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肉食女子ツムギちゃん

作者: 守山もりお

 「ありがとう、マコちゃん。大好きだよ。ねえ、ムギュってして」

 僕はお腹の赤ちゃんを圧迫しないように、彼女の肩のあたりを抱き締めてキスをしたんだ。すると急に鼻へ抜ける刺激臭を感じて、手足の力が抜けて、僕はその場に崩れ落ちたんだ。そしたら、ツムギちゃんの全身が特撮みたいに変化したんだ。その姿を見て僕は、彼女と暮らした夢のような一年は、全部この日への布石だったって気付いたんだ。


「ねぇ、彼氏ぃ、一緒にごはん行こうよぉ」

 振り向いたら、ただでさえ大きな目をぱっちりメイクでさらに大きくした、半端ない目ヂカラのギャルだ。マジ苦手なタイプだ。メリハリのあるボディーラインに張り付いた黒いチューブトップから見える白い胸の谷間を隠すようにストレートの黒髪と大きな金ピカのアクセサリーが揺れている。ブランド品のバッグで隠れるぐらい短いスカートからは、筋肉質でムチムチの太ももが露出している。

 えっ? 逆ナン? 僕は初めての経験に焦ったけど、どうせ勧誘か客引きなんだろ。僕が陰キャで押しに弱そうだから声を掛けたんだろって強く言ったら、

「そんなんじゃないよぉ。お兄さん超絶優しそうだし、あたしの好みのど真ん中なんだ。割り勘でいいし、ファミレスでもいいからお話ししようよぉ」

 って、悲しそうな表情で言うんだ。あとから怖いおにいさんが出てくるのはゴメンだから、僕はさっさと立ち去ろうとしたんだけど、彼女は涙目になって、

「行かないでよぉ」

 って僕の腕を引っ張るんだ。ここで泣かれても、非モテの王道を歩んできた僕に対処できるはずもなく、周囲の好奇の目に晒されるのがオチなので、とりあえずファミレスに入ったんだ。

 そしたら彼女は僕の目を見て楽しそうに話し始めたんだ。彼女はツムギちゃんって名前で、この刺激的な服を扱うアパレルのパート販売員で、養護施設で育ったってことまで目をキラキラさせて、とっても明るく話してくれるし、話すのが苦手な僕の話を頷きながらちゃんと聞いてくれるから、僕は居心地がよくなって、とても楽しい時間を過ごしたんだ。互いのことをツムギちゃん、マコちゃんって呼ぶようになり、また逢う約束をして店を出て、じゃあまたねって、僕が歩き出すと、後ろからツムギちゃんの明るい声が聞こえたんだ。

「ねえ、マコちゃん。エッチしよ」

 大きな声だから焦ったよ。彼女は美人局で、やっぱり怖い人が出てくるんじゃないかってとまどってたら、彼女はみるみる泣きそうな表情になって、

「マコちゃん、あたしのこと、誰とでも寝る軽いオンナだと思ってんでしょ。あたしは肉食だけど雑食じゃないんだよ。もうマコちゃんのことが大好きで、もっともっとムギュってしたいんだよ」

 って抱き付いてきたんだ。僕はもう舞い上がっちゃって、それに彼女のカラダは柔らかくて温かくって、とても心地よかったし、結局、そのまま手をつないでアパートへ帰ったんだ。

 彼女は化粧を落としても目鼻立ちがはっきりした美人で、アクセサリーをはずして、僕のジャージに着替えると、流し台に溜まっている食器を手際よく洗って片付けて、部屋中を掃除してくれた。

 ベッドに入って抱き合うと、ツムギちゃんは僕の目をじっと見つめて、

「マコちゃん、あたし、痛いことはイヤなの。痛いことだけは絶対にしないって約束してくれる? あたしも絶対にマコちゃんに痛いことしないから」

 って言ったんだ。僕はそんなことするつもりもないから、もちろんだよって約束して指切りをした。

 そして僕たちは出逢って三時間で結ばれたんだ。


 ふたりで過ごす時間は笑顔が絶えなくて、普通に生きてるだけでこんなに楽しいんだって実感できたんだ。ときどき目ヂカラの圧が強すぎて怖くなるときもあったけど、僕にとって彼女のいない生活は考えられなくなり、二週間後には同棲を始め、一か月めの記念日には入籍した。

 僕は家電量販店の契約社員で、奨学金のローンを抱えて貯金もないし、ふたりの収入を合わせても生活は苦しくって、旅行に行く余裕もなかったけど、僕たちだったら何とかなるだろうって根拠のない自信があったんだ。

 ツムギちゃんのおかげで運気が向上したのか、僕は来年度から正社員へ採用替になることが決まった。さらに嬉しいことにツムギちゃんが妊娠した。僕は来年、パパになり社員になる。僕にも守るべき家族ができるんだってと思うとやる気が出たし、子どもを抱っこして家族で公園で遊ぶ姿を想像したら仕事もすごく頑張れた。ツムギちゃんのお腹は日に日に大きくなり、僕が呼びかける声に反応して赤ちゃんが動いたときなんか、ほんとに幸せだなって実感できて、ずっとこんな生活が続けばいいなって心からそう思えたんだ。


 でも、その直後、あの感染症が襲来したんだ。不要不急の外出が禁止され、職場は臨時休業したまま倒産してしまい、僕は社員になるどころか失業してしまった。必死で仕事を探したが見つからず、失業保険やツムギちゃんのブランド品を売ったお金で何とか食いつないだんだけど、日雇い仕事にありつけない日は、夕食にも困窮するようになった。僕は少しでも多くツムギちゃんに食べてもらえるように我慢したけど、彼女もお腹の子どもに栄養を奪われるのか、みるみる痩せて、豊満だった胸も萎み、あばら骨が見えるぐらいになり、目ばかりがギラギラとして、笑顔も見られなくなったんだ。僕は無力な自分が、ほんとに情けなくて悔しかった。

「ツムギちゃん、ふたりが出逢って一年の記念日なのに、ひもじい思いをさせてごめんね」

「あたしは大丈夫だよ。ねえ、マコちゃん、例えばの話だけど、この子が無事に育つなら、マコちゃんはどんなことにも耐えられる?」

「もちろんだよ。僕がこの子の命を救えるのなら、どんなことでも平気だよ」

 僕は本気でそう思ったんだ。

「ありがとう、マコちゃん。あたしのこと、そんな風に思っててくれたんだ。大好きだよ。ねえ、ムギュってして」

 二人は裸になり、痩せたカラダを支え合うように抱き合いキスをしたんだ。急に鼻へ抜ける刺激臭を感じたかと思うと、手足の力が抜けて、僕はその場に崩れ落ちたんだ。そしたら、ツムギちゃんの全身が特撮みたいに変化して、黄色と黒の綺麗な縞模様で、腹に卵を抱えた巨大な蜘蛛になったんだ。

「この模様、えっ? ツムギちゃん。もしかしてあの時の・・・・・・」


 たしかツムギちゃんと出逢う少し前だったか、僕が職場へ出勤すると、おばさんが叫び声を上げ、ヒステリックな感じで僕に「こ、これ早く叩き潰してよ」って大きな女郎蜘蛛を指さして言うんだ。叩き潰したところで、僕が後始末をさせられるだけだから、僕は蜘蛛を捕まえて店の裏の草むらへ逃がしに行ったんだ。朝日を浴びた蜘蛛の背中は、舐めかけのドロップみたいに丸くて、キラキラと光ってて、黄色と黒の縞模様は艶やかではちきそうだった。長い手足は思っていたより力強く、美しいというより神々しい感じで、僕はしばらくその姿に見惚れていたんだ。たったそれだけのことでお礼を言われる覚えもないんだけど、これってもしかして、あのときの蜘蛛の恩返し的な展開なの?


 蜘蛛は八本の手足を器用に動かして、手際よく糸を張り巡らせると、僕を抱え上げて宙づりにした。そしてツムギちゃんの姿に戻ると、悲しそうな表情で僕を見つめたんだ。でも今から思えば、彼女は涙目じゃないし、目が泳いでるっていうか、何かおかしかったんだ。

「そう、あたしはあのとき助けてもらった女郎蜘蛛なの。マコちゃんにもっともっと恩返ししたかったのに、こんなことしちゃって、ほんとにごめんね」

 えっ? なんで謝るの? 僕は餌になるのか?

「そ、そうなんだ。赤ちゃんを抱っこできないのは心残りだけど、僕のカラダが子どもやツムギちゃんの血となり肉となって生き続けるんだろ。最高の恩返しじゃないか。望むところだ」

「そ、そうだよね。マコちゃんとの約束だから、あたしも絶対に痛くしないし、許してね。美味しそ・・・・・・、いや、大好きだよマコちゃん」

 えっ? マジか? ツムギちゃんは、目をギラリと光らせ、笑いをこらえるような表情で、口元からあふれ落ちそうな涎をジュルジュルッとすすると、蜘蛛に変身して、僕の脚、腕、そして胴と順々に噛みついて何かを注入して、肉や骨が溶けたのを確認すると太ももにかぶりついたんだ。ブシュッと音を立てて赤い液体が部屋中に飛び散ったんだけど、なぜか全然痛くないんだ。

 ジュルジュルジュルジュルジュルジュルジュル、ゴクッ、プチッ、バリバリ、グシッグシャッ、ズズズズズズズズズズズ、ブシャッ、ゴクリ、ペッ、プシュッ、ペリペリペリ、バキバキ、バリッ、ゴクリ、ウップ、ペッ。

 咀嚼音が骨を伝わって全身に響いた。僕の脚は薄い皮だけになって、お腹の卵に引き寄せられるように貼りついて、すぐさま吸収された。

 ズズ、ジュルジュルジュルジュルジュル、ゴクッ、ズルズルズル、ギリギリギリ、ペッ、ガブッ、ブチッ、ジュボッ、ジュルルルルルルルルルルル、ゴクッ、バキッ、バリッ、ングング、ムハッ、ゴクリ、グフ、ゲップ。

 腕と胴体も飲み込まれちゃって、周りの赤い水たまりを蜘蛛がピチョピチョッ、ズズズズズズ、ジュルルルルルルルルルッとすすり上げた。そしてゴクリと喉を鳴らすと、一切の躊躇なく僕の頭にかぶりついたんだ。

 メリメリメリ、バキバキバキ、ボリッ、ペッ、ズズ、ジュルジュルジュルジュル。

 ツムギちゃんにかじられながら僕は思ったんだ。


 僕はいま、世界でいちばん幸せな最期を迎えている。

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