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リーン・カーネーション伯爵令嬢の場合(前編)


「……貴方に、もう一日だけ差し上げます」


厳かな声が聞こえる。けれども、目は開けられず、その美しい声にただ聞き惚れた。

その声に導かれるまま、ゆっくりと意識が浮上していく。


「ん」


うっすらと部屋に入る日の光に、重い瞼を上げた。


泣き腫らした瞼は重く、みっともない顔をしているのが想像できる。


気だるげな体を無理矢理起き上がらせ、私”リーン・カーネーション”は唇を薄く開けた。





この世界には、女神の恩寵という物語がある。女神は、とある運命にあるものに一日の猶予を与え、「機会」を与えるというものだ。


伯爵令嬢リーン・カーネーションには婚約者がいた。そう”いた”のだ。侯爵家嫡男であり、幼馴染の男がいた。幼馴染で婚約者のリフレ・クティングとは良好の仲だった。しかし、とある夜会に出席後から屋敷を訪れることはなくなり、気づけば「胡蝶の花」と称される令嬢の取り巻きの一人となっていた。


昨夜行われた春を祝う王宮での舞踏会でのこと。本来ならパートナーとして参列するはずが、急遽断られ、苦肉の策で兄を伴って参列したときのことだ。


「ああ、なんて美しい人なのか」


「君のためならなんでも叶えてあげたい」


「胡蝶の君、私にも慈悲を」


きらびやかなホールの下、胡蝶の花と称される令嬢リリス・アグラットに群がるように令息たちが周りの目も憚らず囲っている。


「……」


その傍らに、私の婚約者であるリフレもいた。


「リフレ」


そう思わず声を掛ける。なぜなら、彼は、取り巻きの中でも侯爵位と名家の出であるはずなのに、相手にされず放置されていたのだ。


「…リーン」


私に気づいたのだろう。落ち着いた、けれど、どこか生気のない様子で私の名を呼ぶ。


「ねえ、リフレ。もうやめましょう?そのように婚約者(わたし)以外の女性に、縋るなんて貴方らしくないわ」


普段は理知的で、落ち着いた人なのだ。

それが、色恋なんかで狂う人とはとてもじゃないけれど信じられない。


「リフレ、お願いよ。せめて、話をしましょう」


私は、そっとリフレの手を取って、彼を見つめた。

内心はもとに戻って欲しい、そして、できたら、もう一度、私を…。

そう願って。


「…構わないでくれ」


そう彼から手のひらを外されると、彼はまたリリスに向きあった。彼女の周りには溢れんばかりの令息たちで埋められていて、その一人になっていく。


「っ、リフレ、リフレ」


離れていく彼が信じられなくて、何度も彼を呼ぶ。

けれど、彼はもう二度と振り向いてはくれなかった。





私はそのまま兄に支えられながら、王宮を後にした。


人払いを済ませると自室に籠り、とめどなく溢れていく涙を拭う気力も湧かず、衝動的にカーテンを掴んだ。


そして、自室で首をくくった。


それが私の結末だった。そう”死んだはず”だった。


「どうして…私は生きているのかしら」


鏡台に映り込む自分を見つめながら、呆然とする。


帰ってきたままベットに寝伏し、衝動的にカーテンのレースを首に巻いたのだ。

意識は途絶えたし、皆には一晩近寄らぬように言っていた。

助けられた可能性はない。


しかも、首には何の痕も残っていない。

代わりに、胸元に、大輪の薔薇のあざが出来ている。


「女神の恩寵…」


この世界には創造神である二柱の神がいる。男神と女神が生み出した世界は、繁栄と安寧を迎えた。しかし、あるとき男神と女神が対立した。その理由は明かされていないが、人間は女神の味方をし、それから女神は人間に恩寵を与えた。


そう、女神の恩寵とは、大輪の”花”のあざを与えた者なのだ。


「物語で言われている通りだわ。綺麗な薔薇のあざ。私は女神に機会を与えられた…?」


もし、そうなら。私はもう一度生を与えられたということだ。


「今さら、やり直しの機会をもらっても…」


どうせなら、リフレが”ああなる”前に戻してほしかった。


「時が戻っていたなら告白でも何でもして…いえ、それでも、彼女に勝つことはできなかったでしょね。家族のように育った私を女として見てもらえたなんて、とてもじゃないけれど言えないわ」


そもそもだ。リフレは剣術も魔術も得意な方ではなく、本が好きで、私と一緒に読書をするのが楽しみのような彼が女にうつつを抜かすなんてあり得るだろうか。


私とほとんど変わらない背丈、落ち着いた茶色の髪。一緒に並べば姉弟(きょうだい)に見られ、男と女という雰囲気ではなかった。正直、彼をああして魅了されて初めて彼への恋心を知った。


燃えるような恋情ではなかったけれど、おだやかであたたかな恋だった。


愛しい男を他の女に取られ、その絶望があんなにも深いなんて知らなかった。


「リフレ…」


愛しい男の名前を口にすれば、ぎゅっと唇を引き締めた。


何の運命か、女神の気まぐれか分からないけれど、生きているならばすることがある。


「お父様に会いに行かなくては」

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