番外編 それぞれの日常
第一話:一条タイチの日常
ーー寮暮らしって、こんなに楽しいものだったんだな。
物心ついた頃には両親はいなくて、じいちゃんと二人きりの生活。
監督の家にお世話になってた時期もあったけど、あの頃は勉強と野球漬けで、息つくヒマなんてなかった。
だから今、同級生と同じ釜の飯を食べながら笑っていられるのが、なんだか夢みたいに嬉しい。
「おかわり、三杯目!」
どーん、と丼を掲げる三輪。その勢い、まるで豪快な花火。
いやいや、三輪、オレの倍は食ってるだろ……。あの体格は伊達じゃない。
食堂のテーブルでは、今日も大事な(?)論争が繰り広げられていた。
「目玉焼きにはやっぱ醤油だろ」
「いや、ソース一択ですよぅ!!」
ユーリとリュウジ先輩が、真剣そのものの顔でにらみ合っている。
「何もかけない派」
ぽろっと答えたら、二人が同時に「はぁ!?」って振り向いた。
ふふ、こんな何気ない時間が、たまらなく好きだ。
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第二話:九品寺優里の過去
ボクの日常には、いつだって野球があった。
グラブの革が鳴る音。金属バットに乗った打球音。
幼い頃の世界はそれだけで満たされていた。
だけど、小学校に上がったある日、ふと耳に残った声がある。
「野球なんて、誰もやってないよ。それより新しいゲームしようぜ」
友達の言葉は、硬式球よりも重く胸に落ちた。
“みんなが当たり前にやっている”と思っていた野球が、
ボクの世界の外では特別なんかじゃなかった。
家族にゲームが欲しいと言っても、誰も聞いてくれない。
その頃には、家族全員の視線は兄にだけ注がれていたからだ。
才能あふれる兄は家の誇りで、ボクはその影に埋もれる存在。
中学三年。進路を決める時期、父から告げられた言葉は一層重い。
「九品寺の名に恥じぬよう、最低限、野球ができる学校を選べ」
ーーだから、ボクは寮のある「煌桜学園」を選んだ。
野球は相変わらずキツい。けれど、チームメイトと笑い合える今は、
少しだけ自由に呼吸ができる。
……最近、二年のショート先輩の視線をよく感じる。兄の影を思い出すようで、少しだけ怖い。
だけど、心のどこかがーーざわめいている。
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第三話:三輪道広の内心
ーー俺の名前を、誰も覚えていない。
口数が少ないせいか、それとも、この身体のせいか。
ハーフで、同級生より頭ひとつ分は大きい。
ただそれだけで、距離を置かれる理由には十分だった。
けれど、体育の時間だけは違った。
走ればいつも一番。ドッジボールでは「三輪、ナイス!」と声が飛ぶ。
その瞬間だけ、皆の視線が俺を捉える。
ーーでも、そこに俺自身はいない。
彼らが見ているのは、運動神経という“記号”だけ。
「三輪って下の名前、何だっけ?」
そんな言葉を、笑いながら耳にした日のことを、まだ忘れられない。
高校では、名前で呼ばれたい。
ただそれだけが、今の俺のささやかな願いだ。
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第四話:天王寺光琉の小話
小学校からの幼なじみがいる。ーー土門龍二。僕はリュウと呼ぶ。
昔の僕は身体が弱く、学校を休みがちだった。
登校しても、教室のざわめきがガラス越しの世界のように遠かった。
そんな時、必ず僕の家に来るのがリュウだった。
他愛もない話ばかり。けれど、あの頃の僕にとっては唯一の救いだった。
やがて体は丈夫になり、僕らは野球仲間になった。
寮に戻った夜。自分の部屋のドアを開けた瞬間、息が止まった。
ベッドの上に散らばる菓子袋、濡れた足跡。
窓は閉まっている。鍵もかかっていた。
リュウだ。そう思った。
いつもの悪戯。……だが、胸の奥が妙にざわついた。
なぜ、足跡は僕のベッドの上で終わっている?
掃除道具を手に、僕はリュウの部屋へ向かった。
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第五話:土門龍二の後悔
ーーヒカルが来る。
小テストの結果が最悪だった。机の上に赤点の答案が散らばる。
それよりもまずいのは、あの部屋だ。
さっきヒカルの部屋で菓子を食べ、片付けを忘れた。
笑顔で怒るヒカル。あれは怖い。ただ怒鳴るよりも、ずっと。
ドアを叩く音がした。……おかしい。
ヒカルのノックは、こんなに重くなかったはずだ。
心臓が凍りつく。ドアノブがゆっくり回る。
「……リュウ」
ーー耳元で、囁き声。
その声は、部屋の中から聞こえた。
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第六話:水城聖斗の執着
俺は、野球はただ楽しくやりたいだけだった。
勝ち負けよりも、仲間と白球を追いかけるーーそれだけで胸が躍った。
……少なくとも、あの日までは。
ユーリ君に出会った瞬間、世界が一気に塗り替えられた。
初めて見たその瞳に、なぜだか心を撃ち抜かれて
ーー欲しい、と心の奥で叫んでいた。
あの勝負で勝った時、胸に広がったのは安堵だった。
これでまた、もっと近づける。
いや、それ以上に……これからが始まりだ。
ユーリ君の笑顔、声、動き。すべてが焼き付いて離れない。
……まだ距離はぎこちない。けれど、いい。
焦る必要なんてない。
だって俺の時間は、もう彼を中心に回っているのだから。