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「◎すいたい」衰退しちゃった高校野球。堕ちた名門野球部を甲子園まで  作者: 末次 緋夏
タイチ始まりの章

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️第2話 活(かつ)をくれる人

門の前で、オレは立ち尽くしていた。

古びた表札には「源」の文字。

けれど、チャイムを押す勇気が出ない。


ポケットの中で、くしゃくしゃになった名刺を握りしめる。

『煌桜学園 野球部監督 源 頼和』


胸の鼓動がうるさい。

“来るべきじゃなかったかも”という弱気が、風といっしょに頭をかすめた。


見上げれば、どの家も塀が高く、庭木は丁寧に刈り込まれている。

門扉は重たそうな鉄製で、車道にはピカピカの輸入車が並んでいた。

まるで、ここだけ別世界みたいだ。


(高級住宅街、か)


自分の履いてきた、かかとのすり減ったスニーカーが妙に場違いに見える。

舗装された道を踏むたび、靴底の音がカン、と乾いて響いた。


門の前を何度も行ったり来たりして、ようやく決意する。


(……行け)


背中をなでる風が、押してくれた気がした。

オレは深呼吸をして、そっと門をくぐった。




ーー数日前

 

 じいちゃんの葬式が終わってから、家の中はずっと静まり返っていた。

ちゃぶ台の上には、じいちゃんの好きだった煎餅の袋がひとつ。

「この塩加減が絶妙なんだ」って笑っていた顔が浮かぶ。

けれど中身は、もうしけっていた。


その音のない世界で、オレはひとりで投げ続けていた。練習場所にしていたのは近所の公園だ。

壁にボールをぶつけるたび、パンッ、パンッと乾いた音が響く。

その音が、オレの“生きている証”みたいに思えた。


だけど、現実はそんなに甘くなかった。


 

「君! 危ないからやめなさい!」


背後から鋭い声が飛ぶ。

振り向くと、腕を組んだ親子連れが立っていた。


「ほら、貼ってあるでしょ。“危険行為禁止”。子どもが通るんだから」


「す、すみません!」


帽子を外し、何度も頭を下げる。

それでも、オレは公園を「追い出された」。


たったそれだけのことなのに、胸の奥がズンと沈む。

野球って、そんなに迷惑なことなのか。

投げる場所も、野球の話をできる相手も、どこにもない。家に帰っても、相変わらず部屋は静まり返っている。



 公園から帰宅して昼ご飯の準備をしていると、突然ピンポーンとチャイムが鳴った。

玄関を開けると、スーツ姿の女性が立っていた。

差し出された名刺には、“児童相談所”の文字。


「一条くん。もう一人では暮らせません。

 安全のため、しばらく大人のいる場所で暮らしてほしいの」


「嫌だ!」


思わず叫んでいた。


「ここは、じいちゃんと暮らした家なんです!

 ここを出たら、全部なくなっちゃう!」


言葉にならない想いが喉につかえ、そのまま玄関を飛び出す。

冷たい風が頬を叩いた。

けれど、こぼれた涙のほうがずっと熱かった。


 

 それからの数日、オレは昼間の家にいるのが怖くなった。またあの人が来て、「施設」や「里親」の話をされるかもしれない。

そう思うだけで、胸の奥がぎゅっと縮む。


だから、昼間は公園で時間をつぶしてた。ベンチに座ってコンビニのおにぎりをかじり、ただボーッと空を見上げる。

ボールを投げることさえ、ためらうようになった。

また怒られたら、今度こそ本当に行き場がなくなる気がしたからだ。


 

「……何してんだろ、オレ」


中学二年、十四歳。

他のやつらは部活だのテストだので騒いでる時間に、オレは平日の昼間から、公園でひとり座っている。


風が落ち葉を転がしていく。

サッカーゴールだけが置かれたグラウンドで、小さな子どもたちがボールを蹴っていた。

親たちの笑い声が、遠くでちらちらと揺れる。


(いいなぁ。どうしてオレには、もう誰もいないんだろう)


じいちゃんの言葉が、風の向こうから聞こえてくる気がした。

『諦めるな。風は必ず吹く』。

でも、その風はもうオレには吹かない。そんな気がしてしまう。


 

その日も、オレはベンチで『虎の巻』を開いていた。

字を追っても内容が頭に入ってこない。

ただ、ページをめくる音だけが、やけに大きく耳に残る。


ーーそのときだ。


ぱさり。


ページのあいだから、一枚の紙切れがひらりと落ちた。


「……なにこれ?」


拾い上げると、そこには一人の名前が印字されていた。

みなもと 頼和よりかず』。

肩書には、『煌桜学園 野球部監督』。


裏には、じいちゃんの字で短いメッセージ。

『コイツなら、きっとお前に活をくれる』。


紙の上の文字は、ところどころ震えていた。

最期の力で書いた印のように見える。


「活を、くれる……?」


意味なんて分からない。

でも、名刺を持つ手がかすかに震えた。


もう誰にも頼れないオレに、そんな人が本当にいるんだろうか。

それでも、この名刺が、最後の糸みたいに思えた。


◆ そして、現在 ◆


 

「本当に、ここで合ってるのか……」


白い塀と鉄の門。

広い庭には剪定された松。

並木道を秋の風が吹き抜け、夕陽が石畳を赤く染めている。


インターホンの前で、何度も手を伸ばしては引っ込めた。

結局、門の前で三十分。

伸ばした指は、三度も空を切った。


でもーーもう戻る場所なんてない。


オレは意を決して、ボタンを押した。


 

「はーい、どちら様でしょうか?」


やわらかな女性の声が、スピーカーから響く。


「あっ、その……一条タイチです! 一条大虎の孫で!」


「まぁ! 少々お待ちくださいね」


数分の静寂のあと、重たい門がギィと音を立てて開いた。


現れたのは、六十代ほどの大柄な男性。

短く刈られた髪、鋭い目。

立っているだけで、“監督”と分かるような雰囲気だった。


「お前が……一条か」


「は、はいっ!」


「帰れ」


「えっ!?」


「アイツの孫に会う気はない。以上だ」


冷たく言い放つ声に、心臓が跳ねた。

それでも、脚は地面に貼りついたみたいに動かなかった。


「ま、待ってください!」


気づけば、喉が勝手に叫んでいた。

胸の奥から突き上げる声だった。


「オレ……じいちゃんの夢、叶えたいんです!」


その言葉に、男ーー源頼和の眉がわずかに動く。


「……夢?」


「はい! “諦めるな。風は必ず吹く”って。

 オレ、どうしても諦めたくないんです!」


必死だった。

自分でも何を言っているのか、うまく整理できていない。

それでも、口は止まらない。


長い沈黙のあと、源さんは腕を組み、ふぅとため息をついた。


「……まったく。あの頑固ジジイの血は、濃すぎるな」


それから、ふっと口元をゆるめる。


「中に入れ。茶くらい出してやる」


 

オレは家の中に案内された。

湯気の立つ湯呑みを前にしても、心臓の鼓動は落ち着かなかった。

源さんは、静かな目でオレを見つめる。


「……お前、野球を続けたいのか」


「……はい」


「理由は?」


問いかけられ、オレは言葉を探した。

胸の奥で、何かがつっかえている。


“好きだからです”と言えば簡単だ。

でも今、その一言を口にするのが怖かった。


じいちゃんも、源さんも、現実を知っている。

時代が変わって、野球が“過去のもの”みたいに扱われていることも。


それでも。


(それでも、野球が好きだ)


誰に笑われてもいい。

グラウンドの匂いを思い出すだけで、胸が熱くなる。


源さんは、そんなオレの顔をじっと見ていた。

やがて小さく息を吐き、遠い目をする。


「好きだけじゃ、続かねぇこともあるんだよ。……あの頃と今は、違う」


低く落ちた声には、諭すような優しさがにじんでいた。


「タイチ。お前、今の世の中で“野球”がどう見られてるか知ってるか?」


「え……?」


「不祥事に、離れていく支援者。野球は『憧れ』じゃなくなった。

 ーーだからボールを持つ子どもは減った」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がチクリと痛む。


(公園で注意されたときも、同じだった)


あの視線は、憧れなんかじゃなかった。

まるで、オレが悪いことでもしているみたいだった。


「それでも、オレはやりたい……」


気づけば、声が震えていた。


「じいちゃんが言ってました。

 “野球は、人を信じるためのスポーツだ”って」


でも、最後に聞いたじいちゃんの言葉は、逆だった。

(もう風は吹かねぇ)


違うって、証明したい。


 

源さんの瞳が、かすかに揺れた。

しばらくの沈黙のあと、彼は立ち上がり、背を向けたまま言う。


「……うちの学校に来い、タイチ」


「えっ……?」


「俺が監督をしている。寮もある。金の心配はいらん。

 ただし――絶対に合格しろ。逃げ道はねぇぞ。

 それまで、うちにいろ。飯くらいは出してやる」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわり熱くなる。

心のどこかで張り詰めていた糸が、ぷつんと切れそうだった。


頼る人なんていないと思っていた。

ずっと自分の無力さばかり噛みしめてきた。

だけど今、初めて「居場所」ができた気がした。


(……あったかい)


喉の奥がつまって、言葉がうまく出てこない。

目の奥がじんわりとにじむ。

泣くな、と自分に言い聞かせても、涙は勝手にこぼれそうになった。


そんなオレを見て、源さんはぶっきらぼうに言う。


「礼なんか言うな、馬鹿!俺の指導は甘くないぞ」


その言葉が、なぜかやさしく聞こえた。


オレはうなずき、力いっぱい声を張る。


「はい。やります! 絶対に受かってみせます!」


 

部屋を出ようとしたとき、背中に声が飛んだ。


「お前が来るなら……もう一度、グラウンドに風が吹くかもしれんな」


その言葉に、胸がまた熱くなる。


オレは振り返らずに答えた。


「――はい!」


 

その日の夕方、直ぐ源さんと一緒に荷物をまとめに家へ戻った。

カギを開けると、ひんやりした空気がまとわりついてくる。ちゃぶ台も湯飲みの輪染みも、全部あの日のままだ。


源さんは何も言わずに背中を押してくれた。

オレはリュックに最低限の荷物を詰め込み、「虎の巻」を一番上に乗せる。


居間に戻ると、源さんは電話で何やら話をしていた。


「……はい、児童相談所の〇〇さんですね。

 一条タイチ君の件ですが、こちらで預かります。

 私が保護者代わりになりますので」


難しい話を、全部この人が引き受けてくれていた。


「手続きのことは心配するな。お前は勉強と野球だけ考えてろ」


「……ありがとうございます」


深く頭を下げると、源さんは少し照れくさそうに笑った。


「礼は、甲子園で聞かせろ。行く気、あるんだろ?」


「もちろんです!」


玄関を出る前、靴を履きながら振り返る。

薄暗い廊下の奥に、じいちゃんの笑い声がまだ残っている気がした。


(行ってくるよ、じいちゃん)


心の中でそうつぶやいて、オレはドアを閉めた。


 その夜。


久しぶりに温かい風呂に浸かった。

湯気が立ち上るたび、冷えきっていた体と心がほぐれていく。


「……じいちゃん、風、吹いてるよ」


湯船の中で、そっとつぶやく。

天井の明かりがぼんやり揺れ、にじんだ星みたいに見えた。


風呂から上がると、食卓には味噌汁と焼き魚。

湯気の向こうで、源さんの奥さんがやわらかく笑っている。


「たくさん食べなさいね。いっぱい用意したから」


「……はい」


一口食べた瞬間、胸がきゅっと詰まった。

あったかい味。

「ご飯って、こんなに優しかったんだ」と思った。


 


その夜、布団に横になる。

ふかふかの掛け布団が体を包み、まるで誰かに抱かれているみたいに暖かい。


天井の木目を見つめながら、ゆっくりと目を閉じた。


ふと、夢とうつつのあいだで、源さんの言葉がよみがえる。


(お前が来るなら……もう一度、グラウンドに風が吹くかもしれんな)


そして、昼間、公園で浴びたあの冷たい視線が頭をよぎる。


(違う)


布団の中で、拳を強く握りしめた。

この温かさ、この居場所をくれた野球を、誰にも「古い」なんて言わせない。


じいちゃんが遺した『虎の巻』には、こう書かれている。

ーー「野球は、人を信じるためのスポーツだ」


(オレは、じいちゃんが信じた野球を、もう一度みんなに信じてもらう)


視線の先で、机の端に置きっぱなしの名刺が目に入る。

「煌桜学園 野球部監督」


『コイツなら、きっとお前に活をくれる』


“活”をくれるーーその言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。


名刺をそっと握りしめ、オレは目を閉じる。


(受かって、強くなって、この学校で野球をするんだ)




源さんがあきらめ、じいちゃんが信じ続けた“風”を、

オレがこのグラウンドにもう一度吹かせる。


頬を伝う涙は、もう冷たくなかった。

胸の奥で、何かが再び燃え上がる。


忘れかけていた“野球への情熱”が、

静かに息を吹き返していた。


それは、始まりの合図みたいに熱かった





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― 新着の感想 ―
ゲームが主流の世界、興味深い設定ですね。『風を信じる』っていう表現の仕方もかっこよくて、なんか良い...!
現代社会で当たり前にあるスポーツの一種。野球が衰退したとしたら。 それを題材としているのがとても興味深い方向だと思いました。 逆境から立ち向かう主人公と心の内にある祖父との記憶。 厳しくも優しい人々に…
青春なだけあって切ないですね。 説明的文章で、情景を表現できてるのは やはり素晴らしいです
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