは“野球離れ”という言葉が流れていた。

 練習環境の縮小、指導者の不足、部の統廃合。

 野球を続けること自体が“贅沢”みたいに扱われる時代になっていた。


 俺たちは、時代に取り残されたのかもしれない。


 (何のために、投げてきたんだろう)


 教室の窓から見える青空が、ひどく遠く感じた。

 気づけば、学校を休む日が増えていた。


 

 そんな時にこの古びたバッティングセンターに出会った。時間潰しにこうしてきている。何度も空振りしたあと、ようやくひと球だけ芯を捉えた。

 


 カキン、と乾いた音。

 それだけで、少しだけ息がしやすくなった。


 そんなある日のことだった。


 「すげぇな」

 隣のブースから聞こえた声に、振り向いた。


 そこにいたのは、中学生くらいの少年。

 短髪で、日に焼けた腕。

 バットを軽く“ヒュン”と回すその仕草に、胸がわずかに震えた。


 ーーその動き。


 少年は何球も何球も、気持ちよく打ち返していた。

 汗を光らせながら、心の底から笑っている。


「はははっ! やっぱ野球はよかばい!」


 福岡訛りの響く声。

 その明るさに、胸の奥がまた熱くなる。

 止まっていた風が、ふっと頬を撫でた。


 

「兄ちゃんも野球ばしよったと?」


「……昔、ちょっとな」


「ちょっとって顔じゃなか。フォーム、綺麗やったもん」


 屈託のない笑顔。

 まるで陽射しみたいに眩しい。


「オレ、稲川いながわ みのる

 福岡から引っ越してきたばっかり。親の仕事の都合でさ。

 でも、こっち来たら野球しとる人がもっとおると思ったんやけどーー

 意外とそうでもなかね」


「……そうか」


「地元じゃ、野球しとる人ほとんどおらんかったとよ。

 チームも減って、グラウンドも潰れかけて。

 でも、こっちなら誰かと野球できるかもって思ってきたと」


 ミノルは笑っていたけど、その笑顔には少し寂しさがあった。


 

 俺は、ふと天井を見上げた。

 たしかに、今の時代は“野球離れ”が進んでいる。

 テレビでも、プロの試合より配信や他競技が注目される。

 それでも、この少年は迷わず“バットを振っている”。


 「……なんで、そこまで頑張れるんだ?」


 そう問うと、ミノルは笑って答えた。


 「好きやけん。

  好きなもんは、やめられんとよ。

  たとえ時代遅れって言われてもーー風が吹くけんね」


 その言葉に、心臓が跳ねた。


 “風”。

 その言葉を聞いた瞬間、あの夏のグラウンドが脳裏に蘇る。

 ヒカルの声、ショートの笑顔、リュウジのまっすぐな目。


 気づけば、笑っていた。


「風、か……そうか。悪くないな、それ」


 もう一度、バットを握る。

 ヒュンーー。

 夕風が頬を撫でる。

 止まっていたはずの風が、確かに吹いていた。



 この時、俺は冥月に転校することを決意した。


 

 ーーそして、再会の舞台は1年後の決勝戦。


 かつてのチームメイトたちが、再び同じグラウンドに立っていた。


 最初の打席、リュウジの目には迷いがあった。

 だがミノルの打席のとき、リュウジは逃げなかった。


 そして一条タイチのダイビングキャッチを見てから、すべてが変わった。

 あの時のリュウジが戻ってきた。


 俺は無意識にバットを回していた。


 


 ーー勝負しよう、リュウジ。


 リュウジが迷っていたように、俺も迷っていたみたいだ。


 バットを強く握りしめ、構える。

 全力でフルスイングした。


 芯で捉えた打球は、一直線にサードへ。

 だけどグラブが音を立て、アウトになった。


 試合終了。


 


 ……負けて、悔しい。


 けれど俺が泣くより先に、ショート、ヒカル、リュウジが泣いていた。


 その姿を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。


 (ああ……ずっと堪えていたんだな)


 声に出して謝らなかったけど、心の中で何度も言った。


 ショート、ごめんな。二遊間を組んでいたのに。

 ヒカル、副主将として苦しかったよな。

 リュウジ、エースとしてよく頑張ったな。


 


 気がつけば、無意識に口走っていた。


 「俺は、野球を続けるからな」


 その言葉は、風の中へ消えていった。


 そうだ。俺はやっぱり野球が好きなんだ。

 どんな形であっても、まだ野球をしていたい。


 真夏の空を見上げる。

 グラウンドの風が、頬を撫でる。


 風は止まない。

 俺の中で、ずっと吹いている。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ