第19話 チームの風 いよいよ……
風を掴む覚悟が試される季節が来た。
監督の言葉、仲間の背中。
これは、風を背負った者たちの物語。
ーーもうすぐ、夏の大会が近づいてくる。
ユーリは連携力が格段に上がり、ショート先輩と最強の二遊間を築きつつある。
談話室で「兄の影響で年上の同性が少し苦手」って言ってたのに。
その笑顔がグラウンドで見られるようになったことが、何より嬉しかった。
ヒロも負けていない。
リュウジ先輩や上級生たちの打撃を吸収して、バットのキレは一段と鋭くなった。
以前よりずっと仲間との距離が近くなり、今ではチームのムードを支える存在だ。
オレたち三人の関係も、少しずつ変わっていた。
ただの同級生じゃなく、“背中を預けられる仲間”へ。
そしてーーその積み重ねの成果が、確かに形となって現れた。
紅白戦、練習試合、合同練習。
試合を重ねるたびに、体が、心が、チーム全体がひとつになっていくのを感じた。
ついに、その日が来た。
正式なユニフォームを手渡された瞬間、胸の奥が一気に熱を帯びた。
桜色に近いーーいや、淡い薄紫。
胸元には堂々と“煌桜”の二文字。
光を受けて、まるで風そのものが布になったように揺らめいていた。
手の中の生地が、少しだけ震えて見えた。
(これが……俺のユニフォーム……)
その瞬間、全身の力がふっと抜けていく。
喜びとか、興奮とか、そういう言葉じゃ足りない。
ただ、胸の奥から熱が込み上げてきた。
気づけば、笑っていた。
自分でも驚くほど、自然に。
「嬉しい……やった……!」
口の中で、誰にも聞こえないくらい小さくつぶやく。
喉が詰まって、それ以上言葉にならなかった。
鏡に映る自分の姿を見た。
まだ線は細い。筋肉も足りない。
でもーー確かに“選手”の顔をしていた。
焦って投げた球、諦めそうになった夜。
その全部が、この一枚の布に刻まれている気がした。
手のひら越しに感じる温もりが、鼓動と重なって跳ねる。
「……ありがとうございます」
監督がこちらを見て、ほんの少し口角を上げた。
それだけで、胸がいっぱいになった。
部屋に戻ると、ユニフォームを壁にかけた。
照明に照らされたその姿は、まるで小さな旗のように揺れていた。
“これが俺の戦う証”――じいちゃんにも、見せたかったな……。
少し風が吹いた。
窓際で揺れるユニフォームの裾が、まるで言っているように見えた。
ーー気を引き締めろよ、まだ始まったばかりだ。
その言葉を聞いた気がして、オレは小さく頷いた。
「五回勝てば、甲子園か」
チームメイトのひとりが言った。
「五回? 余裕だろ」
笑い混じりの軽口。
その瞬間ーー空気がバシッと切り裂かれた。
「楽勝? そんなわけあるか」
監督の声だった。
鋭い視線に、全員の背筋が伸びる。
「学校が減ったからって簡単に勝てると思うな。
残っているのは強豪ばかりだ。一度でも気を抜けば終わりだ」
その言葉に、誰もが黙り込む。
夕風が一瞬、止まった気がした。
監督は昔の話をしてくれた。
東京が東西に分かれていた時代。
各地区百校以上、甲子園へ行くには八連勝が必要だった。
仲間が次々と倒れていっても、誰も諦めなかったーーと。
「今は東西が合併して、参加校は半分になった。
だが、その分だけ密度は濃くなっている」
監督はゆっくりと空を見上げた。
そして、少し遠い声で続けた。
「……野球が衰退した今でも、“地区大会”や“甲子園”は残っている。
昔ほどの盛り上がりじゃないが、有志たちが支えているんだ。
それでも、まだ“野球”を信じている人間がいる。
お前たちも、その風の中にいるんだよ」
その言葉が、夕焼けよりも深く胸に響いた。
静まり返ったグラウンドに、風がひと筋吹き抜けていく。
ワクワクしていた気持ちが、緊張に変わりーーそれが“覚悟”へと変わっていった。
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ーーそして、運命の背番号発表。
名前がひとつ、またひとつ読み上げられていく。
オレの心臓は、まるで拳で掴まれたように脈を打っていた。
「4番、セカンド――九品寺」
「5番、ファースト――三輪」
九番まで呼ばれても、オレの名は出てこない。
手のひらがじっとりと濡れ、呼吸が浅くなる。
「10番――一条」
ーーその瞬間、世界の音が変わった。
監督が差し出す背番号。
四角い布切れが、まるで宝石みたいに光って見えた。
指先が震えた。
声にならない「ありがとうございます」が、唇の奥でこぼれた。
胸に刻まれた“10”の数字
ーーこの番号を背負って戦うんだ
そう思うと気が引き締まる
「今回呼ばれなかった者も、これで終わりじゃない。
全国大会へ出れば、まだチャンスはある。
諦めるな。ベンチの外からでも、風を起こせ」
監督の言葉に、選ばれなかった仲間の目が輝きを取り戻した。
その瞬間、チーム全体がひとつの呼吸になった気がした。
ーーそうだ。
この背番号は、仲間の想いごと背負っている。
(絶対に勝つ。あの風を、もう一度吹かせてみせる)
そして、地区大会が幕を開けた。
初戦の相手は、実倉商業。
緊張が体を締めつけたが、ヒロの初球打ちが空気を一変させた。
上位打線が連打を重ね、リュウジ先輩の完封でコールド勝ち。
二回戦は、昨年ベスト8の藤花学院。
打撃戦の末、ユーリの守備とリュウジ先輩の一発で勝利。
それぞれが自分の役割を果たし、“勝てるチーム”へと変わっていった。
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「よしっ、今度勝ったらーーおやつ倍増ってことで!」
ヒロが笑いながら言った。
「ははっ、お前な……」
リュウジ先輩が呆れ顔で返す。
でもその笑顔はどこか優しい。
ショート先輩がそれに便乗してユーリの肩を叩いた。
「さすがだよ、ユーリ君。あの虎の巻のおかげだね〜♡」
「ちょ、ちょっと! ボクの実力ですよ!」
「はいはい、そういうことにしとこうか〜」
そんな軽口が飛び交う。
風のように、やわらかくて温かい時間だった。
> 「背番号」は、ただの数字じゃない。
仲間の想いごと背負う“風の証”。
タイチはまだ知らない。
この背番号が、次の戦い朱雀高校戦で
“止まった風”を再び吹かせる鍵になることを。




