16.5話 ライバルの風
風が吹くたび、あの笑顔を思い出す。
何年経っても、あの日の約束だけは消えない。
ーーだから俺様は、今も野球を続けてる。
「俺様は明智連十郎だ!」
初対面のやつらにそう名乗ると、たいてい笑われる。
「……え?見た目と名前、ギャップありすぎじゃね?」
知るか。
俺様が名付けたわけじゃねぇ。
誕生日が10月16日だからって、親父が勝手に決めたんだ。
名探偵? そんな上等なもんじゃねぇ。
考えるより先に動く。それが俺様流だ。
体はデカいし、声もデカい。
昔から自然とグループの真ん中にいて、
誰かが困ってりゃ放っておけねぇ。
……そういうタイプだ。
だが、そんな俺様にもーー
どうしても気に食わねぇ奴がいた。
幼なじみの、一条タイチ。
最初はただの遊び仲間だった。
ヒーローごっこも、鬼ごっこも、いつも一緒。
だけど、ある日を境にアイツは変わった。
「ごめん、今日も練習あるから」
遊びに誘っても、そう言って走っていく背中。
気づけば、グラウンドの隅で黙々と素振りをしていた。
(なんだよ、それ……一人だけカッコつけやがって)
ムカついた。
でも、夜になるとつい窓の外を見ちまう。
街灯の下でバットを振る影が見えると、
胸の奥が、変な熱さでじんじんした。
今思えば、あれはーー嫉妬だったんだろうな。
-
ある日、タイチのじいちゃんが倒れた。
アイツは泣きながら言った。
「特訓、手伝ってくれないか」
その時、胸の奥が跳ねた。
……やっと俺様の出番が来たと思った。
だけど、素直になれなくて、
つい「無理」と言ってしまった。
その夜、親父が転校の話を切り出した。
頭が真っ白になった。
新しい街、知らない仲間、
そして――あのバカのいない毎日。
(なんだよ、それ……そんなの、つまんねぇに決まってんだろ)
だから次の日。
俺様は言ってやった。
「野球、付き合ってやるよ」
タイチの顔が一瞬で明るくなった。
涙でぐしゃぐしゃの顔で笑って、
「ありがとう!」って言われた時、
なんか胸が熱くなって、言葉が出なかった。
そこから、二人の“放課後特訓”が始まった。
課題はーーフライ捕球。
俺様が打って、タイチが捕る。
最初は空振りばかり。
でも、何十回も打つうちに、
風を読むタイミングが分かってきた。
泥まみれのボール、汗で滑るグラブ。
それでもタイチは諦めなかった。
(こいつ……本気なんだ)
気づいたら俺様まで夢中になっていた。
その日は風が強かった。
まるで何かを試すみたいに。
俺様の打った球は、突風に煽られて大きく逸れた。
「無理だ」と思った瞬間、風を切る音がした。
パンッ!
グラブを掲げたタイチが、
空に向かって笑っていた。
「俺、絶対じいちゃんみたいな選手になるから!」
その声が、風に乗って届いた。
胸の奥がじんわり熱くなった。
その時、俺様も決めたんだ。
(俺もーー野球、続ける)
-
転校発表の日。
クラスはざわめいて、泣いてるやつもいた。
タイチは驚きつつも、
どこか覚悟したように頷いた。
帰り道、俺様は拳を突き出した。
「タイチ!転校先でも俺様は野球を続ける!
いつか野球で勝負しようぜ。約束だ!」
タイチも笑って拳を合わせた。
「……分かった。オレも野球、頑張るから!」
その瞬間、
春の風が二人の間を通り抜けた。
「約束の風」ーー
俺様は、あの風の匂いを今でも覚えてる。
数年後。
新しい街のグラウンドで、
汗を流す俺様がいた。
太陽の下、ボールを握るたびに、
あの約束の風が背中を押す。
いつか必ずーーあの笑顔に追いつくために。
一条タイチ。
次に会う時は、俺様が勝つ。
それが、俺様の“約束の風”だ。
風が吹くたびに思い出す。
あの空、あの拳、あの言葉。
勝ち負けよりも先に、
俺様を野球に連れ出したのは――
あいつだったんだ。
だから次に吹く風では、
今度こそ、俺様が勝つ。