第8話 紅白戦 ②
紅白戦の直前。
一年生チームにキャッチャーがいないという緊急事態。
空気が張り詰める中、主将・天王寺ヒカルが一歩を踏み出す――。
ーー話は少し前に遡る
ヒカル先輩が歩み寄ってきた瞬間、
グラウンドの空気がピリッと張り詰めた。
「わかった。僕が捕るよ」
たった一言。
それだけで、全員の動きが止まった。
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真っ先に声を荒げたのは、エースのリュウジ先輩だった。
「おい、ヒカル! いくら紅白戦でも、俺は認めねぇぞ!」
「お前は俺のキャッチャーだろ!」
低く、鋭い声。
それは怒りというより、“信頼を奪われた寂しさ”に近い音だった。
ヒカル先輩は、そんなリュウジ先輩をまっすぐ見つめ、静かに言った。
「仕方ないだろ、リュウ。ポジションがいないんだ。
主将の僕が捕るのが一番公平さ」
静かな言葉。けれど、誰よりも強い。
そこへ、軽やかな声が風を割るように響いた。
「まぁまぁ〜、二人とも落ち着いて〜。紅白戦だよ? 楽しくやろうよ〜」
軽く笑いながら、指先で髪をくるくる回すショート先輩。
まるで嵐の中に差し込む一筋の春風みたいだった。
「見てみなよ。周り、完全に凍ってるじゃん。
そんな怖い顔してたら……モテないよ〜?」
場の空気が、ほんの一瞬ゆるむ。
その直後ーー
「モテないは余計だ、ショート」
リュウジ先輩がすかさずツッコミを入れる。
その声には、怒気よりも照れくささが混ざっていた。
ショート先輩は肩をすくめ、にやりと笑う。
「図星?」
「うるせぇ」
短いやり取りに、チームの何人かが思わず吹き出した。
それを見て、ヒカル先輩がふっと微笑む。
「ありがとう、ショート」
「え、俺? えへへ〜、ま、これもチームの空気作りだから♡」
ヒカル先輩は一歩前に出て、オレの前に立つ。
近くで見ると、背筋の伸びたその姿から目が離せなかった。
優しさと強さ、その両方が一緒に見える人だった。
「そういう訳だから、よろしく頼むよ、タイチ君」
差し出された手。
握った瞬間、掌の奥で“ドクン”と音がした。
(……ああ、この人が“主将”なんだ)
心臓が跳ねる。
胸の中で、何かが確かに動き出した気がした。
その様子を見つめるリュウジ先輩の目には、
まだ小さな火花が残っていた。
(この人たちの野球には、魂がある……)
オレは静かに拳を握る。
指先に力がこもる。
そしてーー紅白戦の幕が、上がった。
怒号と笑いのあいだにある“信頼の温度”。
リュウジ、ヒカル、ショート。
それぞれが違う形でチームを支え、ぶつかり合い、
その中心にタイチが立つ。
火花が散ったあとに、風が吹く。