可哀想なお姉様
私ジュリエットには不出来な姉が居る。不出来過ぎて名前すらも呼んでもらえない姉が。
お姉様はお母様の本当の子ではない。お父様と平民の愛人の子で、愛人の死をきっかけにこの家にやって来た人だ。
だからお姉様には半分は平民の血が流れている。そんなお姉様をお母様は勿論、お父様も家族の一員とはしなかった。
そんなお姉様の扱いはメイドと変わらない。いや、お給料とたまのお休みが貰える分メイドの方が優遇されている。
でもこの家に置いてやっているだけでも感謝してもらわなくちゃ。お父様もお母様もそう言ってるし。
メイド達も両親が無視している存在に心を配る必要は無いと判断したのか、彼女達も基本無視している。お姉様がどんなに大変な仕事をしても手伝おうとはしないし、「大丈夫?」と声をかける事もしない。
だからかお姉様はただでさえ痩せこけているのに、ボロの古びた服を着ている所為で余計みすぼらしい外見をしている。半分でも貴族の血を引いていると思えない程に。
与えられた屋根裏部屋で寝泊まりし、食事もどうしているのか知らないし知る必要も無い。両親から愛されて輝いている私とは違う日陰者なのだ。
廊下を歩いていると、床に這いつくばって拭き掃除をしているお姉様が居た。モップすらも使わないなんて本当におつむが弱いんだから。だからいつも疲れ切った顔をしているのよ。
そう思いながら影から眺めていると、メイドの一人が忙しそうにお姉様の傍を通り過ぎる。その際にお姉様が近くに置いていたバケツを蹴飛ばして派手に水をぶちまけてしまった。
水を被ってしまったお姉様を一瞥する事なく行ってしまったメイドの背中を見送ると、濡れ鼠になったお姉様に近寄って声をかける。
「あらあら仕事が増えてしまったわね?ちゃんと片付けるのよ?」
「はい、申し訳ございません」
淡々と片付け作業に入るお姉様は本当につまらない。ちょっとは傷付いた顔をしてくれれば面白いのに。だから人形みたいなのよ。
反応がつまらなくてもお姉様の相手をしてあげている私ってなんて優しいんだろう。だって無視されているって事は居ない人扱いされているという事でしょう?
誰もが居ない人扱いしている中で、私だけはちゃんとそこに居るって認めてあげているんだから。私のお陰でお姉様は存在していられるも同然なの。
だって裏を返せば私が相手にしなくなったら、その時点でお姉様は完全に存在しない人間になるんだもの。
だからお姉様は決して私に逆らえない。見捨てられないよう従順に従わなければならない。
私に縋らないと生きていけないなんて、なんて可哀想なお姉様。
「お姉様、今日も薄汚れた格好で可哀想ね」
そう言ってジュリエットは誰も居ない方向を見て薄ら笑いを浮かべる。彼女の傍らには両親と、ジュリエットより幾分か年下の少女。そして医者らしい初老の男が居た。
男性陣は難しい顔で、女性陣は焦燥感を滲ませながらジュリエットを観察する。
「ねぇお父様、お母様。今日も私は可愛いわよね?」
「あぁ、今日もお前は可愛いよ」
「お姉様よりも?」
「ええ、可愛いわよ?」
両親の返答に嬉しそうにするジュリエットは、少女の方には見向きもしない。こんな至近距離で見えていない筈はないのだが、まるで存在していないかのように振舞う彼女の様子は誰が見ても異様だった。
「それで先生、ジュリエットは回復するんですか?」
「分かりません……。有効な治療薬もありませんし、こればかりは本人の回復力次第です。兎に角精神を安定させる為にも、引き続きジュリエット様の妄想を否定せずにいてください」
医者の言葉に両親は肩を落とす。存在自体は知っていたが、まさかお姉様があの病気にかかるなんて自分も両親もその時まで思いもしなかった。
選択的関係架装症候群。この病気は特定の家族や近しい関係を拒絶し、存在を「心理的に見えなくする」特徴を持つ精神的な病気だ。患者の中には架空の家族や近しい関係を生み出す妄想を併用するパターンもある。
私の姉の症状はまさにそれに当て嵌っていた。お姉様は本当の妹である私を認識せず、代わりに居る筈のない姉を頭の中に生み出したのだ。
原因は定かではないが、心理的、社会的、身体的ストレスなど環境的な要因も絡んでいるそうだ。お医者様からの説明を聞いた時、私の脳裏に過ぎったのは両親からの愛を得ようと必死になるお姉様の姿だった。
両親は自分達姉妹を平等に扱っているつもりだった。でもお姉様は人よりも多くの愛を欲しがる人だった。
自分が中心でないと気が済まないとかの類ではない。人の心に愛情を入れるコップがあったとして、お姉様の場合はその容量が人よりも大きいんだと思う。普通の人なら百個の愛で満たされるけれど、お姉様の場合はその倍が必要のような。
それでも平等に愛そうとする両親の気持ちがお姉様にも分かっていたから、綱渡りの状態でも何とかなっていたんだろう。しかし私が少々厄介な病気にかかったことでそれが崩れだした。
幸い治療法が確立されているから根気はいるが、いずれ回復して元通りの生活に戻るはずだった。
しかし体調が安定するまではどうしても両親の関心は私に比重が傾く。お姉様も頭では理解していても心はついていけなかった。
愛を得られない状況が続き耐えきれなくなった姉は、心を守る為に自分の世界から妹を排除して、代わりに架空の姉を作り出した。得られる愛の少ない姉から両親からの愛を独り占め出来る妹となったのだ。
最初はほんの些細な変化だけだった。私が一度呼びかけても返事をしようとせず、もう一度呼びかけて気が付くという程度だった。
だから聞こえなかったのかなと思うだけで、まさか病気の兆候だとは考えもしなかったのだ。
その後私の呼びかけに鈍くなる回数が増え、「お姉様」と誰を呼んでいるのか分からない呼びかけをするようになり、終いには何気なく私の話題を出した母に姉はこう言ったのだ。
『やだぁお母様ったら。妹は私の方なのに』
それでおかしいと思った私達は急いで医者を呼んだけど、既に病気は大分進行してしまっていた。症状の改善ではなく、悪化を防ぐ薬しかない今の医療では、改善するのは何年も先になるらしい。
私は治療のお陰でこうして庭なら散歩出来るくらいには回復出来た。でもその代わりに今度はお姉様が病気にかかり、今こうして両親からの関心が向けられていても、何故そうなっているのかは根本的には理解出来ていない。
お姉様はきっと生きにくい性質なんだろう。もしかしたら一人っ子ならどうにかなったかもしれない。だけど生まれ持った性質についてはどうしようもないし、たらればを考えても仕方のない話だ。
存在しない姉と比較して満たされている彼女を見ていると、人にこう言ってはいけないのだけれども、それでもこんな言葉が思い浮かばずにはいられなくなる。
可哀想なお姉様と。