カイロを貸してって言える関係
「ねぇ、カイロ貸してよ。」
透き通るような冬の朝、教室の自分の席に座っていると明るく鈴のような声がした。高校生になって、少し声は低くなったようだが、まだ持ち前の綺麗に透き通った声で冬によく似合う人だと改めて思った。
「僕だってね、寒いんだよ?」
「いいじゃん。私、カイロ忘れちゃった。」
かわいい顔しても無駄だ。とは、思いながら体は正直なようで、
「もう、仕方ないね。また、返してよ?」
「あはっ、ありがとう!」
彼女とはもう幼稚園からの付き合いだ。とは言っても、家が隣同士だったりするわけでも、将来を誓い合った仲というわけでもない。ほどほどの関係。そう、言うなればカイロを貸してって言える関係だ。しかし、こうして話しかけられると少し男子からは厳しい目線を向けられる。善良な陰キャ市民の僕にそんな熱い目線を向けても何も出はしないのだが…。
まぁ、彼女の容姿が原因ではある。厳しく言って、美人だ。本当にそう思う。幼稚園の頃から僕の母もそうだし、先生や友達にかわいいだとか、そういう類のことを言っているのを聞いたのは数えきれない。
「なんか、もう冷たくなってきちゃったんだけど!」
「いや、僕に言われてもね?今日は寒いから仕方ないよ。」
「もー、これ返す。」
返された、冷たくなってしまった僕のカイロを不機嫌そうに僕に投げ返して、
「温めといて。また、貸してもらいに来るから!」
「えー。」
温めといてって言われてもなぁ。だが、言われたのなら仕方ないので、ポケットに入れておく。すると、近くの席の男子が、
「そのカイロ売ってくれないか!!」
「え…。ど、どういうこと?」
「だ・か・ら!あの子が握りしめていたカイロを売ってくれないかって言ってるんだ。」
「いや、え?」
ちょっと何言ってるかわかんなかった。
「5000までなら出せる。」
「いや、だから…。」
「わかった、7000だ。これ以上はだせん!」
なんか、勝手に話が進んでいる…。いけない、いけない、彼を止めなきゃ。
「ちょ、ちょっと待って。」
「お前…。わかった。10000だ。これ以上は流石に…。生活できねぇ。このお金だって、お母さんが夜中までパートしてもらってるお金なんだ。」
いや、そんな大切なお金使うなよ。
「お父さんが病気で働けなくなって…。でも、お母さんがお前の生活は不自由ないようにって渡してくれているお金なんだ。」
「え、えっと大変だね…。」
ただの陰キャ高校生には重いよ…。なんていえばいいか分かんないだろ。
「だからさ、わかるよな?それくらいの覚悟を持って言っているんだ。お前にも損ないだろ?」
「いや、ご、ごめん。渡せないし、そんな大切なお金もらえないよ。」
「そ、そうか。わ、悪かったな。こんな話聞かせちまって。」
幼馴染の美しさが他人の身を滅ぼしそうになっているのを実際に確認して、恐怖に震えた。美しいって罪なんだなぁ。そんなこんなで、ポケットのカイロも元々の温かみを取り戻していた。そのことを察したのか、感づいたのか、
「そろそろ、温まった?ねっ、貸して!」
「うん。」
「ありがとっ。」
うん。僕もその笑顔に10000くらいは出せるかも。なんて、さっきの男子の言っていたことに深く共感した。まるで、白い椿のような冬に咲く大輪の華のような美しい笑顔に見とれた。こんな子と付き合えたら幸せなんだろうと思った。でも、僕はこの関係に満足している。十分すぎると思う。
カイロを貸してって彼女が僕に言える関係、それでいいのだ。