名前をあげる
男は最初の頃より家事ができるようになってきていて、率先して仕事をこなしてくれるようになっていた。また、アエラも読み書きが少しづつできるようになってきていた。昔グレルから読みの勉強になるようにと貰っていた簡単な童話も読めるようになってきた。
アエラは週に1度、町へ工芸品を売ったり食材や日用品を買いに行く。今までの彼女だったら、馴染のグレルの店にしか寄らなかったが新たに行きつけの店が増えていた。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
アエラは本屋の店主に挨拶した。
「やあ、お嬢ちゃんまた来てくれたんだね。ゆっくり見ていきなさい」
メガネをかけた初老の男性が朗らかにアエラに声をかけた。
アエラは最初は本屋に入ることをためらっていた。町で関わる人といえばグレルや彼の奥さんのエブリンぐらいで、新しく人間関係を広げるのが怖かった。しかし、どうしても色々な本を見てみたいと思い勇気を振り絞って店に入ってみた。
すると、店主は
「いらっしゃい、ゆっくり見ていって」
温かくアエラを迎え入れてくれたのだ。直感でこの人は大丈夫だと思った。
森の家に住み、町に定期的に来るアエラは町の住民に敵意こそ向けられないが友好的なわけでもなかった。1人で森に住む異質なものとして距離を取られているのをアエラは知っていた。
そんな中で距離を取るわけでもなく、かと言って彼女の事を詮索しようともせず心地よい距離感を保ってくれる穏やかな店主とこの店がアエラは気に入っていた。
何かいい本がないか本棚や平台を見渡していると、1冊の本になぜか引きつけられた。弦楽器の様なものを弾いている男とそれを聞いている女が寄り添うよう座っている表紙だった。中身をパラパラとめくるがまだ彼女にはまだ読むには難しい。諦めようと思ったが、どうしても手を離すことが出来なかった。
そうだ男に読んでもらおう。男ならこのぐらい読めるはずだ。
「毎度あり、またいつでもおいで」
店主に礼を言い本を鞄にしまい森の家へと帰る。
雪がしんしんと降り顔に当たって冷たい。
(吹雪になると退屈だから買ったんだ。決して男に気を許したわけではない)
アエラは読めないなら男に読んでもらえばいいと考えてしまった自分に驚いた。そんな考えを正当化するようアエラは自分に言い聞かせた。
アエラはこの季節が大嫌いだった。吹雪になると日課の剣や弓の稽古ができず、家で作業することになるからだ。家から出れない日が1日ならいいが、ひどい吹雪の時は3日程家に籠もらなければいけない。家ですることも3日となるとなくなり、吹雪の檻に閉じ込められているように感じ気が滅入る。
家に帰り早速男に本を見せ読むよう頼む。
「僕でよければ喜んで」
彼女から唐突お願いされ男は少し驚いたようだが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべ了承した。
男と生活してひと月過ぎたが必要最低限の会話しかしていなかった。読み書きを教えてくれる時間以外は男とゆっくりと過ごす時間はなく、アエラは、毎日忙しく様々な作業をしていた。男もそんなアエラを邪魔しようとはしなかった。
彼女の生活に無理に入り込もうとせず、自分の立場を弁えていたためアエラはひと月以上経った今も男を追い出さずにいた。
そんな距離のあった二人だが、お互いの仕事が終われば男がアエラに本を読む聞かせるという時間がうまれた。
就寝する時間になるまで本を読み、それぞれ感想を語り合うそんな穏やかな時間が1日に加わった。
買った本を読み終わりアエラが新しい本を買ってくる、そして男がアエラに本を読み、お互いに本の感想を言いあう。何度かそれを繰り返せば冬が通り過ぎ春が訪れようとしていた。
ある時男に本を読んでもらっているとき、本の物語に出てきた主人公が男に似てる気がした。
(そういえば前、あたしが好きなように名前呼んでいいって言ってたな。)
「この主人公お前に似てるな。お前とか呼ぶの面倒くさくなってきたし、この主人公と一緒のハロンって呼んでもいいか?」
アエラが何の気なしで男に問いかける。
しばし沈黙が続く。気に入らなかったのかとアエラは男の顔を見ると、男は心の底から嬉しいという様に顔が喜びに輝いていた。
「何でそんな嬉しそうなんだよ!」
何だが気恥ずかしくてツンケンしてしまう。
「君が名前をくれるなんて、あまりに嬉しくて」
男は照れたように言った。
さらにアエラにハロン名前の意味は知っているのかと男が聞いてきた。
「知らない、どういう意味なんだ?」
アエラは答える。だが男は微笑むばかりで答えない。
(何か意味がある名前なのか?変な意味じゃないといいけど。こいつの反応なんなんだよ)
アエラは何だか恥ずかしくなって目を閉じて本を真剣に聞いてるふりをした。そんな彼女を見ながら男が本の続きを読む。アエラに名前をつけてもらた喜びが声でも伝わってきた。