第21話 談話室の夜〜先輩たちと〜
一年前の雪辱を胸に、煌桜ナインはそれぞれの思いを抱えて夜を迎える。
かつての敗北、受け継いだ想い、そして未来への約束。
風は止まっているようで、確かに流れていた。
それぞれの心の中で、明日へ向かう“火”を運びながら。
ーーそして、オレたちは運命を分ける地区大会決勝を目前にしていた。
今日は休養日。メニューは軽め、いわゆる“調整”ってやつだ。
練習が終わったあと、夕食を終え、明日に備えて
早めに部屋へ戻る。
……はずだった。
「あ、しまった」
談話室に忘れ物をしたことを思い出す。
仕方なく廊下を引き返すと、ドアの隙間からほのかな灯り。
近づくにつれ、三人分の声が聞こえてきた。
ヒカル先輩、リュウジ先輩、ショート先輩。
チームの柱たちだ。
何かを話し込んでいるらしい。
けれど、空気がいつもと違う。
声をかけるタイミングを失ったオレは、思わず壁の影に身を潜めてしまった。
「去年は……本当に悔しかった。僕のリードがもっとしっかりしていれば――」
ヒカル先輩の低い声。
けれど、その言葉をリュウジ先輩の鋭い声が断ち切った。
「ヒカルは悪くねぇ。負けたのはエースの俺の責任だ」
短く、静かな一言。
その横顔はいつも通り冷静なのに、どこか痛みを抱えている。
「あと一人抑えれば勝てた。あの時、俺のスタミナが切れて……最後にサヨナラホームランを打たれた。あれは俺の負けだ」
監督から聞いた話を思い出す。
去年は投手が足りず、リュウジ先輩はほとんど一人で投げ抜いたという。
その重圧――想像するだけで胸が締めつけられた。
「俺だって守備でミスった。あれが失点のきっかけになったからな〜。いまだに夢に見るよ、あの場面」
普段は明るいショート先輩の声にも、微かな陰が差していた。
沈黙。
時間が止まったみたいに。
その空気を切り裂くように、ヒカル先輩が再び口を開く。
「でも今年は違う。僕たちはこの一年で強くなった。今度こそ雪辱を果たす!」
その真剣な声が胸に響いた――が、
同時にドン、と音を立ててしまった。
(しまった!)
近くの荷物に足をぶつけてしまったのだ。
「……誰かいるのか?」
ヒカル先輩が鋭く振り向く。
隠れ続ける選択肢は、もうなかった。
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「す、すみません! 勝手に話を聞いてしまって!」
思わず談話室に飛び込む。
三人の先輩は意外にも怒っていなかった。
むしろヒカル先輩は穏やかな笑みを浮かべ、
しかし瞳だけはキャッチャーのときと同じ、真っ直ぐな光を放っていた。
「タイチ君。自己紹介のときの言葉、覚えてる? “絶対優勝する”って宣言してたよね」
胸が熱くなる。
「もちろん覚えてます!」
ーー俺の言葉を覚えてくれていた。嬉しさで心が踊った。
「正直、あのときは“大胆な一年生だな”って思っただけだった。でも君は本当に背番号を勝ち取った」
ヒカル先輩は微笑み、そして少しだけ申し訳なさそうに目を伏せる。
「この前の試合、君に負担をかけてしまった。主将として謝るよ」
「いえ、オレも勝手に自負してたんです。
……実は、入学するまでちゃんとチームで野球したことなくて。ずっとじいちゃん相手か、一人で練習してたから」
本番の緊張、仲間の応援。
それを教えてくれたのは、このチームだった。
オレは話した。
「ユーリとヒロには感謝しかないです」
自然と、言葉がこぼれた。
試合後、あの二人には全力で謝ったのを思い出す。
「ごめん、二人とも」
「いいよぅ。でもーー」
ユーリは頬をふくらませて言った。
「次、あったらごはんもらうからね」
隣のヒロが笑いながら腕を組む。
「いや俺の方が先に言ったぞ。ごはん二杯な」
「えぇ!? そんなに!?」
笑い声がこぼれた次の瞬間、二人そろってオレの額ーー
パチン、と。
デコピン。
痛みよりも、胸の奥があったかくなった。
笑って、許してもらえた。
それだけで、どこまでも救われた気がした。
ヒカル先輩はホッとしたように息をつく。
たぶん、俺たちの仲を心配していたのだろう。
「そういえば、お前、一度部屋に戻ったのに何でまた来た?」
リュウジ先輩の問いにハッとする。
そうだ、忘れ物を取りに来たんだった。
「これ、じいちゃんの忘れ形見なんです」
オレは大切に持ってきた“虎の巻”を見せた。
憧れの祖父が野球選手だったこと。
その背中を追って野球を始めたこと――初めて語る話に、先輩たちの表情がやわらぐ。
「なるほど、タイチ君の強さの秘密はそれか〜」
ショート先輩が笑い、ヒカル先輩も頷く。
「君が入ってから練習メニューも変わった。監督はその本を参考にしてたんだね」
リュウジ先輩が真剣な眼差しで問いかける。
「だが、次に戦うチームこれまでとは別格だ。覚悟はできてるか?」
その視線を真正面から受け止め、オレは笑った。
「もちろん。むしろワクワクしてます! 優勝以外にも、俺には目標があるんです!」
三人が驚いたようにこちらを見る。
胸の奥が熱く燃える。
「全国大会――甲子園で戦いたい相手がいる。そう約束したんです!」
練習試合でのライバル、レン。
“今度はチームとして勝つ”――あの言葉を思い出す。
「言うじゃないか〜、タイチ君。楽しみが増えたね、リュウジ」
ヒカル先輩が声を上げて笑う。
ショート先輩も頷き、リュウジ先輩は力強く拳を握った。
「いいだろ。なら――やってやろうじゃねぇか」
「そうだね。次の試合が、本当に楽しみだ」
重かった空気はいつしか消え、談話室には穏やかな熱が広がっていた。
夜風が窓を叩く。カーテンが、まるでグラウンドの旗みたいに揺れる。
消灯前、オレたちはそれぞれの部屋へと戻る。
胸の奥には、確かな“炎”が灯っていた。
心はただ――次の試合への期待で、静かに、熱く燃えていた。
静かな夜に、確かに吹いた風があった。
悔しさも、誇りも、過去の傷もーーすべてを抱えて、彼らはまた一歩前へ進む。
それは、“負けたままでは終われない”という、野球を愛する者たちの魂の鼓動。




